第23話 行き違い


「ちょ、なになになに!?」

「まっ、まってくださぁーい!」

 山なりを越え坂を下り。

「バカバカバカバカ! ついてこないで!」

「待ってください! 危ないですよ!」

 倒木のトンネルをくぐって再び山道を上り。

「なんでついて来るのよぉ!」

「危ないからですよぉ!」

「あんたの方が危ないわよ!」


 生い茂る草木をかき分け、水たまりを踏んで裾を濡らし、ちょっとした断層の段差を飛び込むように降り、やがて森の奥へと。

 抜けた先は湖。陽光でキラキラと照りつく水面を見て観念したのだろう、両者とも足を止め、膝に手を当てては息を切らす。無論、俺もだ。


「くそ……ハァ……」

「はぁ……はぁ……」

 息が切れながらも顔を上げ、煮え立った感情が爆発する。

「お人好しもいい加減にしろ!」「しつこいのもいい加減にして!」


 声が重なり、それも前後から挟んだものだからフミュウもびくりとする。しかしこいつあんまり疲れた素振りみせないな。

「はぁ……はぁ……もうほんっと、しつこいったらありゃしないわ」

「ご、ごめんなさい、魔物にでも会って大変な目に遭ったらと思うとつい」

「いま大変な目に遭ってるわよ」

 ごもっともだ。


「えっ、わたし魔物なんかじゃ」じゃないわバカモンが。相手も呆れてため息しか出ていない。

 まず目に飛び込んだのはさらりと流れ落ちる深紅スカーレットの髪。|紺《ネイビー》の髪色を持つ俺よりかはわずかに魔法適性はあるのだろう。フミュウと同じくらいの年齢と背丈だが、ぽわぽわしたこいつとは反対に、顔も目つきもきりっと鋭く、体つきもすらっとしている。


 とはいうが、露出度の少ない行商人風のコートではどういった戦闘スタイルに長けているのか、そもそも戦えるのか推定も難しい。だが、姿勢と重心を見る限り、根っからのサポーターのようだ。先ほどの走り方、ツンとした様子で腕を組むその体のバランスのとり方から、顔つきのわりに利害や得失を優先的に考えるタイプだろうと勝手に推測する。


「で、何の用かしら? ここまであたしを追ってきたんだから、同情とかそんなのじゃないでしょ。まぁされても迷惑だけど」

「え、あの……ごめんなさい。心配だったから、つい声を……」

 俺もだが、少女も驚きあきれた様子。

「あんたどこまでバカなのよ……それでよく生きていけたわね今まで」

「あ、ありがとうございます!」

「褒めてないわよ」とため息を交え、「で、用事もないなら構わないでくれる? パーティ追放された挙句、それを慰められるなんて雪辱にも程があるわ」

 あの劣悪な環境では委縮して本来の自分を出せなかったのだろうが、箱を開けてみれば口が悪いこと極まりないな。虫の居所が悪いのはわかるが。


「ホント、なんで追放されなきゃなんないのよ。サポートだって、なにもスキルに限ったことじゃないのに。人を数字でしか見てないくせに弱いからクビって、そこまで強くなることのどこに意味があんのよ。バッカみたい」

