第5話 死なずとも勝てず

 少女は親切に、年度と場所を教えてくれたところで、防護性の欠片もない麻の服を着た俺は思わず声をあげてしまった。


「あれから100年も経っているのか!?」

 そしたら、マヤはもう……。

 還るべき場所も失ってそれだけの時が流れたら、行先も消息もわからないどころか、もうこの世にいないではないか。


「ひゃ、100年前に生きていた人なんですね」

「ここがイルドア王国東部となると……アトラン海を越えているのか」

 この国に訪れたのは俺が生きていた20年前、いや、それよりもっと前だったか。だとすればここの森は「エシリスの寝床」か。そこらに生えている修羅落薬カンポラの樹や猪様鳥シシドリのケリケリと乾いたさえずりには覚えがある。

 ここで採れるアスカニオ石が爆薬の素だとは知らず、採掘途中で地面ごと吹き飛んだのも、懐かしい話だ。素材豊かな場所だが、時を経てもまだ開拓の跡は見られないな。


「あの、海って……どこに住んでいたのですか?」

「ホルミル。俺が100年前に住んでいた町だ」

 そして、死んだ場所でもあるが。少女は了承の代わりに小さくうなずいた。


「ここからだとかなり遠いがな。それで、ここから君の家は近いのか?」

「一応、宿屋に」

 宿があるなら、道具屋もあるだろう。彼女も宿に泊まるだけの資金はあるようだし、


「じゃあ金に問題なさそうだな」

「いえ、そろそろ問題になりそうで……」

 そういいながら、申し訳なさそうに彼女は全財産をご丁寧に提示しようと右手の左指にはめていた指輪に触れた。いやわざわざ見せなくていいんだが、そもそもなぜ指輪を取ろうとしているんだ。


 という俺の疑問はすぐに解消される。指輪をつまみ、スッとなでると空間に立体的な光のパネルが表示された。まるでステータスウィンドウにみえるそれには287Rawロウと小さく映し出されていた。まさかその指輪が財布だとでもいうのか。

 突然の発展した魔法技術を見せられ固まっていた俺だが、ジェネレーションギャップを考慮していない彼女の申し訳なさそうな顔を見て、


「これは少ない方なのか」と訊いた。こくりとうなずく。「食費も入れてあと3,4泊かと」

「収入は? そもそも職業はあるのか」

「昼は宿屋や商店街でお手伝い、夜は宿の隣にある酒場でウェイトレスを……」

「へぇ」と簡素な返し。特に感想もない。

「でも、これでもわたし、本当は冒険者になりたいんです。そのために装備をそろえて、魔物をなんとか倒せるようになって……」


 冒険者か。俺は腕を組み、どんな職業だったかを思い出す。

 物を採集したり魔物を狩ったり、古代の宝や未開地を発見したりと、業務内容は多種多様だが、危険な場所へと挑む公務的な戦士といった位置づけだろう。基本時間や場所にとらわれず好きなように生きていける。

 そのうえ、生活できる分の金も安定して寄付してくれるし、医術機関の待遇も良いと聞く。ともあれ、誰もが一度はあこがれる冒険的ハイリスク高収益職ハイリターンクラスだ。まさか100年経ってもその職業が生き残っているとはな。


 世界を渡り歩いていた俺もやってきたこと自体はその類と似るだろうが、ギルドから公認されてないと無免許扱いで待遇はよろしくない。いわば浮浪者と同等だ。


「ちなみに元々のレベルは」

「えっと……よ、4……です」

「Oh」

 かけてやれる言葉が見つからないほどまでに低い。当時でも冒険者になりたかったら最低でも10は要るぞ。サポーターの合格最低ラインの方だが。

 俺の反応は予想していたようで、少女も「ですよね」とつぶやく。


「魔物を倒すことは毎日続けていたんです。でも、あるときから一切上がらなくなって……」

 なんだか話が長くなりそうだ。その話は今度聞く、と軽く流す。


「まずはその近くの町にいこう。案内できるか?」

 落ち着けるとこで互いの情報を交換する必要がある。まだ事情を知らないし、聴きたいことは山ほどある。

 快く返事をしてくれたところで、茂みをあさる音がかすかに聞こえた。右からか。視線を向けると、2メータは下らない、人のまねごとをした筋肉質の犬の魔物ビーストが目についた。


「ひっ、あれって」

「なんだ、犬か」

「あれをどうみたら犬になるんですか! 人狼ウェアウルフですよ!」

 事実、二足歩行ができる犬ってだけだが、確かにOオル-ウェアウルフの肉体は硬く刃で断つも突き刺すも難しい。凝り固まった肉のくせして身軽で柔い動きをこなしてくる。素人ではすぐにやられてしまうだろう。


