第13話 独りの部屋
「伊吹くんの気持ちはわかった。でも、考えさせて……私、まだ革命とかそういうのわかんないよ」
真奈の気持ちもごもっともである。真奈はこれまで普通に生活してきた単なる女性だ。俺が起こそうとしている革命とかそういうのに巻き込まれるとは思ってもみなかっただろう。
「伊吹くん……今日からは、自分のお家に帰っていいよ。もう同棲は解消しよう。私も1人になって考えたいから。冷静にこれからの自分の将来について考えたいの」
それは意外な提案だった。無理矢理同棲を強いてきた真奈の方からの同棲解消の提案。俺にとってはありがたい相談だ。真奈が嫌いとかそういうのではないが、やはり真奈と同棲すると愛に申し訳ない気持ちになる。やはり、俺の本命は愛なのだ。そこに嘘をつくことはできない。
「わかった。今日の放課後、俺の荷物を取りに行く」
とりあえず、俺は身支度を整えて学校に行こうとした。
「うん。伊吹くん。気を付けてね」
「なにが?」
「伊吹くんの気持ち。周りに知られたら、きっと大変なことになる。施設に入れられるかもしれない。そうでなくても糾弾されたり、白い目で見られたり、村八分にされたりなんてこともありえるかもしれない」
「ああ。そうだな。でも、俺はそんなヘマはしないさ。真奈。行ってきます」
「うん。いってらっしゃい……あ、あの伊吹くん。ちょっといいかな?」
「ん? どうした真奈」
真奈は俺に近づくと不意に背伸びをして、俺の頬にキスをした。真奈が唇を離しても、まだ柔らかい感触の余韻が残っている。俺はその箇所に手をあてて、呆然としてしまった。
「いってらっしゃいのキス。1度してみたかったんだ」
「お、おう……」
「伊吹くんと同棲生活するの最後になるかもしれないから……」
ほっぺたとはいえ、綺麗な女性にファーストキスをされた。そのことに喜んでいる自分に罪悪感を覚える。心の中で何度も愛に謝りながら、複雑な気持ちを抱えて俺は学校に向かった。
◇
「あ、伊吹」
教室で俺を見つけた愛。すぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫だった? あの女に変なことされてない?」
変なこと。そのワードに俺は思わずドキリとしてしまった。キスが変なことに入るのだろうか。ほっぺたとはいえ、キスされたことには変わりない。愛にこのことが知られたら、恐ろしい目に遭いそうだ。
「ん? あ、ああ。大丈夫。全然大丈夫だから」
「本当? 無理してない? 少しでも嫌なことがあったら、言ってね。刺し違えてでもあの女を倒すから」
愛がさり気なく恐ろしいことを言う。俺のことを想ってくれるのは嬉しいけれど、もう少し穏便な性格になって欲しい。
「本当に大丈夫だって。今日で同棲生活も終わりだから」
「え?」
その言葉を聞いて愛は眩しい笑顔を俺に向けてきた。
「良かったね。伊吹。あの女から解放されたんだね」
「解放……というか、パートナー契約は相変わらず継続しているけどな。それに、真奈は俺たちの敵じゃない」
「どういうこと?」
愛が小首を傾げる。その仕草が小動物的でなんともかわいらしい。惚れ直してしまいそうになる。
「真奈も例の法律の被害者なんだ……真奈だって、本当はもっと早く恋愛したかったし、結婚もしたかったんだ。その気持ちを知った時、俺は真奈を敵視できなくなってしまった」
その言葉を聞いて、愛は黙って真剣な表情をしている。彼女なりになにか思うことがあったのだろう。
「とにかく、今日から俺は家に帰れる。両親にはもう連絡してある。今日の放課後、俺の荷物を真奈の家に取りに行く。それで、俺はもう自由の身だ」
そのタイミングで、始業を告げるチャイムが鳴った。俺たちは席について本日の学校生活が始まる。
◇
放課後、俺は電車に乗り真奈の家へと向かった。急に同棲解消が決まったから、まだ荷物の整理がついていない。荷物の整理をしてから家に帰るんじゃ、家に帰るのは夜中になるかな。そんなことを考えながら、真奈の家についた。
「伊吹くん。おかえりなさい」
