第24話 狂った女 飯塚

 愛の友人が呼びかけてくれたお陰で、みんなが一丸となって愛を助けるための手助けをしてくれるようになった。もし、俺1人が呼びかけてもダメだっただろう。そう思うと愛の友人には感謝しかない。


 順調に作戦も練られていく中、俺の携帯端末に着信があった。またも飯塚からのテレビ通話。


「もしもし」


「やっほー。伊吹くん元気ー」


 画面に映っているのは、飯塚とアイマスクで目が隠れている女性だ。女性はハァ……ハァ……と呼吸を荒げている。


「なんの用だ」


 俺は飯塚を睨みつけた。こいつは俺の……いや、俺たちの明確な敵だ。愛を連れ去り、愛の人格を矯正する敵。


「やだあ。そんな怖い顔しないで。そんな情熱的に見つめられたら、お姉さん……愛ちゃんになにするかわからないよ?」


 飯塚は俺を嘲わらうような表情で見下して来た。


「やめろ! 愛はまだ矯正プログラムが確定したわけじゃないだろ!」


「あはは。そうね。だから、まだ愛ちゃんには手を出さない。でも、審査が確定した後ならわからないよ。私に依存しきった可愛い赤ちゃんになるかも彼女みたいに」


 飯塚は手に持っているボタンを押した。すると、ビリビリという音と共に、アイマスクの女性が嬌声を上げてぶるぶると震えはじめた。


「お、おい。なにしてるんだ!」


「あはぁん。あぁん。ママァ……もっと。もっと私を躾けてぇ……」


 女性は体をくねらせて恍惚とした声をあげる。目は見えないが、口元が緩みきっていて、至上の幸せを噛み締めていると言った表情だ。


「あはは。可愛いよね? この子、私から与えられるものだったら、痛みや苦しみでも喜んで受けちゃうの。私が死ねって言ったら喜んで死んじゃうんじゃないかな?」


 下衆な発言。この現代社会において、こんな拷問が許されるのだろうか。この行いを白日の下に晒したら、飯塚も終わるんじゃないか。


「伊吹君の考えていることはわかるよ。私のこの所業を白日の下に晒せば、私は終わる。失職して、炎上してって、そう思っているんでしょ? でもね。甘いの。これは、職員に許された裁量の範囲内なの。電気的な刺激を与えることはなんの問題もない。電気ショック療法だと称すればね。私がやっているのは医療行為。もちろん、私もそれ相応の資格は持っているんだ。だから、どこにも違法性はないの」


 飯塚は自らの正当性を主張した。俺は法律に詳しくない。飯塚の行為が法律に抵触しているかどうかはわからない。けれど、こうして証拠が残るビデオ通話をかけてきたってことは、恐らく法律的には問題もないのだろう。


「本当はお尻ペンペンをして躾けてあげたいんだけどね。それは、職員の範囲では無理。まあ、プライベートでお互いの同意があれば別だけど。ねー」


 飯塚は女性の顎を指でツーっとなぞった。飯塚が滑らかに指を動かす度に女性の口元がだらしなく歪む。


「だから、早く良い子ちゃんになって、私とプライベートで遊べる仲になりましょうね」


「は、はひぃ~。ママとプライベートで遊びたいから、早く良い子ちゃんになって出所できるようにがんばります」


「ふふふ。えらいえらい。いい子いい子」


 飯塚は女性の頭を撫でた。俺は何を見せられているんだ。こんな悪趣味な映像なんて見たくない。


「ねえ、伊吹君。どうして、この彼女の醜態を晒したと思う? ふふふ。それはね。この彼女こそが、未来の愛ちゃんの姿になるから。具体的な成功モデルを見せた方がよりイメージしやすいでしょ? 愛ちゃんが最終的にどんな姿形、思想になるのかを。愛ちゃんは私を崇拝し、他の誰にも靡かない存在になる。私が犬に恋をしろと言われたら、犬に恋をする。そんな状態に矯正してあげれば、パートナー以外の相手と恋愛することはないでしょ?」


 俺は戦慄した。この飯塚という女。相当に頭がイカれてやがる。仕事でやっているにせよ、趣味でやっているにせよ。ここまで気が狂ったことを容易く行える神経が俺には信じられない。


