第26話 決戦
「ねえ。伊吹君。それで、私に勝ったつもりなのかしら?」
飯塚が口調を崩してきた。先程までの敬語を話していた口調とは一転して、まるで子供に話しかける母親のような声色になる。
「あはは。可愛いんだから。どれだけ、私の調査が不十分なことを上げようとしても、私には決定的証拠があったの忘れたのかなー? んー?」
決定的証拠。それは恐らくアレだろう。愛が俺にキスをして告白してきたというやつだ。
こればかりは、飯塚も目撃しているし、他の生徒も目撃している。覆しようがない決定的な証拠だ。
「愛ちゃんはねー。伊吹君のことが大好きなんだよー。大好きで大好きでたまらない。それはもうキ・スしたくなるほど大好きなの。その時の映像が残ってるよ。見る?」
「いいや。見る必要はない。だって、あの時の愛は演技をしていただけなのだからな」
か細い論理だ。キスが挨拶となる国はあるのだが、ここは日本だ。そんな理屈は通用しない。キスは愛する者同士がする行為。それはこの国の常識である。つまり、パートナー以外とキスしたところを目撃されたら即アウト。施設送りの案件である。
その一発アウトをセーフに変える魔法のワード。それは演劇、お芝居。そうだ。演劇の本番や練習だったら、パートナー以外とキスをすることも許される。それは、あくまでも男女が愛し合う行為なのではなく、キスシーンという画を取るために必要なことだからである。必要だから仕方なくキスをした。それこそがキスで収容を逃れる唯一の方法だ。
「は? いやいやいや。ありえない。楪 愛が? 演技で辰野 伊吹にキスをした? あははは。苦し紛れの嘘はやめてよ!」
「嘘じゃないわ」
愛の母親がガタっと立ち上がった。
「これ、愛の小学校の頃の卒業文集。将来の夢のところに女優になるのが夢と書かれているの」
愛の母親が卒業文集を開き、該当のページを開き指さした。そこには確かに、小学校時代の愛の筆跡で将来の夢が女優になることだと書かれていた。
「そ、そんなの子どものころの夢じゃないですか! 愛ちゃんはオーディションを受けた経歴もない。所詮、夢は夢のままで終わったんですよ!」
「なんですか? オーディションを受けてなきゃ女優を目指していないって言えるんですか? 愛は密かに演技の練習をしてたんですよ? それは友人の私が証言します」
これはハッタリだ。だが、友人と2人きりの会話をなかったと立証することは無理だ。愛が友人にだけ、女優の夢を諦めてないことを伝えていた。それを反論する証拠はこの世界中を探してもどこからも出てこないのだから。
「それが仮に演技だとして、どうしてあのタイミングでする必要があったのかしら? それと演技には必ず台本というものがあるでしょ! その台本を提出しなさいよ!」
飯塚は完全に冷静さを失っている。施設に収容するということは、それ相応の根拠があってのことだ。つまり、収容した側にも責任はある。もし、収容が不当なものであった場合。愛を収容した飯塚は責任を取らされてしまうのだ。
「それはつまり、台本さえ見つかればアレが演技だったと認めるわけだな?」
「ええ。認めてあげるわ。どうせ、そんなもの世界中のどこを探したって出てこないのだから」
言質は取った。つまり、証拠さえ提示できればもうゴネられることはない。飯塚の調査が杜撰で収容が見切り発車だったことを示すのはこのタイミングでしかない!
