ログ・ホライズン 外伝 新たなる冒険の大地

池梟リョーマ/木村航/エンターブレイン ホビー書籍編集部

【新たなる冒険の大地】サーバーに宿る幻想①

 人の運命は、目には見えない。

 だから人生を変える決断は、ごく些細ささいな思いつきからはじまってしまう。ボクのたどった道筋は、けっして必然なんかじゃなかったと思う。だって、なんだってよかったんだから。

 そのときボクは中学二年生の三学期で、つまり休み明けには最終学年になるんだという漠然とした緊張感の只中にあった。進路希望調査はとっくに終わっていて、受験はまだだけど自分たちの一年後についてはだいたい見当がついていた。

 中学まで過ごしてきたこの友人たちとはもうすぐバラバラになる。S N Sで気軽に繫がれる時代っていっても、学校という接点がなくなれば、きっと友情は摩耗まもううしていってしまうに違いない。

 だから、教室以外に会える場所をつくらなきゃなって思ったんだ。リアルじゃなくてもいい。

インターネット上に集まって、わいわい共通の話題で盛り上がれる。そういう場所だ。


「じゃあ、オンラインゲームとかしよっか」

「俺、アクションだめなんだよ。最初のクリボーで死ぬ。PCも親のおさがりのノートでさ。スペック低い」

「RPGでいいんじゃね。MMOの」

「MMOかー。やったことある?」

「ぜんぜんない」


  ある日の昼休み。2–Bの教室の片隅で、もそもそコッペパンなんか食べながら。誰かがそんなふうに言いだした。

 だからボクは「じゃあなんか探してみるよ」とこたえたんだ。

 帰宅途中のバスの中、ぽちぽちスマホで「初心者 MMO」とか「オンラインゲーム おすすめ」とかで検索して、ヒットしたwikiやブログをスクロールして。めぼしいのを探す。

 そして、その名前に目をとめた。

〈エルダー・テイル〉。

 そういえば聞いたことあるなと思った。

 大規模多人数同時参加型オンラインRPG……MMO–RPGの中ではかなりの老舗しに せだ。ひょっとするとボクが生まれる前からあるんじゃないか。とはいえ新しい拡張パックが出るたびに広告を見かけるし、ゲームバランスがいいとか悪いとか運営、神だなとかやらかしたとかいう話題もSNSでよく見かける。今となってはゲームエンジンに目新しい部分はないものの、アップデートをつづけられたシステムは安定しており、初心者にもおすめ……らしい。

 何度も手が入ってるとはいえ、最新鋭のFPS《フアーストパーソン・シユーテイングゲーム》とかにくらべれば、要求スペックも高くないし、ノートパソコンでも遊べそうだ。

 これなら、いいかな。

 まあ、なんだっていいか。


  あいつらとだべる場所になるなら、なんだって。

 帰宅したボクは、ベッドの上に鞄を投げ出して、パソコンを立ち上げる。公式サイトからゲームクライアントを探した。すぐ見つかる。

 インストールのボタンをクリックした。インストールの経過を示す、ウィンドウがポップする。パーセントをしめす数字がひとつ上がるたびに、ひとつの世界がハードディスクに吸い込まれていく。


その自重を支える

魂の翼持つ〈冒険者〉よ、


 手持ちぶさたの間に、公式サイトの情報に目をやる。

 公式サイトのスクリーンショット、きらびやかなPVの数々。


竜と巨人が、

魔獣と亜人が住まう、

幻想の大地セルデシア。


 幻想の大地、か……。


  ちょっとわくわくするよな。

 この向こうになにが待っているんだろう。

 新しいゲームをはじめるとき特有の高揚感。

 ここなら。

 ここならボクはヒーローになれるかもしれない。

 でもそのときのボクは、その先になにが待ち受けているかなんて知りもしなかった。

 なにも。



 口は災いのもとっていう言葉がある。

 ひっくりかえせば、下手に口さえきかなければ、災いは避けられるっていうことだ。これは〈エルダー・テイル〉みたいなオンラインゲームでこそ、有効なことわざだと思っている。