「それじゃあ、私の素敵な調教……じゃなかった。矯正計画も伊吹君に伝えたことだし、そろそろ切るね。それじゃあね伊吹君。あなたは愛ちゃんが堕とされていくのを指を咥えて見ているしかないの」


 そこで通話がプツっと切れた。


 俺は、拳をぐっと握りしめた。愛が飯塚を崇拝するようになるだと。冗談じゃない。俺は愛を助けだすと心の中で硬く誓った。


 電話がかかってきた。今度は花岡さんだ。


「もしもし? 花岡さん」


「ああ。伊吹君か。ウチの飯塚が粗相をしでかしたみたいで済まない。彼女は少し、精神がおかしいんだ。許してやってくれ」


「許せませんね。ああいう所業をする人間がいるだなんて。彼女の被害者だって、望んであんな精神状態になったわけじゃないですよね?」


 俺の物言いに花岡さんは少し黙ってしまった。


「ああ。そうだな。彼女に矯正された被害者のことを想うとやりきれない……でも、飯塚も可哀相なやつなんだ」


「飯塚が可哀相?」


 あんなクレイジーでサイコな人間が可哀相だなんて全く思えない。そんなことより、飯塚に矯正された人たちの方がよっぽど可哀相だ。


「飯塚の両親は自由恋愛で結ばれた者だ。つまり、飯塚はナチュラル。それ故に赤ちゃんを生みづらい体質として生まれてきてしまった」


「赤ちゃんを生みづらい? どういうことですか?」


「飯塚は妊娠機能には問題ない。だが、胎児を育てて生むための機能が他の成人女性に比べたら格段に劣っていた。その状態で妊娠しようとしたら、母子ともに危険な状態になる……これは仕方のないことだ。別に飯塚が悪いわけじゃない。そういう体質の人間も一定確率で生まれてきてしまうのだ」


 胎児を生み辛い。その言葉を聞いて、なんとなく飯塚の境遇のようなものがぼんやりと見えてきた。


「国の遺伝子検査で飯塚のその体質が浮き彫りになってしまった。飯塚は幼い頃から、命が惜しかったら子供は諦めろと言われてきた。当然、飯塚の結婚相手もAIが選んだ相手は同じく不妊の男性だ。こうすれば、彼女は妊娠して命の危険を晒すことはない。飯塚はその男性と結婚して……そして、その男性を幼児退行するまで追い込んだ」


「そんな……自分のパートナーですよね! どうしてそんなことをしたんですか!」


「飯塚が最も求めていたもの。それは自分の子どもだったんだ。飯塚は不妊体質というわけではない。諦めなければ、危険を冒せば赤ちゃんを生める可能性はあった。AIが選んだ相手次第では、望みはあった。だが、AIは飯塚を守るためにその選択肢は取らせなかった……わずかにあった望みを断たれた飯塚は、それ以来おかしくなったんだ」


 飯塚の過去は確かに悲しいものがあったかもしれない。けれど、それで多くの人を巻き込むのはいけないことだ。悲しい過去があったからと言って凶行に走っていいわけではない。


「俺は……それでも飯塚は悪いやつだと思います。可哀相な人物なら何をしていいわけでもない……」


「そうだな。でも、飯塚は安全に自分の子どもを飼育できる環境を手に入れてしまった。それが彼女の歯止めを壊した。それが飯塚の不幸でもある……飯塚のパートナー。それはこの矯正施設の所長だ」


「え?」


「所長は飯塚の望みを叶えるために環境を与えた。人格矯正プログラムに送られてくる人間はどうせ、ロクなやつじゃない。そういう相手になら何をしてもいい。それが所長の歪んだ思想だった。その思想が故に、飯塚の赤ちゃんになる犠牲者をそこから選出しようとしたのだ。そして、飯塚を現場に配属させた。所長のパートナーなのに、飯塚に地位が与えられなかったのは現場で働かせるためだったのだ」


「随分と腐った組織なんですね」


 俺は率直な感想をつい口にしてしまった。その組織に花岡さんも所属しているのにも関わらず。口に出した後に言い過ぎたと反省したが、既に後の祭りだった。


「ああ、俺もそう思う。だからこんな組織……伊吹君に壊して欲しいと思ってる」


「花岡さん。それがあなたの職を奪うことになってもですか?」


「自身の定職も大切だが、それよりも大切なことはあるだろ?」


 

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