第2話 Level1 ―人類最弱の男と一糸纏わぬ少女―

 なんだか深い眠りに沈んでいた気がする。

 何かに包まれている。温かく、心地がいい。記憶にはないが、まるで羊水の中に浮かぶ胎児にでもなったようだ。このまま、またまどろんでゆっくりと眠りにつきたい気分だ。


 その前に体を伸ばそう。息も大きく吸って――。

「がぼごっ!?」

 いや息ができねぇ!

 ここどこだ! はやく! はやく息を……!


 光が差し込む水面へと手を伸ばす。水をかき分け、顔から突き出した。首輪から放たれたように体の自由が利き、頭が冷静になって、ここがそこまで深くない水辺だということに気が付く。太ももあたりまでの深さだ。


「あがっ、おぁぁ」

 鼻が痛ぇ。

 水にぬれた顔を拭う。しょっぱくはない。淡水、それもきれいな水だ。


 まだ目がかすんであたりはぼんやりとしているが、ここは泉か? 耳鳴りの中に聞こえてくる鳥のさえずりに、濡れた体を涼めるそよ風、ちらちらと当たる強い光と温かさは木漏れ日か。だとしたらここは森の中だろう。一見、浅瀬も近く、少し進めば水かさが下がったように感じた。


 肌の感覚も鋭敏になったところで、身にまとうものがひとつもないことに気が付く。しかしそれよりも。

 どうしてここに? さっきまではなにをして――。


「っ、マヤ! マヤはどこに――」

「えっ、ぁ、待っ――きゃあ!」

 バシャ、と重い水を急いだ足でかき分け、倒れるように前へ進んだときに聞こえた、かわいらしくもハリのある明るい声。

 まずい、誰かを押し倒してしまった。ぼやけていたとはいえ、なぜ気付けなかった。


 間一髪、全体重をのしかかってしまうことは避けた。とはいえマウントをとる形になってしまったが、それとは反発するように胸部に当たる柔らかくもハリのある大きな何かがクッションになったのも、衝撃を避けられた要因だろう。生の肌と肌とで触れる、きめ細やかでやわらかい人肌。涼む水の中にわずかに感じる人の体温。


 眼前には皿のように丸く開いた蒼穹の瞳。齢10代後半と思わせる年相応の少女、だがなかなかお目にかかれないほどのかわいらしい顔立ちに、一瞬だけだが巧みな職人が作った人形かと錯覚してしまった。だが、少女の吐息が唇と鼻先に当たるのを感じて、我に返った。


「ッ、すまん! 怪我はないか!」

 すぐさま起き上がった。不注意で女性を押し倒してしまったことに、強い罪悪感を覚える。


「はぅ……あ、い、いえ! だいじょうぶです! わたしこそ、ぼーっとしちゃっててごめんなさい!」

 俺が起こそうとするまでもなく、ひっくり返るように少女は慌てて胸を腕で隠しつつもぺこりと頭を下げた。

 まさか謝り返されるとは思いもしなかった。なんと礼儀正しいことか。しかし、こんなところでぼーっとしていたというのも変な話だが。


「ほ、ほんとうにできちゃった……」

「!?」

 なにができたんだ。なにをしちゃったんだ俺は。


 今の発言で一気に理解不能の域に急降下したぞ。叫ぶこともなく、ただぽぅっと呆けた様子に引き下がった俺は、やはり彼女も一糸まとわぬ裸体であると再確認した途端に、さきほどの感触が鮮明に再現されてしまう。


「なんで裸でこんなとこに――いや、それよりも君は……?」

 邪念をかき消し、尋ねた。水浴びの最中だったなら災難極まりない事態に弁解の余地がないが、そうでもなさそうな雰囲気に、戸惑いを隠せない。何か知っているのか。


「えっ、あ、あの、わたし! えっと、願いたいことがあって、それで召喚術の用意をして、ええと、それは魂みたいなのを呼び寄せる儀式らしくて、そのっ、契約、するというのって」

 少女にしては容姿も顔もランクAだが、頭はランクEあたりといったところか。……我ながら失礼極まることを考えてしまった。


 見たらだれでもわかるほどまでに、かなり挙動不審だ。裸体の男を前にパニックになっているのも同情せざるを得ないとはいえ、いかにも頭が悪そうな言葉の羅列を並べてくるため、言いたいことをつかみにくい。だが饒舌に語るペテン師よりはまだ信頼できるか。


「召喚? 俺は君に召喚されたというのか?」

「あっ、はいっ! あなたは願いをかなえてくれる聖霊さまなんですか?」

「せい、れい……? 俺は人間だが」

「へっ?」

「え?」


 話がかみ合わない。このままぎくしゃくするのも癪だが、断片的な情報から察するに、俺は一度死んで、偶然召喚の儀に魂が応じてしまったというわけか。

 そうか、やはり俺はあのとき……。


「おそらく、君が召喚したのは聖霊ではなく、死者の魂だったようだ」

 声にならない驚きを発し、彼女は口を両手で覆った。相当聖霊様とやらに会いたかったそうだ。


「君の期待には応えられなかったが……結果として俺の命を蘇らせてくれたことには感謝する」

「いえいえっ、そんな、全然です」

 反射的に謙遜の声をあげる。ここまで気のよさそうな娘は今までにいたかどうかの逸材だ。報われないのもあれだから、何かしてやりたいところだが。


「けど、俺は精霊でも悪魔でもない。悪いが、願いがどうのとか、そういう力は持っていない。それに、すぐに行かなくちゃいけない場所があるんだ」

 すまない。そう俺はうつむき、水面に映る顔を見つめる。波紋にかき消されたが、ひどく疲れた壮年の顔であることに変わりはない。だがあのときのひどい傷の一切がなくなっていたことに疑念を抱く。思えば全身の激痛もない。回復するだけの時が経ったのだろうか。

 少女の横を通り過ぎ、泉から上がった俺はひとまずステータスを視界の中に表示させた。


【STATUS】

 ・Name:Unset(未明)

 ・Level:1

 ・Age:-


【PARAMETER】

 ・HP(ライフ):-

 ・MP(マナ):0/12

 ・AP(攻撃総数):19

 ・DP(防御総数):13

 ・SP(速度総数):15

 ・PP(体力総数):14/17

 ・LR(運勢階級):D


【SKILL】

 ・Nothing(なし)


【TITLE】

 ・Undead(不死)


 ……は?

 え。は?

 待て。落ち着け俺。冷静になれ。ぼやけた目をしっかり凝らせ。今のは見間違いに違いない。

 さぁ、もう一度見直して………………は?


 全部の数値が二桁? あんなにあったスキルは? というか名前は? 年齢は? HPどうした仕事しろ。


「どうなってんだ俺のステータス……? アンデッド? それになんだこの数値。レベルは……1!? え、いちぃ!?」

 横にきちんと並んでいた0ふたつはどこに駆け落ちした。表示がぼやけているわけでも……ない。正真正銘、レベル1だ。

 ……おい嘘だろ冗談じゃねぇぞッ!!


「あの、どうかされました……?」

「ない! 俺のステータスが! レベルが! どこにいった! なんで消えたんだァーッ!!!」

「お、落ち着いてください!」

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