 学校で無口陰キャが仲間をつくろうと思ったら大変だ。だけど、オンラインゲームではそうじゃない。ここではトークスキルよりも重要なものがある。きちんとまじめにゲームをしている……ということだ。狩りに誘ったときに付き合いがいいか、パーティー内できちんと役割を果たせるか……つまり、まじめにゲームと向き合っているかということ。そこらへんさえできていれば、ウィットに富んだトークスキルなんてものはなくても、それなりに人とのつながりが保てたりする。下手に空気を読もうとするよりは、一律黙っていたほうが不幸な事故は避けられるってものだ。

 心まで清く正しい必要はない。

 黙ってればよくはとられないが、悪くもとられない。

 それどころか「不器用だけどいい人」なんてポジションさえ、得られるかもしれない。

 ってわけで……沈黙は金。引っ込み思案ばんざい。

 それが、コミュ障ゲーマーであるボクが生きぬくためのポリシーだったりする。

 けどそれでもどうにもほうっておけないこともある。

 つまり、こっちが黙っていると、調子に乗るやつもいるってこと。

「……ねえ、ピンキー」

「ん〜?」

 ボクは剣を磨く手をとめて、名前を呼ぶ。しかし背後からかえってきたのは返事とも呼べないような、間延びした疑問符だけだった。

 そうしているあいだにもボクの頭上を手が這い、髪があらぬ方向へとねじられていく。頭皮に塗りたくられた謎の粘液がかゆい。

 ユーマ、十七歳。

 ただいま、絶賛盛り髪中。


 ……なんでこうなった。

「ピンキー、やめてよ」

 つとめてやさしい声をだす。

「や〜めない」

 って、おい。

「むしろ私が腕によりをかけて、盛ってるんだから喜ぶべきでしょ。私これでもお店じゃいちばん得意だったんだよ。盛り女神のピンキーさまってね!」

「なんて言いぐさだよ」

 ふりかえらなくても、得意げにふんぞりかえってるピンキーの表情が目に浮かぶ。

 っていうか、お店ってなんなのさ!?

 こいつ、いったい元の世界ではなにをやってたんだ。

 人が手はなせないからっていい気になって。

 ひしめきあった樹木たちの隙間から、い太陽の光が、ボクらふたりに降り注ぐ。ここはエキゾチックな植物が繁茂する廃墟、〈スモールストーンの薬草園〉。ほんの数分前までここでは命をかけた「狩り」が行なわれていた。しかし、モンスターのしかばねはきれいに解体され、素材となって鞄の中。激戦の痕跡はもうどこにも残っていない。ボクは古代の建築物の残骸に腰かけ、噴血で汚れた剣と盾を手入れしている。

 そして、ボクの装備がピカピカに磨かれるのと同時進行で、ボクの頭はそびえ立つジャンボパフェへと変貌しつつあった。

 背後に回った、ひとりの女の手によって……。

 魔法攻撃職である彼女は、武器攻撃職のボクほど、武装のお手入れに気を遣わない。それで暇をもてあまして、こんな愚行に走ったと思われる。

「あのさ、こういうイベントは女の子と起こしてよ……」

「えー、なんで。せっかく女装してるんだし、いろんなおしゃれ、ためしてみなきゃ。その姫カット、オタクのこだわりってやつでしょ?」

「女装じゃない!」

 その不名誉な言いかがりには、さすがのボクも抗議するぞ。

「ボクが髪伸ばしてるのは髪留めの能力補正を受けるためであって、おしゃれするためじゃない。それにうずたかくそびえるのは断じておしゃれじゃない!」

「まあまあ。せっかく性別未確認生物U M Aに生まれついたんだし、いいじゃない」

性別未確認生物U M A……!?」

「ほら、髪留めもつけてあげるって。ぷすぷす」


 ピンキーがわざとらしく口先で擬音を奏でながら、ボクの頭のパフェに、何本かの髪留めをつきさす。その瞬間、アクセサリの効果で、能力補正がかかったのがわかった。ゲーム時代は頭部につけられるアイテムは一律一個だったけど、今は物理的要因に左右される。