 愚痴をつぶやいている一方で、フミュウはあわあわと対応に困っている。


「……」

 強くなる意味。どこかで、この会話を聞いたような。同時に、頭のどこかが切れたような音がした。

「……パーティ追放は複数人のチームで組んでいればよくある話だ。戦力にならないやつは役立たずとしてクビにする」

「言われなくてもわかってるわよ。けど、サポーターに強さを求めるのは間違っているでしょ」

「生憎だが、ある程度のレベルにまで行くと、サポーターを必要としないケースは少なくない。実際邪魔になるだけだしな」

「……なに? ケンカ売ってんの?」

「ら、ラティス様……、それ以上は」

 止める声が入ったが、諭すように俺の口は動き続ける。


「言い方はひどさ極まりないが、本質を見ればあいつらの言うことも一理ある。より強くなるために弱い奴を切り捨てるのが賢明だろう、その道理は適っているとは思うが」

だから、俺もチームは作らなかった。俺の役に立たない、使えないやつなんて、いるだけ邪魔だった。それに――。


「守る分が増えると、いろいろ大変なんだよ」

「あっそう。じゃああんたは精々、その守るべき何かをずっと背負っていけば? 大したもの抱えてなさそうだけど」

 食い入るように反抗的な言葉を挟んできた赤髪の少女は、ついに踵を返してどこかへ走っていった。フミュウからも避けて、森の中へ飛び込んでいった。


「あ、待ってください――ラティス様! どうしてあんなことを……」

「事実を言ったまでだ。強さに意味を見出せなかったら、今を生きるのは難しい。怪物だらけの世界で自由になりたいならな」

 弱いままだと、すべてに従うしかないんだよ。そう口にしたとき、誰かに同じことを言ったようなと頭に引っかかった。流暢に動いていた口が止まる。

 言い聞かせたつもりで、フミュウを見る。しかしそこにいつもどおり従うはずのフミュウはおらず、じっとこっちに向けて反抗的な色を出していた。


「仲間に強いも弱いも関係ないです! いっしょにいるから、がんばれるんです!」

 そのとき、彼女の目から今にもあふれそうな潤いが見えた。

「わたし、もういちど会ってきます。ラティス様なんかだいっきらいです!」

 そう吐き捨て、赤髪の少女を追っていった。


「……きらいって、こどもかよ」

 いや15のガキだったな。さすがに、まだあいつには早すぎたかもな。そう思いつつ、湖の淵に添う木の下で腰を落とす。

 だが、なぜだろうか。この胸の淀みは。今までは何を言おうと言われようと全く動かなかったはずの心が締め付けられるような。


 ――あなたは本当、争いごとにもっていく天才ね。暴力も口論も。正論しか言わないからよ。


 そんな愛人の声が記憶として頭の中で反芻される。鼻をくすぐるセントジョーズの香り。あの日は小雨が止んで薄い虹が見えた昼頃だったか。

 俺は本当のことを言ったまで。去ったあいつらがわかっていない。それだけの話だ。


 ――人は正しさだけじゃ動かないの。人は弱いから、事実や正義は心を斬る刃になる。寄り添ってあげなきゃ。私にしてくれたときみたいに。


 弱いのがいけないのだろう。少なくとも俺は、あいつらの為を思って諭したはずだ。冒険者が盛んにいる以上、魔物がいる以上、武器が町に売られている以上、100年後の世界が平和になったとは考えにくい。まだ弱肉強食の世界が続いている中で、淘汰される弱者がその世界の前線に立つ意味などあるのか。


――ラティス。あなたが強くなれた理由は生き残るため? 頂点に立つため? ふふ、私に言ってくれたじゃない。まだまだ自分は弱いと責めていたあなたが強くなれたのは、弱い私を守るためだって。私がいるから、もっと強くなったんだって。


 その頃の話はよせと、恥ずかしがっていた自分が思い浮かぶ。そのあとあいつは、俺の隣に座ったんだっけ。


――人はね、誰しも弱いの。私もあなたも、どこかに弱さや、欠如したものがある。だから仲間を作るの。それは孤高の英雄よりも、世界を滅ぼす怪物よりも強くなれる。一人だけじゃできないことも、仲間がいたから乗り越えられたじゃない。


 だが、失った。

 俺は強さにこそ意味があり、価値があったと信じてきた。そこを極めれば、仲間なんてものは不要だと気付いたはずだ。


 ――はやく行け! ラティス! 俺の分まで生きろォ!

 ――僕のことはいい。あのとき君が僕を助けてくれたように、今度は僕が君を守る番だ。

 ――もっと、あんたといっしょにいたかったよ。ぁはは……あたしもあんたみたいにバカ強かったらなぁ……くやしいよ、ほんと。


 俺より先に死んでいく奴らを見るのはもう散々だ。

 だから俺は最強を目指したんだ。

 だけど。


 ――これ以上ラティスに手を出すなら……私を殺してからにしなさい。


 レベル100でも、俺の求める最強にはなれなかった。

 意味はなかった。むしろそれを目指すほど、失うものが多かった。完膚なきまでに、すべてをぐちゃぐちゃに潰された。

 同じ道の先を目指していた同志は、この結末をどう見る。湖面を眺める俺の顔は相変わらずの仏頂面だ。無性に腹が立ち、転がっていた石ころを投げ捨てた。水面みなもに伝う小さな波紋が、その男を歪めさせた。

 だが、それもすぐに収まり、やがて再びその顔が浮かび上がる。その隣にマヤの姿が見えた。ハッとし左を見るも、誰もいない湖畔が続くのみ。再び木にせもたれた俺は木の葉越しの鈍色の空を仰ぐ。


「一緒にいるから頑張れる、か」

 確かに俺はかけがえのないものを失った。だが、到達したからこそ、見えるものがあったのも確かだ。それができたのは、マヤの言う通り、一人だけでは為し得なかったことだ。

 そもそも、レベル100になれたのも、そこまで頑張れたのも。

「なんだよ……はは」


 あいつの言ったこと、正しいじゃねぇか。


「いい歳して大人気ねぇな……俺」

 短いため息。それは今のらしくない気持ちを入れ替えるのに十分だ。

 フミュウとあの娘を探そう。立ち上がった俺は森の中へと歩き始める。早朝調べた限り、この森にはそこまで危険な魔物はいないはずだ。危険な魔物に遭遇することは――なんだ、やけに変な発酵臭がふわりと漂っている。たどっていく次第に強まる。


 木々がなぎ倒されている。根までは掘り起こされておらず、鉄塊が豪速で森を横断したような幹の破壊具合だ。地面に等間隔で抉れた跡がそれに沿っている。種類の断定はできないが獣の足跡か。


 その跡を辿り、そして見つけたのは表面的にえぐれ、砕けた地面と半球型に穿たれた岩壁。そこに混じる動物の汗のにおい。……それに妙に焦げ臭さもある。生前に何度か嗅いだことのあるこれは。

攻城猪サンファンスコーフの臭い……まずいな」

 大量の熱量――いわば数多のエサを求める暴食豚に爆弾を積み込んだような危険生物がこんなのどかな森に来やがったのか。地上にいる種ならば、アベレージレベルは32だったか。なぎ倒された木々から、相当のご立腹の様子だ。いや、我を失っているような荒れっぷりともいえる。

 そういや、あいつの運勢階級はAだったが、それは今適用されているか?


――ブォオオオオォオオォオオオォオオオォ!!!


 小さな地震に、鼓膜を震わすほどの咆哮。いかにもここの環境には不適合な存在が近くにいることを確信づけてくれる。

 あぁクソッタレ。

「まったく、世話のかかるやつだ……!」

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