第19話 夜のひととき

 なぜだか宿屋の主おばさんから気前よく食材をいただき、調理したものをフミュウに分け与えたころには、すっかり日も沈んでいた。


 100年後の世界は便利になったものだ。ロウソクや松明程度でしか明りを確保できなかった夜も、いまではよくわからない魔法や鉱石によって十分な明りを保ち続けている。調理するのに使う火も、申し分ない。食材の貯蔵に長けた冷却の箱。建物の中でも心地いい風が流れ、空気のよどみの一切を払いのける。医療や軍事でしか使われてこなかった魔法が、今では生活の一部として機能しているようだ。


 月明りでしか頼りがなかった頃とは程遠い、真夜中を迎える前でも明るい宿の一室。二階から覗くこの町の景色からはぽつぽつと窓から明かりが漏れているのを見眺めつつ、「おやすみなさいです」とベッドに入ったフミュウを見ては、俺は外に出ようとした。魔道具師ロックの店の手伝いだ。


「どこに行くんですか?」

「ちょっとな。おまえは先に寝てろ」

 前は「わかりました」とすでにとろんと眠そうな声で答えてくれたものだが、今日は違った。


「そういえば、ラティスさまが寝ているところ見たことないです」

「先に寝るからなおまえは」

「昨日、ちょっと起きた時ラティスさまいなかったんですけど、どこにいってたんですか?」

「外の空気を吸いたくてな」

「で、でも、さきほど宿屋さんが今日も泊まっていかないのかいって言ってましたけど」

 面倒な時に限って鋭くなるなこいつは。だがあまり夜間働いていることも言いにくい。寝てないのだからな。


「……野宿してるんだよ」とうそをついた。

「そんな! ということは、今までも外に……? も、申し訳ないです! でも、どうして言ってくれなかったのですか?」

「別に言うほどのことでもないだろう。言ったところでどうにかなる話でもなさそうだしな」

「こ、ここに泊まってください!」

 面倒なことになったな。眉をひそめる。


「金はどうするんだ。俺の分まで払うわけにはいかんだろう。勝手にこの部屋に身を置いたとして、ペナルティが下るのはおまえの方だ。そこまで迷惑をかけられん」

「そんなこと絶対ないです! むしろ私の方がラティスさまにご迷惑をおかけしっぱなしですから! まってください、私からマスターのおばさんを説得してきます!」

「おい! 余計なことは――」

 またどっかの角に足の小指ぶつけたらどうするんだ!

 だがそんな恐怖ステータスはごっそりどこかに持っていかれたのだろう、どだだだ、とあわただしく階段を下りる音が響くだけだった。


 それから3分も経たないうち、ドバン! とドアがやかましく開いた。満面の笑みのフミュウが入ってきたあたり、返事は良かったのだろう。

「オッケーでーす! なんと、宿代も払わなくてよくなりましたー!」と万歳する。大きな胸がバインと揺れたのが目に入る。


「よく説得できたな」

「はい! 男女同士、お楽しみの夜を過ごしてねって快くいってくださいました!」

「……おまえマスターになんて説得したよ?」

 いや、言わなくていいがと付け加えた俺は答えを求めなかった。もう手遅れだろうし……いやなんで男女関係になっている。せめて師匠と弟子だろ。年齢差に違和感を抱かなかったのかおまえとマスターは。

 再びフミュウはベッドに入ろうとする。俺は椅子にでも座っているか。

「はい、ラティス様! どうぞ!」

 とかけ布団をめくり上げ、入ってくださいと招き入れる。


「そこはおまえの寝る場所だろ」

「いえ、今日はラティス様が寝てくださいまし! 私のためにいろいろしてくれましたので」

「おまえはどうするんだ」

「私は床で――」

「馬鹿。いいからそこで寝てろ」

 フミュウの肩に手を置き、ベッドに座らせる。謙遜と言う名の抵抗を見せる前に人差し指で彼女の額をつんと押し出した。

「はにゃっ」

「子どもが変な気遣いをするな」

 コロンと簡単にベッドに転んだ彼女にそう言う。


「うぅ……わかりました。寝かせていただきます」

 腑に落ちないような顔をしたが、素直に従い、ベッドに入る。反して寝るそぶりも見せない俺に、少し気になったのだろう。


「ラティスさま、寝ないのですか?」

「そんな気分じゃないだけだ。おまえは早く寝て、明日に備えろ」

「外に出ませんよね……?」

「わかったよ、今日はちゃんとおまえのそばにいる。だから早く寝ろ」

「……! はい、明日もよろしくお願いします! おやすみなさいです」

 元気に布団をかぶったが、すぐにはねつけるタイプではないだろう――ってもう吐息を立てている。熟睡までの速さだけは世界記録か。

 ベッドのそばの床に座っては背もたれる。こうやって脱力したのはなんだかひさしぶりな気分だ。


「……」

 この肉体になってから数日、気付いたことがいくつかある。

 アンデッドの体質によるものなのか、この体は睡眠を必要としていないらしい。よく思えば、空腹感もない。


 あのときのウェアウルフや今日の魔物につけられた傷も痕残らず治っている。再生能もすぐれているみたいだ。当然、怪我すれば痛みが伴うが、こちとら痛みやえぐるような欠損にはガキの頃から手慣れている。うまく応用すればそこそこの戦術を組み立てられるだろう。捨て身のスタイルとあれば容赦もリスクも不要、生前できなかったことが今、できるというわけだ。

 問題は素体のスピードと筋力、そして防御力。魔道具や薬剤だけでは厳しいか。どうやってカバーするか。


「あの……」

 小さく聞こえた子犬のような声。視線をフミュウへ向ける。

「なんだ、起きていたのか」

「ラティスさまって、本当にあの、レベル100に到達した伝説のお方なんですよね」

「確かにレベル100にはなっていたが、なんだ、いまさらになって俺が本物じゃないと疑えてきたか?」

 まぁ、疑う方が正しい。今回、いろいろ都合よくうまくいっているのも、彼女の人の好さがあってこそだ。9割9分、疑心暗鬼で接するか、気前よく振るっておいて利用したあと裏切るかだ。


「いえ! ラティスさまは紛れもなく本物です! 疑うだなんてそんな……!」

「おまえに断定されてもな」

「す、すみません。あの、それでなんですけど、レベル100なんて、ほぼ神様に近い力を手にしたのに、どうしてお亡くなりになったのですか?」

 ランクEの頭だと思ってはいたが、そこまでではなかったようだな。

 少し考えたあと、ふっと笑っては、


「さぁな。神の領域に近づいたから、神とやらが怒って天罰を下したんだろう」

 と冗談を言ったところで、

「無駄な会話は終わりだ。明日に備えて早く寝ろ」

 横になった頭をポンと手を置き、椅子へと腰を下ろす。「ふにゅ」と変な声を漏らしたが、それを最後にやっと寝付いたようだ。


 ……神の領域か。

 声に出したかすらわからないような、しかしそんなことはどうだっていい。もう一度、そこにたどり着けたら――。

「……はぁ」

 やめよう。変な憶測は妄想を見るだけだ。窓越しの月明かりに照らされる町中に目をやる。やっぱり俺はじっとすることは性に合わん。

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