 丸刈りにしてたら髪飾りは一個もつけられないし、逆に髪を伸ばしていたら何個かつけられる。だけど、ボクは〈盗剣士スワツシユバツクラー〉なんだぞ。こんなエッフェル塔、頭にのせて戦えるもんか。

「えー、似合うのに」

「うるさい」

「やーん、お兄ちゃんこわーい」

 ボクが言葉を荒らげると、少女はけらけらと笑った。ストロベリーブロンドと言うにはあまりにもきらびやかなマゼンタの髪。ぱっちりと大きな瞳に、あどけない印象のまるみを帯びた頰のライン。まるでアイドルアニメからそのままぬけだしてきたようだ。

 だけど騙されちゃいけない。「お店」なんて言ってたことからもわかるように、こいつは外見どおりの少女なんかじゃない。年齢不詳のニセロリなのだ。

「それより素材は、ちゃんと採取できたんだろうな……?」

「うん、ありがとうね。ギルマスが付き合ってくれてよかった」

 ピンキーは途端にしおらしくなり、めずらしく殊勝な態度でお礼を言う。

「……感謝されるようなことじゃない」

 

 盛り髪中で振り向くことすらままならないボクは、そっぽを向いてこたえる。

 スモールストーンの薬草園には、貴重な薬草が自生している。〈錬金術師〉であるピンキーは、それらの素材からさまざまな薬品をつくりだすことができる。ピンキーに素材不足を訴えられたボクは、彼女とともにこの地に採取任務におもむいたというわけだ。

 でも、ほんとに礼を言われることじゃない。

 その回復薬にお世話になるのは、ボクたち、ピンキー以外の仲間ギ ルメンなんだから。

「だから、このできたてのヘアジェル。ギルマスに真っ先に堪能してほしかったの!」

「……って、おいまさかこの謎の液体、今、採取した素材からつくったの!?いつのまに!?」

「いい匂いでしょ〜。〈天空のレモンバーム〉って言うんだよ」

「ポーションつくるって話だっただろ!?」

「やだな〜。戦いに役立つアイテムだけつくったってつまんないじゃない。メニュー外のものをつくってこその生産職! だいじょぶ、ポーションもちゃんとやるやる♪」

 名前はピンキー。種族〈ドワーフ〉。メイン職〈付与術師エンチヤンター〉、サブ職〈錬金術師〉。ここまではステータス画面をみるにたしか。ドワーフ王の遺産だという〈高貴なる魂の王冠〉を頭にのせてて、見るからに偉そう。マントと相まって、おとぎの国の女王様って風体ふうてい

 だけど、その他のことといえば、ぜんぜんわからない。

 去年の九月、ザントリーフ包囲戦の後からつるむようになったから、そろそろ半年。いまだにこいつは正体不明だ。なにがおもしろいのか、出会ったときからなにかとボクに絡んでくる。

 でも、ピンキーに助けられてることがないといえば、噓になる。こいつはボクにはない特技がいろいろあるんだ。

 たとえば、こんなかんじだ。

「あ、ちょっと待ってね。はいはい。もしもーし♪ ピンキーですよー」

 ピンキーが突然、虚空こくうにむかってしゃべりはじめた。

 念話だ〈冒険者〉全員に与えられた、遠方のフレンドと会話する超常能力。そのあいだにもボクの髪をいじる手は止めない。

「ふんふん。ほうほう」

 念話が途切れたとお ぼしきタイミングで、ボクは話しかける。

「それで?」

「シロエさんが呼んでる。ご依頼だってー」

 シロエさんにかぎらず、ボクにコンタクトをとりたい人はピンキーに念話をよこす。ピンキーはボクの外交官なのだ。このずけずけ言う性格で、どうしてあちこちで仲良くなれるのかまったく不思議だ。けど、コミュニケーションにまつわることはだいたいまかせておけば問題ないってことは、経験からわかっている。

