第24話 要塞崩しのサンファンスコーフ

     *


 深紅の髪の少女は無我夢中に走った。

 今日という日をここまで恨んだこともいつぶりか。雇ってくれた強豪パーティから突然の追放。その傷口を塩で塗り付けた見知らぬ男と、追いかけまわす同い年くらいの少女。

 ここ最近はどことなく空気が変だという自覚はあった。だが、今まで仲間だと信じてきたのに突然腫れもの扱いしては追い出したことは、あまりにもひどい話だ。

 理由は色々言っていたが、おそらく一番の原因はと考えたところで崖の上から見える一面の森を見据える。


「なんなのよ。今日は散々だわ」

 そう呟き、ふと下を覗き込む。底は見えても足がすくんでしまうくらいの高さ。ヒュオオ、と風が吹きあがる。だが、少女は臆さなかった。むしろ、受け入れたようなうつろな目を向けている。

 食糧や資金、衣類はリュックの中に入っているのは幸いだが、もって3日程度。この腕と知識があれば生きる道はまだあっただろうが、仲間を失い、独りになり、刻まれた傷心を癒すほどの余裕は彼女にはなかった。


「……ここから落ちたらどれだけ楽か」

 そう零し、姿勢が前に傾いたとき。


「わーっ! 早まっちゃダメですー!」

「おぶっ」

 突進。背中をタックルよろしくホールドされた少女はそのまま上半身を淵の外へと出た。

「まって、落ちる! 落ちるから!」

 先ほどの自分の考えをここまで恨んだことはなかっただろう。腰に抱き着いたフミュウはがっしりと掴んでいるおかげもあり落ちずに済んでいるが、元の原因が彼女であることに変わりはない。

「ま、待ってください! 落ちないで!」

「さっさと離れろって言ってんの!」


 引き上げ、事態は無事に収まる。ペタンと座っているブロンズヘアと大きな胸が特徴の冒険者の風貌を装った少女に、困惑の目を向ける。

「またあんたか……言っておくけど、めぼしいものは持ってないからね」

「……? なんの話ですか?」

 わかっていない様子に安堵と呆れ。悪い人ではなさそうだと少女は感じていた。

「あー、なんでもないわよ。あなた名前は?」

 そう尋ねると、フミュウはぴんと背を伸ばし、意気込んで自己紹介する。


「フミュウです。フミュウ・ドラガンバルドと言います」

「ドラガンバルド……もしかして、大剣豪エギルの?」

「え、あっ、はい、その玄孫やしゃごです」

 一瞬だけ目が丸くなったが、すぐに口をとがらせる。


「いいわね、英雄の血筋を持ってて」

「いえ、私自身はぜんぜん」と謙遜。そこに照れもなく、心から申し訳なさそうな様子だった。

「でも、戦えるだけの実力はあるんでしょ? あたしは戦闘員ですらないから」

「戦える人がすべてじゃないですよ」

「月並みの言葉をどうも」と言っては立ち上がる。


「あたしはエルマ・ケネトル。元ブレイズ勇士団のサポーターってのはさっきのぞき見してたあんたなら知ってると思うけど」

「よろしくです! エルマちゃん!」と立っては満面の笑みで手を伸ばす。だがその好意をエルマは受け取らなかった。

「その呼び方はやめて」

 と目を鋭くさせる。振り返り、崖の先の景色を見つめる。ちょうど風が吹き、ふたりの髪を揺らした。


「はぁ、なんでこうなっちゃったかな」

「やっぱり、つらいですよね」

「あなたにわかるわけないでしょ」

「そ、そうですよね、ごめんなさい」

 咄嗟に謝る。で、でも、と付け足す。


「冒険者を支えているのは紛れもなくエルマちゃんのようなサポーターの人たちです。道具や回復薬を作ってくれたり、武器を改良してくれたり、それこそたくさんの幅広い知識と技量がなければできないことです。冒険者に限った話じゃなくて、いろんな人たちの生活を助けてくれています。ですから、その、なんていうか、気を落とさないでください! 強い人たちにいらないって言われても、私みたいな弱い人にとっては必要なんです!」

