第18話 プロジェクトの真実

 俺と猪川氏は、郊外のある寂れたカフェで待ち合わせをした。猪川氏は、白髪の老人でメガネをかけている。歳の割には容姿は若く見える。


「キミが、辰野君かね?」


「はい」


「私が猪川だ。よろしく頼む」


 猪川氏は俺に握手を求めてきた。俺もそれに応えて握手をする。そして、2人は席に座り、飲み物を注文した。


「さて……何から話せばいいものか」


 猪川氏はコーヒーにミルクを混ぜながら、思案している。


「キミは私のSNSを見たのだろう? そこに書かれていた話。大抵の人は耄碌もうろくした爺さんの世迷言だと抜かすが……あれは真実なのだ」


「でも、真実なら国がとっくに猪川氏をどうにか対処していると思うんですが」


 矯正プログラムを使って、人格を無理矢理矯正するような国だ。猪川氏を放ってはおかないだろう。


「ふ……言葉というのは、誰かが信じて初めて真実になる。みんなが疑うものは虚偽なのだ。世間は私を虚言壁の爺だと思っている。だから、政府も下手に手を出さないのだ。私を拘束したら、私が言っていることが真実ですと自ら吐露するようなものだからな」


 なるほど。みんなが信じていない真実なら、国は警戒する必要はないということか。


「まず、このプロジェクトの問題点。その1つは、このプロジェクトからは真の天才は生まれないということだ。私は天才と呼ばれる者の遺伝子を徹底的に調べ尽くした。祖先、兄弟、子孫。そして、後世に名を遺すほどの天才が生まれる出現パターンを完全に把握した。凡人と呼ばれた者同士の交配でも、天才が生まれるパターンがある。アフロディーテ・プロジェクトのAIはそれを知ることができる。そして、それを分析し、知った上で……あえて、その組み合わせは排除したのだ」


 それはSNSでも語っていたことだ。アフロディーテ・プロジェクトでは真の天才を生まれないと。100点の天才は生まれることはあっても、100点を超える者は現れない。


「どうしてそんなことをしたんですか?」


「私は怖かったのだ。世の中が120点150点200点の天才だらけになることが。私の子世代の者たちがいつか私を追いつき追い越す。そしたら、私たちは間違いなく旧人類扱いされて迫害される対象になる。それが怖かった。自分より才能のある者が生まれるのが怖かった。だから、私は、私より才能がある者が生まれる可能性を0にした。若い芽を摘むとはよく言ったものだ。私は若い芽どころか、種すらも摘むことにした」


 そう語る猪川氏の手が震えている。猪川氏の心境は俺にはわからない。けれど、この所作を見ていると猪川氏は相当後悔しているように思える。


「でも、T大合格の基準は年々厳しくなっているんですよ。今では入試で満点を取るのが当たり前って。一昔前の天才たちにもできなかった偉業ですよ」


「私が子世代に与えた能力は、記憶力と計算能力とかその程度に過ぎない。その2つがあれば、大抵の試験はなんとかなる。今の記憶力と計算力は昔に比べれば役に立たん。調べれば全ての情報が瞬時に手に入るし、計算もコンピュータの方が正確で早い。これらの能力を上げたところで私の地位は脅かされることはないからな。私が削った能力は、発想力、分析力、思考力など、これからの未来を切り開く力だ。これらの能力は100点を越えないようにした。試験にも、これらの能力を求められることがあるが、90点以上あればT大の入試で満点を取ることはできるだろう」


 なんてことだ。人間の能力を引き上げていたと思われたアフロディーテ・プロジェクトにそんな罠があったなんて。


「尤も、ナチュラルの平均点数は60~70ほどだ。90点取れれば十分天才圏内。アフロディーテ・プロジェクトはそれらの天才を量産できるという点において、平均値で言えば上だ。だから、見かけ上は天才が生まれているように見える。だが、最大値では圧倒的にナチュラルの方が上なのだ。ナチュラルはどうしようもない個体が生まれることはあるが、プロジェクトで生まれた子を遥かに凌駕する力を身に付けることがある」


