第27話 施設の崩壊

「ま、待って……ありえない! ありえない! どういうこと!」


「飯塚。お前の負けだ」


 俺の勝利宣言に飯塚は頭を抱えた。そして、壁に頭をガンガンと打ち付ける。飯塚は無実の人間を施設に収容しようとしていた。そのことが白日のもとに晒されたわけだ。


「飯塚……無実の愛を収容しようとした責任取れるんだろうな?」


「ま、待って! 本当に、お願い。待って! 待って! 待ってよ」


 飯塚がどれだけ叫んでも時は戻らない。飯塚が証拠不十分で、ロクな検査もせずに愛を施設送りにした事実はもう覆らない。


「そ、そうだ! インチキ! イカサマだ! そうとしか考えられない! 伊吹君! 今、白状するなら、許してあげる! あなたイカサマをしたでしょ!」


「は? イカサマ? 言うに事欠いて俺をペテン師呼ばわりかよ。最低だな。そこまでイカサマを主張するんだったら、俺がイカサマをした証拠を提示できるんだろうな!」


「そ、それは……」


「俺は正当な手続きを踏んで、飯塚が推奨する信頼できる機関に愛の脳波を調べてもらった。そこを疑うんだったら、いくらでも調べてくれても構わない。だが、なにも出なかったらどうなるかわかってるよな?」


 飯塚はへなへなとへたばった。イカサマの証拠なんて出て来るはずがない。だって、俺の協力者にはパソコンの大先生がいるんだからな。


 猪川氏。彼が脳波の測定装置に細工をして、偽の波形を画面に表示させた。愛の脳波とは全く関係ない波形だ。当然、俺に恋愛感情を持つ波が出て来るはずがない。


 そして、このプログラムのタチが悪い所は、使い切りだということ。1度使用すれば、何の証拠を残さずに完全消滅する。


 本当に猪川氏が味方で良かった。あのアフロディーテ・プロジェクトのAIを作り出したほどの実力の持ち主だ。電脳の世界で彼に敵う者などいないだろう。


 だから、俺としては状況証拠の不確実さを訴えて、脳波測定まで持っていければ勝利確定だった。飯塚の方も脳波測定まで持っていければ勝てると思っていたんだろうけどな。そこが付け入る隙になった。


 もし、飯塚が先んじて脳波測定で証拠を強固なものにしていたら、俺は勝てなかっただろう。飯塚の怠慢。それに救われたな。


「じゃあな。飯塚。俺は愛を連れて帰る。さあ、愛……帰ろう」


 俺は脳波測定を終えた愛の手を握った。


「うん、伊吹。助けに来てくれるって信じてた」


 俺と愛は悔しがる飯塚を尻目に施設を後にした。


 施設の駐車場には、愛の母親の車が停めてあった。俺と愛の姿を見た、愛の母親の顔がパァっと明るくなった。


「愛!」


「お母さん!」


 愛の母親が車から降りてきて、愛と抱き合った。2人はお互いに涙をしている。俺もついもらい泣きしそうになった。


「お母さん……お母さん……」


「愛……愛……」


「その……心配かけてごめんなさい」


「いいの愛……あなたが無事に戻ってきてくれただけで、お母さん嬉しいんだから」


 俺はしばらく沈黙していた。親子2人の時間に水を差すのは野暮というものだ。


「愛。帰りましょう。いつまでもこんなところにいてはいけない」


「うん」


 2人は離れて、それぞれ車の方向に向かった。


「伊吹君もありがとうね。愛を助けるために頑張ってくれたんでしょ」


「いや、俺は……なにもしてないです。俺はただ、周りの人に協力を要請しただけで、俺1人の力じゃ愛は救えなかった」


 実際そうだ。愛が将来の夢が女優だったことを俺はすっかり忘れていた。小学校の時の文集で見たはずなのに。愛の母親が覚えていなかったら、俺はその突破口に気づけなかった。


 愛が漫画のセリフをそのまま言ったのにも救われた。愛は咄嗟の機転でそう言ったんだろう。もし、これが誰かに知れ渡っても演技だったと言い切れるように。


 そして、一番の功労者は猪川氏だ。彼がいなかったら、この作戦そのものは成り立たなかった。物的証拠として脳波の波形を提出されたら終わりだったんだ。


「そんな謙遜しないで。あなたの行動がみんなを動かした。さあ、帰りましょう」


 俺たちは車に乗り、愛の自宅を目指した。その道中で俺はふと愛に質問してみた。


「ところで、愛。どうして、あのマンガを持ってたんだ。その……俺と同名のキャラがいるマンガを」


「うーん……それはね。あのマンガのヒロインに自分を重ねたからね」


 愛はそれ以上なにも言わなかった。あのマンガが俺と同じ名前だったのは偶然だったのか。それとも、愛が意図的に選んだのか。今となってはわからない。だが、あのマンガのお陰で愛は救われたんだ。作者に感謝しないとな