 しん、とした空気はひどく冷たい。向けたエルマの目は、睨んでいるようだ。

「なによいきなり。慰めのつもり?」

「あ、えっと、その……怒らせちゃってごめんなさい」

 慰めのつもりが火に油だったか。これ以上なにも言えなくなり肩を縮めたフミュウ。それを見たのか否か、視線を逸らしたエルマは、


「……ありがと」

「え?」

 聞こえたかわからないくらいの小さな声は、フミュウには届いていなかった。そのもどかしさにエルマは耳を赤くする。

「なんでもないわよ。あんたみたいなお人好しバカがいて安心したわ」

「そんなことは……えへへぇ」

 ぽわぽわとした空気を漂わせ、わかりやすく照れる。

「褒めてないっての。……さぁて、自由の身にもなったし、これからどうしよっかな」

 前は切り立った崖と”雲の糸”によって浮きながらゆっくりと流れるように移動する岩石群や小山。後ろはうっそうとした森と地層の跡がくっきり残った岩肌が見える階段状の山の数々。町に戻るしかないが、2, 3時間はかかるだろうか。


「あ、あの、エルマちゃん」

「その呼び方はいやって言ったでしょ。で、なに?」

 ひとつひとつの言葉を慎重に選ぶように。恐る恐る、フミュウは気持ちを口に出した。

「あの、あのね、もしよかったら――」


――ブゴゴゴォ……。


 それはすぐ近くから聞こえた。むわっとふたりを覆う熱気と異様な匂い。そして、警鐘する本能が、今すぐ逃げろと足をすくませている。


 バキバギバキィ……ッ。


 木々が断末魔を上げる。音をもとに、視線を向けた先にいたのは、ふたりの女の子なら簡単に丸呑みしそうなほどの巨大な猪型の魔法生物。その灰の毛並みは独特の光沢を反射させており、何も貫き通さない鋼のような堅牢さを示す。そこから漏れだす蒸気は有り余った熱気か。二本の巨大であるも折れた牙、そして額の骨ばったコブは、一体どれだけの山や壁という壁を打ち砕いてきたのか。


「なっ、なんですかあのおおきなブタさん!」

「サンファンスコーフ……!? うそでしょ、ここらに棲んでるだなんて情報はなかったわよ!」

 虫の居所が悪い時、動くものすべてを突進で吹き飛ばし、また食らい尽くすという。今そのターゲットとなる獲物は確実にふたりだ。


「逃げるわよ! はやく!」

 匂いを嗅いでいる隙に右へと走り、森の中へと飛び込んだ。しかしすぐに、木々を容易にへし折っては魔物も後を追う。

「つ、つよそうですけど、そこまで危ないブタさんなんですか!?」

「あればかりはレベルなんて関係ないわ! むやみに対抗するだけ死期が早まるわよ!」

 エルマが叫んで訴えた刹那、風の向きが変わり、一瞬の鋭い熱と、寒気がフミュウの背筋を凍らせる。

 自分を失ってしまいそうな感覚。何が何だ分からないまま、本能的にフミュウのとった行動は、エルマを庇い、軌道から逃げることだった。


 瞬間、二人のいた場所は無と化した。

 巨大な砲弾が過ぎ去ったような。風が兵器と化す余波を顔に浴びた感覚。そこでエルマは自身が無傷だと気づく。


「まっ――」

「だ、だいじょうぶですか!?」

 エルマを庇うように抱き、地面に転んでいたフミュウ。すぐに起き上がるも、両者は異なる意味で驚きを隠せずにいた。

 目にも止まらない突進を間一髪で避けるだけの脚力。とても華奢な少女から発された者とは思えず、同時に避けた本人が信じられない顔をしていた。


「あんた……!」

「き、奇跡です。二回目はできません! あんなの速すぎです」

 おぞましいものを見るように、フミュウは攻城猪に目をやる。立ち上がったエルマは逃げるよう催促するが、フミュウは起き上がったまま膝を立てる挙動すら見せない。まるで自分の脚でないかのように動かなくなったような。


「ちょ、あんたしっかりしなさいよ!」

「ご、ごめんなさい……腰、抜けちゃいました」

「抜けたって、こんなときに――腕貸しなさい!」

 腕をつかみ、肩を担ぐ。威圧が焦燥感として正常心を殺してくるが、それがエルマの力としてフミュウを立ち上がらせた。

「私のことはいいです、エルマちゃんだけでも逃げてください!」

「バカ言わないで! あんたみたいなSレア級のお人好し、こんなところで死なせたくないわよ!」

 荒い息。感じた温い風。飲み込まれるような圧は引力を想起させた。

 爆ぜる音。土をめくり上げ、全速力で人を轢き潰そうとする巨獣は死を意味した。


 ダメ、間に合わない――。

「たすけて……たすけてください! ラティスさまぁぁあああっ!!」

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