第20話 ひとりの夜も案外、悪くはない。
*
夜11番目の刻を迎えそうになる時か。魔道具屋の工房の裏口からノックして入ると、ロックが出迎えてくれた。
「すいません、夜分遅くに上がり込んでしまって」
「構わん。ちょうどいま、おまえさんがくると思ってたところだ」
サンドはもう眠ったと一言。やることは彼がやってくれた魔道具修理や整備作業の仕上げと装備の検証試験による課題点の発見と改善、規約に基づく品質管理チェックだ。当然、慣れないことなのでロックに何度も訊きながら、時に注意され、教わりながら作業を進める。
ずっと使う側だった俺にとって、道具を作る側のことは考えたことがなかった。あたりまえのように使い、壊れたら捨てる。武器と装備の相性、どの程度ステータスに影響するかしか見ていなかった。ここから見えることも、学ぶことも新鮮で、そして俺を省みさせた。
ひと通り終え、工房で夜のティータイムを迎えた。とはいえ、ロックはまだ魔道具をいじってはいるが。
「わしは昼に眠るスタイルじゃから良いが、おまえさんは眠らなくて大丈夫か」
「眠らなくてもいいスタイルなので」と返し、またも沈黙。再びロックが話しかけた。
「身寄りもないおまえさんが日中なにをしておるのか、まだ聞いておらんかったな」
「浮浪者と変わりないですよ」
「わしに嘘は通用せんぞ。おまえさんをここに雇った理由をみればわかるじゃろう」
聞いたところでどうするんだ。息をつき、口を開く。
「冒険者を目指す子の指導をちょっとね。あと三日で試験本番ですので、余裕はないんですよ」
「ほぉ、浮浪者が指導とな。その子は知り合いか」
「命の恩人でしょうかね。その
「それはまた興味深い境遇じゃのう。おまえさんも冒険者に?」
「いえ、俺はなりません」
なぜと言いたげな顔。俺の顔を見て詮索する気にはならなかったのだろう、体の向きを戻し、再び手を動かした。
「まぁ、冒険者の仲間で合意があるなら、そのライセンスがない者でも冒険者権限は特例として適用されなくもないが、不便じゃと思うぞ」
「それでいいんです。そもそも、俺は冒険者が好きじゃないので」
「本当にあの伝説の戦士と似たことを言うわい。その英雄も冒険者を嫌ったという逸話がある。同名だからって
「まさか。俺自身の気持ちですよ」
リスペクトも何も、本人だからな。またも沈黙が続き、またもロックから話題を振る。
「そういやおまえさん、独り身か」
そう見られていたのがつらいところだがどう返すか。
「ええ、まぁ」
「アクアをどう思う」
爺さん、直球が過ぎるぞ。しかしあえてはぐらかす。
「といいますと」
「あいつも女手一つで
俺からしたら迷惑な話だが、冷静に考えれば、そういう道もあるのだと、ひとつの可能性を考える。
「おまえさんがもしよかったらの話だが――」
「ロックさん、ご冗談もそのへんにして」
ゆったりとした羽毛の長いワンピースを着、長い金髪を結んでいるアクアが部屋の入り口に立っていた。
「なんじゃ、起きていたのか」と笑う。「さきほど覚めてしまって」とアクア。
「ま、なんであれお前さん次第じゃ。よろしく頼むよ」
微笑を目元の皺と口元で示したロックは工房を後にする。それを見送ったアクアは半ばあきれつつも、フォローを入れた。
「もう。あの人の言うことも本気にしないでくださいね。腕はいいけど、少し気を許すとお節介なお調子者になりますから」
いえ、と謙虚を示して返すとそれで終わらず、一歩踏み出せないような躊躇いを感じられたので「なにか」と声をかけた。
「こんな時間ですが、紅茶のおかわり、ダイニングの方でいただきますか?」
ダイニングの席に腰を下ろす。淹れたての紅茶は目を覚ましてくれる。
「短い間とはいえ、いつもお手伝いしてくださりありがとうございます」
テーブル越し、俺の正面に座った彼女はそう微笑む。明かりはついているも薄暗く、月明かりの方が目に入るくらいだ。そんな陰りを含む彼女は一枚の絵としてそこに完成していた。