 数日後、自由恋愛をした者の人格を矯正する施設。それが解体された。飯塚が責任を取らされた際、過去の不正やらなんやらも色々と発覚したのだ。


 飯塚が所長のパートナーとして好き放題していたことも問題視されたし、所長は所長で飯塚を守るために裏で画策をしていた。


 所長も飯塚も施設を追放されて、留置所に入れられてしまった。これから、たっぷりと今までの所業のツケを支払うことになるだろう。


 こうして、施設は機能しなくなったことで、実質的に自由恋愛に対する罰則のようなものはなくなったのだ。施設が新しい体制を整えるまでの間、その時に発覚した自由恋愛は追及しない方針だと政府が発表した。つまり、一時的な自由恋愛の解禁となったのだ。


 とはいえ、世の中の大半の人間は自由恋愛に異を唱えている。これで沸き立つ人物はあんまりいないのが現状だ。


「ねえ。伊吹くん。愛さんのところに行かないの?」


 俺は真奈のマンションでゴロゴロとしていた。


「んー……」


「今は施設がなくなって、実質的に自由恋愛の罰則がないんだよ? 今だったら愛さんと自由に触れ合うことができるのに」


 確かにその通りだ。罰則がないということは、やっちゃいけないと言われているだけで、法を守るメリットなどそんなにない。ただ、倫理的に破るか破らないかの話だ。


「真奈は俺が愛のところに行って欲しいのか?」


「欲しくないけど! わかりきってる質問しないでよ。伊吹くんの意地悪!」


 真奈が口を尖らせる。その姿がなんとも可愛らしい。


「俺も今回のことで色々と反省しているからな。俺は最悪自分が施設送りになれば、それで済む話だと思ってた。でも違った。実際に施設に収容されかけた愛を見て、周りの人間がどれだけ心配して、どれだけ傷ついたか。それを身を以って思い知ったんだ。そして1番精神的にしんどい思いをしたのは愛だ。愛にそんな負担をかけさせた以上、合わせる顔がない」


「でも、愛さんはきっと伊吹くんに会いたいんだと思うよ。心が傷ついているのなら、余計に伊吹くんに癒してもらいたいのかも」


「どうだかなー」


 俺には女心がわからない。この時、愛とどう接するのが正解なのか、さっぱりだ。


「伊吹くん! ダメだよ。こういう時こそ、愛さんを支えてあげなきゃ。愛さんの気持ちが離れちゃうよ」


「真奈的にはそっちの方が嬉しいんじゃないのか?」


「そうじゃない……そうじゃないんだよ伊吹くん……」


 俺は怖い。愛と2人きりになるのが。今は大丈夫だとわかっていても、またいつ目を付けられるのかわからない。その時になったら、もう1度愛を守れる自信がない。今回は本当にたまたま運が良かっただけだ。周りのみんなに助けられて、運も味方して、そうしてやっと助けられたんだ。


「伊吹くん。私が本当に好きな伊吹くんはそんなこと言わない。私は、伊吹くんの自分の気持ちに素直なところ。例え、相手が誰であっても立ち向かって行けるところ。そして、目指している先に私も連れて行ってくれるところ。そういうところが好きなの。今の伊吹くんはいじけているだけじゃない」


 真奈の指摘は鋭かった。俺は、ただ単に愛に怖くて不安な思いにさせたことで、自分自身に責任を感じている。しかも、責任を感じているだけで責任を取るために何1つ行動を起こそうとしていない。


 確かにこのままではダメだ。これじゃあ、愛どころか真奈にも愛想をつかされてしまう。


「ごめん真奈。やっと目が覚めたよ。俺がやるべきことは1つしかないんだ」


「伊吹くん。わかってくれたんだ……よかった」


 真奈の目には涙が浮かんでいた。


「あ、ごめんね伊吹くん。私が泣いてたら行き辛いよね。でも、私……面倒な女だから。伊吹くんには愛さんのところに行ってほしい気持ちはあるけれど、このままここにずっといて欲しい気持ちがあって……なに言っているんだろうね」


 人間とは矛盾だらけの生き物だ。自分の本当の気持ちさえわからない。色々取りたい選択肢はあっても、結局選べるのは1つだけなんだ。


「ごめん、真奈。俺は行ってくるよ」


「うん、行ってらっしゃい」


 俺は真奈よりも愛を選んだ。きっとこれが最適解だと思うから。

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