「どうせ、まーた〈円卓会議〉の厄介事でしょ。最近、ほんと便利に使われてるよねー」

「重宝されてるんだから、いいことだよ」

「アキバのみんながうちのギルドのことなんて呼んでるか知ってる?〈円卓会議〉の犬だって。わんわん」

 ピンキーが両手で、〈狼牙族ろうがぞく〉の耳のポーズをとる。

「ツガルもルックも別の仕事で、出たばっかりじゃない。ことわったら?」

「受けられる仕事は、受けるよ。ツガルたちもまだ戻ってこれないんでしょ。ボクたちだけ、ギルドホールでごろごろしてたってしょうがないよ」

「えー、ふたりっきりでのんびりイチャイチャしようよー♪」

 男の子なら心動かさずにはいられないピンキーの上目遣い。

 でも。

「……どうせ、誰にも言ってんだろ?」

 しら〜っと心にふきぬける冷たい風。

 ボクはそっぽを向いて、へっと吐き捨てた。

「ああ!? ユーマくんがすっかり擦れてる!? 擦り切れてる!? あーん、どうして」

「半年もおもちゃにされていれば、いい加減慣れるよ!」

「でも顔赤くなってるのは、隠せてないよ」

 ほっぺをつつきながら、にやっとするピンキー。

 いらっ。

「とにかく! シロエさんにもお世話になってるんだし、断る理由なんてないよ。アキバに戻って、そのまま〈記録の地平線ロ グ・ホライズン〉のギルドハウスに直行。はい決定!」

「ほんと、ワーカホリックね。はいはい、ラジャりました。マイ・ギルマス」

 ピンキーがひょうきんな敬礼をかえす。

「それじゃ、またひとつクエストをこなして、みんなを救けて、ヒーローになりにいきましょうか!」

 その言葉にボクはむっつりとした顔で振り返る。

「ヒーローになんてなりたくないよ」

「だよね〜、だってギルマスは、私たちのヒロインだもん」

「違うよ!?」

 ピンキーはケラケラ笑いながら、〈帰還呪文コール・オブ・ホーム〉を唱えはじめる。ボクは重い溜息をついて、空中にウィンドウを開き、同じ呪文を選んだ。数分の詠唱が終わると、ボクらの身体は光に包まれる。

 次の瞬間には市街地に立っていた。数歩先では、先に跳んでいたピンキーが、手を振ってボクを待っている。

「ほらほら、ユーマ!」

 ボクは磨いたばかりの愛剣〈闇の尊厳ダーク・アウグストウス〉を鞘におさめると、少女のあとに続いた。

 そこから広がる風景はテレビなどで見覚えのあるものだ。東京都千代田区秋葉原。しかしもはやそこに最新ゲームソフトの広告や、アニメショップの看板は存在しない。天高くそびえるビルの壁面には、まるで中世から残る建造物のように、歴史の深みが染み付いている。そして中央通りの歩行者天国を闊歩かっぽするのは、あきらかに日本人ならざるものたちだ。

 分厚い甲冑かっちゅうに身を包んだ中世風の騎士。職務質問間違いなしのローブを深ぶかにかぶり、身長ほどもある巨大な杖をついて歩く魔法使い……。

 アニメのような極彩色ごくさいしきの髪。妖精のような尖った耳。三毛猫の頭をした露天商が、ひくひくと両ひげを揺らす。その仕草はとても堂に入いっていて、被り物をしているようにはみえない。

 コミケのコスプレブースのほうが(行ったことないけど、たぶん、写真を見るかぎり)、まだ現実味というものがある。ここにいる人たちの装いは荒唐無稽であるにもかかわらず強烈なリアリティがあり、それゆえにまるで現実リアルでないかのようだ。

 この珍妙な仮装行列も、毎日見ればもう慣れたもの。

 それにボクたちの扮装だって、とても人のことは言えないのだ。

 ボクたちは恐れることなく、その人ごみを突っきっていく。

 ここはアキバ。といっても日本の電気街とはちょっと違う。

 半分の大きさに再現された地球、セルデシア。

 その極東、〈弧状列島ヤマト〉にある五大都市のひとつ。

〈冒険者〉の街だ。

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