「ああ。真奈。ただいま」
このやりとりも最後になるのだろう。俺は、荷物をバッグにまとめる作業を始める。その作業を真奈が寂しい目で見ている。
「この部屋も広くなっちゃうなあ」
「元から一人暮らししていたんだろ。元に戻るだけだ」
「もう、伊吹くん。そういうのじゃなくて……」
わかってる。急に一緒に暮らしていた人間が1人減るんだ。すぐに慣れるもんじゃない。喪失感とかそういうものを感じるのだろう。俺も真奈と同棲し始めた当初は早く自分の家に帰りたかったけど、真奈に情が移っている今では不思議と物悲しい気分になる。
「荷物……まとめ終わった」
思ったよりも早く終わった。もっと時間がかかるものだと思っていたけれど。
「うん。伊吹くん。私が送っていくよ」
「いいのか?」
俺は電車に乗って帰る気でいた。でも、真奈が車で送ってくれるなら、とても助かる。
俺と真奈は一緒に部屋から出て、駐車場に向かった。真奈が運転席、俺が助手席に乗り、俺の荷物は後部座席に置いた。
車が発進し、俺の家を目指す。その間、俺と真奈は話せないでいた。無言の車内。なんとも気まずい雰囲気だ。
赤信号に捕まり、車が停止する。その時、真奈が口を開いた。
「私、伊吹くんと出会えて良かったって思っているから」
「え?」
「例え、この先、どんな結末が待っていようとも……伊吹くんと過ごした時間は無駄じゃないし、私にとっては掛け替えのないものだよ」
「真奈は……俺を恨まないのか?」
ふと口にしてしまった言葉。真奈の立場からしてみれば、俺の存在はどういうものなんだろう。やっとの思いで出会えた婚約者、パートナー。なのに、自分に見向きもしないで、その関係を壊そうとしている存在。言わば、裏切っているのは俺の方だ。真奈に恨まれても仕方がない。
「無理だよ……伊吹くんを恨めないよ。だって……だって……」
真奈が鼻をすする。その時、信号が青になった。真奈は黙って、車を発進させた。
また、沈黙が支配する。この気まずさは俺の家に着くまで続いた。
何日ぶりの我が家だろう。実家は安心すると言うが、本当だ。離れてみて初めて実家のありがたみがわかった。
「じゃあね。伊吹くん」
俺をおろした真奈はそのまま、俺に別れを告げて、車を発進させた。俺は真奈が見えなくなるまで見送り、そのまま家に入った。
「伊吹! おかえり!」
父さんと母さんが俺を出迎えてくれた。2人とも俺の無事を確認して安心しているようだ。やっぱり、高校生の身で親元を離れると親は心配するものなのだろうか。
「父さん、母さん。ただいま」
父さんと母さんは俺になにも訊かなかった。やはり、俺も年頃ということだけあって、気をつかってくれたのだろう。俺は飯と風呂を済ませて、自室へと戻った。
久しぶりの自室。俺はベッドの上に寝転んだ。その時、少し人肌が恋しくなった。
最近は当たり前のように真奈と一緒のベッドに入り、添い寝して……えっちなことはしなかったけれど、どこかドキドキとして。
この時、俺は改めて、人は人のぬくもりを求めるようにできているものだと悟った。真奈も俺と同じ気持ちなのだろうか。
「ベッドってこんなに広かったんだな」
たかが、1人用のベッド。広いはずがない。でも広く感じてしまうのは、俺が無意識に真奈のことを意識しているからだ。
この気持ちは、彼女と別れたばかりの人と同じ気持ちなのだろうか。
ごちゃごちゃしたいろんな考えが頭を巡るが、俺には迷っている暇はない。俺と愛にはまだまだ時間がある。けれど、真奈のことを考えたら出来るだけ早く、革命を起こした方がいい。
とりあえず寝よう。そして頭をスッキリさせて、明日からまた行動開始だ。自分にできることをしよう。
――そう決意するが、中々寝付けない。枕が変わると眠れなくなるタイプじゃなかったはずなんだけどな。
結局、俺が眠ったのは日付が変わってからだった。いつも日付が変わる前に寝ている健康児の俺にしては珍しいできごとだった。
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