「しかし、奴は夜行性で、集団行動をとるはずだ。なぜこんな時間に一匹だけ彷徨っている」

 とはいえグッド極まりないタイミングだ。毛皮だけでは不十分だが、精霊からいただいた服よりは防護性に優れるだろう。あと温かい。

 だが、このステータスが事実なら、俺はあの犬よりもレベルが低い、最弱の存在だ。さてどうしたものかとおびえる少女に目をやる。


「おい」

「は、はいっ」

 せっかくだ、この娘に戦ってもらおう。HP1だろうが、防御力も回避も十分にある。当たってもダメージはないだろうし、まず攻撃は当たらない。


「あれぐらいなら倒せるだろ」

「え、で、でも、あの魔物、けっこう強くて――」

「もし本当に俺のステータスを継いでいるなら、あの程度はすぐ倒せる」

 というかアマチュア冒険者でも倒せる。夜行性のくせしてこんな天気のいいところお散歩とは愉快なものだ。


「魔獣(あれ)を切り裂くには奴が動き出す瞬間を狙うのが最適だ。爆発的な速度を繰り出す寸前、赤ん坊のように肉が柔くなるからな」

「その瞬間を見極めるってことですか?」

「できないなら力任せにぶった斬れ。油断している今がチャンスだぞ」

「わ、わかりました!」

 はぁああああっ、とわざわざかわいらしい声をあげてつっこんでいく。剣の持ち方、走り方はさすがにド素人というわけではなかったが、あれでは本来のウェアウルフには勝てないだろう。まぁ俺のステータスを継いでいるんだ。たとえ引き継ぎ相手が6歳のガキでも適当なパンチで巨象をぶっ飛ばせるくらいはあるはずだ。

 すぐに片がつく――。


「てぃっ!」

 と思ったが。

 ドムッ、と鈍いが情けない音。力任せに長剣をたたきつけてはいたものの、完全に衝撃を吸収されているのは、ここからの距離でも十分に分かった。


「……あれぇ?」

 当の本人も首をかしげる始末。あれぇ? と言いたいのは俺の方だ。

「おい……ふざけてないよな?」

「ぜ、全力です」

 この女、ステータスを無効にするスキルでも持っているんじゃないのか? だとしたら呪いだ。割と本気でそれはやめてくれ。冗談になってないぞ。


「じゃあなんで倒せない。レベル5から8程度だぞ」

「な、なんででしょう」

 そうこうしているうちに、さすがの寝ぼけていたウェアウルフもこちらに敵意を示したようだ。グルルル、とうなり、その青灰の毛むくじゃらから白銀色の鋭い爪を立てた。


「っ、危ねぇ!」

 あのバカ、さっさと避けろ!

 間に合ったか否か、駆け付けた俺は彼女を押し倒さないように、魔獣の攻撃範囲から除けた。


 ――ゴキャッ! と切り裂くというよりは、骨ごと爪をめり込ませたような音が脳に警鐘を与える。

 こんな獣の一発、それこそ虫に刺されたか程度で済んでいた。だが今はどうだ。紙切れのように吹き飛び、着地もままならずに地面を強打しては跳ね上がって、木の幹に見事ぶつかったではないか。

 ――と冷静に自分の状況を解説できるあたり、生命にかかわるダメージは本当にないようだ。出血は凄まじさ極まるが、痛みも緩和されているようで、苦痛というものをあまり感じない。


「やったな、わんころ野郎……」

 だがここまであっけなく吹き飛ぶのは気に食わない。折れて先端が鋭くなった枝と転がっていた手頃なサイズの石を手に、俺は犬の動きを見逃さないようにした。動体視力も筋力も、俊敏性もレベル1だろうが、それでも経験は生かされるはずだ。一瞬のスキを知っていれば動きを先読み――


ッ!」

 一瞬のうちに距離をゼロにぶっ潰してきた獣はぬらりと光る牙を向ける。一気にかみ砕こうとぱっかり開いたアゴ。筋肉が緩み、防御力が急低下した首を、視界に頼らず俺は前に飛び、太枝の折れた先端を突き刺した。

刺さったが貫通の手ごたえはなし。喉をつぶした程度か。


 ――グルォロロロォ……コッ、カ……。

 全体重かけてそのまま前に転がった俺はすぐに起き上がる。呼吸困難に陥り千鳥足になっている隙に――犬人間の頭部にとびかかっては手に持った石で殴りつけた。

 ゴッ、と鈍い音。もう一発でいける。

 だが、それは敵わず、血でにじんだ眼球が俺を睨み付けた瞬間、強い衝撃が頭部を揺るがした。天地がひっくり返り、体も意識も、強く保っていた意思もふわりと宙に舞った。


 あぁ、畜生。

 レベル1って、こんなにも非力だったのか。


 再び脳天に強い衝撃が打ち付けられる。首が変な音を立てたような。

「だっ、だいじょうぶですか!?」駆け付けてきた少女の声にこたえるように、俺はうめき声を立てながら起き上がる。

 不死身――HPの概念がないのは本当のようだ。幸い再生能も高いようで、折れたはずの脆弱な首も、骨まで裂けた横腹と頭部も修復・再生を始めており、言葉にできない激痛も攻撃を受けた一瞬だけで、今はうずうずとかゆいだけ。

 だが……勝てない。

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