 猪川氏の説明を聞いて俺は生唾を飲んだ。これはとても恐ろしい事実だ。AIによって選出された子は一定以上の才能は保証されるけれど、一定以上の才能を身に付けることはできない。アインシュタインやノイマンのような天才は、もう2度と生まれてくることはない。そういうことなのだ。


「そのことを国は知っているんですか?」


「ああ。知っている。知っているからこそ、自由恋愛を禁止にしたんだ。自分達の立場を守るためにな」


「どういうことですか?」


「少し考えればわかることだ。今の国を動かしているのは、アフロディーテ・プロジェクトのAIによって生まれた子たちだ。つまり、決して100点を越える能力を身に付けられない。人類の限界突破を経験できない世代の子だ。それが最も恐れることは……稀に生まれて来るナチュラルの本物の天才だ」


 そういうことか。俺は合点がいった。どうして、国が自由恋愛を必死になって禁止にしたのか。猪川氏の話で全ての点と点が線に繋がった感覚を覚えた。


「もし、ナチュラルの子たちが全員100点未満なら、国は自由恋愛を禁止にしなかった……?」


「そういうことだ。私は本当の天才を生まれる可能性を完全に排除してしまった。いつだって時代を作ってきたのは100点を越える天才たちだったのだ。日本という国は一時的に繁栄を極めることができるだろう。全国民の能力が飛躍的に上昇したのだから。でも、それだけだ。時代を作る本物の天才は2度と現れない。暗雲立ち込める状況になったとしても、それを打破し道を切り開いてくれる指導者は2度と現れない。もう日本が最先端を走る時代は終焉を告げたのだ」


 俺は……自分のためだけに自由恋愛禁止法に立ち向かおうとしていた。けれど、猪川氏の話を聞いて、これはもっと深刻な問題があることを悟ってしまった。


 決して100点を越えられない世代。彼らが自分たちの立場を守るために、100点を越える存在を抹消した。これは意図的なものだったのだ。


「私は、政府の彼らを責めることはできない。最初に自分の立場を守ろうとしたのは私だ。彼らの気持ちは十分わかる。だが、私は過ちに気づいた。だから、AIを改修するように懇願した。100点を越える天才が現れるように。そのために、私は今までブラックボックスにしていたAIの仕様を全て話した。だが、政府はそれを拒否した。そして、AIの真実を知った政府は自由恋愛自体を禁止に追いやったのだ」


 猪川氏はミルクが溶けたコーヒーを口に含んだ。俺らの祖父母世代には陰謀論というものが流行っていたらしい。これは正しくそれに近いものだ。猪川氏の言っていることが真実かどうかはわからない。けれど、これは思わず信じてしまいそうな魔力というか魅力がある。


 俺は陰謀論に踊らされているバカに過ぎないのか……それとも真実に気づいた若い希望なのか。それは俺にはわからない。


「貴重なお話をありがとうございました」


「いいや。礼を言うのは私の方だ。キミに話せて良かった。若い世代に真実を伝えることができて……」


 猪川氏の顔は歪んでいた。後悔、悲しみ、憤り、その他様々な感情が交錯しているのだろう。


「この真実を知って、どう行動するかはキミ次第だ。キミが私のことを世迷言を言う爺だと思って、今日のことを忘れるのも良し。緩やかに死んでいく日本を救うために、国と戦うのも止めない。私はキミの行く末を見守りたいが、私は歳を取りすぎてしまった」


 猪川氏の表情はどことなく寂し気だった。


「私は生半可に遺伝子を研究してしまったせいで、自分のDNAの限界を知ってしまった。そして、絶望した。私は真の意味で天才ではなかったのだから……キミもAIによって選ばれたパートナーの子なのだろう? キミの……いや、キミたちの能力に限界を定めてしまって本当に申し訳ないことをした。後悔してもしきれない」


「猪川氏……俺……じゃなかった。私は、必ずこの国をより良いものにしてみせます! 何年、何十年かかるかはわからない。それでも、俺は自分が望む未来を手に入れたいです」


「ありがとう。人生の終末にキミのような若者に出会えて良かったよ」

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