俺はバンと1冊の本を置いた。
「へ? なにその本は……?」
「愛の部屋にあったマンガだ。愛はこの登場人物になりきっていたんだ」
俺はこのマンガのページをパラパラとめくった。そして、あるページを開き、そこに書いてある文字を俺は読んだ。
『伊吹。愛してる。世界中の誰よりも』
「んな!」
俺が開いたページがヒロインの女の子が伊吹という名の男子にキスして告白するシーンだった。
愛がどうしてこのマンガを持っていたのか知らない。そして、どうしてこのマンガのセリフの発言をしたのかは知らない。だが、愛が一言一句間違えないでこのセリフを言ってくれたお陰で突破口が開けた。
これを見つけた時、俺は魂が震えた。愛が最後に残してくれた置き土産。これさえあれば、愛が演技で俺にキスしたことを証明できる。
「そ、そんなバカな!」
飯塚はひどく狼狽している。このまま一気に畳みかける。
「漫画の登場人物になりきっていた。そして、たまたま漫画の登場人物と同じ名前をしていた俺を相手役にして演技の練習をしていたんだ」
「そ、そんな理屈通るわけが……大体にして、台本と漫画では違う」
「でも、参考資料なことには変わりないだろ? ハッキリ言って、これは愛が演技をしていたという証拠に乏しい……だが、愛が演技をしていなかったと断じるだけの根拠もない。つまり、飯塚さん! あなたは証拠不十分な相手を収容してしまったんですよ!」
「ぐぎ!」
劣勢の状態から五分の状態に持って行けた。これで次のステージに行ける。飯塚は証拠不十分で釈放は絶対に避けるはずだ。
「え、ええ。わかったわ! 確かに現状では証拠不十分かもしれませんね! だけど! 私は! 楪 愛が確実に辰野 伊吹を好きだと断定できる! その証拠を提示できればいいんだよなあ!」
飯塚が机をバンと叩いて威圧してきた。威圧的な言動を取るのは追いつめられている証拠だ。
「そんなものあるんですかねえ?」
「う……そ、そうだ! 脳波を測定しましょう! 愛ちゃんの脳波を測定すれば、伊吹君が好きかどうか科学的に判定できる」
飯塚は、完璧な状況証拠を手にしたことで安心していたようだ。だから、自らの手で脳波の測定をしなかった。そこが付け入る隙になりえるのだ。もし、飯塚が先んだって信頼できる機関に脳波の測定を依頼していたら、俺たちに勝ち目はなかった。
「ええ。わかりました。脳波の測定が完了するまでは、愛の矯正プログラムは実行できませんよね? 証拠が不十分なのですから」
「うぬぬ……そうね。でも、少しだけ寿命が延びたにすぎない! すぐに愛ちゃんが伊吹君にらーぶらぶなことを証明してあげるんだから!」
飯塚はそう言うと不敵に笑った。なにやら秘策があるんだろう。だが、しかし、秘策があるのはこちらも同じだ。脳波測定の日を楽しみにしている。
俺たちは1度施設を後にした。なんとか次の希望を繋げられる状態まできた。もうすぐだ。もうすぐで愛を救える。
◇
そして、脳波検査の当日。俺は脳波測定の実験体として使われることになった。
まずは愛の通常時の脳波を測定する。そして、次に俺の姿を見た時、俺の声を聞いた時、俺の匂いを嗅いだ時。とにかく、五感で俺のことを感じた時の脳波を測定する。そこで恋愛感情の有無を測定するのだ。
俺は別室にて愛を見守っていた。愛はパイプ椅子に座らされて、ただ、科学者の言う通りにしている。
愛の頭に色んな装置が付けられる。今から通常時の愛の脳波が測定される。そのデータが収集し終わったら、今度は俺が愛の前に立つ時だ。
俺は合図を受けて、別室から出て愛の目の前に立つ。大丈夫。俺の計画通りなら、なんの異常も起きない。
次に、俺は規定のセリフをしゃべるように指示された。
「愛。俺はお前のことが好きだ。世界で一番愛している。だから、俺と結婚してくれ」
もちろん、これはセリフを読み上げただけだから、自由恋愛禁止法には抵触しない。尤もこれは俺の本心ではあるが。
そして、俺の体臭がしみ込んだTシャツを切り取って、愛がそれを嗅ぐ。
視覚、聴覚、嗅覚で俺を感じた愛。以上で愛の脳波測定は終了した。
脳波測定の結果は……
「脳波測定の結果、楪 愛に辰野 伊吹への恋愛感情は認められませんでした」
脳科学者は淡々と測定結果を述べた。
「ふぇ!? ハァ!」
飯塚の叫び声が研究所内に響いた。やった。俺たちは勝ったんだ。状況証拠で飯塚の根拠を崩し、物的証拠で殴りつける。その作戦は見事上手くはまった。
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