「いえ、私からお願いしていることですから」
そう淡々と返し、続ける。
「父親の話を聞きました。魔道具師だったようですね」
一瞬、その表情が曇る。だが、親切にも話してくれた。
「ええ。ロックさんも認めているほどの腕はあったようで、評判もよかったと聞きます。でも冒険者に憧れはあったようで。実際に使う人たちがどのように活躍するのかをこの目で見たいと言って、飛び出てしまいました。開発も生き方も好奇心や冒険心に溢れていた人でしたから」
「男という生き物はどうも、勝手なところが多いみたいですね」と自身に向けた皮肉を含め、返す。小さく笑っては、
「ひどい夫だと言われたこともありました。でも、仕方ないことだと思います。それが夫の強さでしたし、私にとっての魅力でもありました」
「グラベルさん、ですよね。奥様にそう思われて、幸せだと思いますよ」
そう言うと、謙遜した笑みが返ってくる。
「いつの歳になっても無邪気な子どものようで、少し羨ましかった気持ちはなくもありません。それを一歩後ろから見るのが好きでした」
少なからず、俺と似ている節を感じてはいた。いや、重ねていたというべきか。
マヤは俺のことをどう思っていたのだろう。本心は常に言っていたのだろうが、やはり彼女のように、羨ましいという思いもなかったわけじゃない。
「なんだかすみません、私の話ばかりで」
「いえ、素敵な話だなと。息子さんもきっと、誇らしいと思っているでしょうね」
「ええ、自慢の父親だと今でも。サンドを見ていると、やっぱり親子だなと感じてしまいます。そのたびに嬉しくなって、でも少し複雑な気持ちになるんですよね」
「成長が楽しみですね」
「あれだけ元気ですから、きっと外の世界にも目を向けて、旅立つのでしょう」
その言葉は、どこか陰りを含んでいた。
「さびしいですか」
「いえ、いずれ来ることです。そのときはしっかり見送ります。それに、今は3人で暮らして幸せですから、これ以上のわがままは言っていられません」
ただ、と付け足す。
「夜はいつも、寂しい思いをしてしまうんです」
そう言った彼女は視線を逸らし、窓の外を見眺めていた。その横顔が麗しく見える。気のせいか、耳が赤くも見えた。
これが彼女なりの答えなのだろう。意図を察し、それに対しなにも思わないはずがなかった。
男というのはどうしてこうも、女の脆さに弱いのだろうか。
だが。
「夜も更けてきましたね。そろそろお暇します」
ダイニングテーブルの席から立ち上がった俺はエントランスへと足を運ぶ。彼女の顔は見なかった。なにも返事はなかったが、見送る足音は後ろから聞こえた。
扉に手をかけ、立ち止まる。このまま黙って去ろうと思ったが、振り返らずに、噤んだ口を開いた。
「失った辛さは私にもわかります。それがすべてだと思えたものがこの手から離れていく痛みは、さぞ日夜苦しまれたことでしょう」
「リーグマンさん……」
「でも、奥様には帰る場所も、大切にするべきものもあります。……星を見てはどうでしょう。夜も案外、悪くはありませんよ」
踵を返してはものさびしげだった彼女の目を一瞥する。このときに浮き出た微笑みは本物か否か、俺にはわからなかった。
「では、ハーブティー、ごちそうさまです」と言っては扉を開け、後にした。
……。
どことなく目の色が女のそれだったが、恥ずかしいのは俺の方だ。性に似合わずあんなことをよくもまぁ言えたもんだ。
夜空を仰ぐ。肌寒い風。不利でしかない闇夜。星など夜の地図に過ぎないと思っていた。隣に温もりがあった感覚は、今でも覚えている。
「これでよかったんだ」
そう呟き、静かな路を歩きはじめる。
夜も案外、悪くはない。
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