第12話 説得と真奈の過去

 香ばしい茶葉の匂いがする。その匂いに釣られて、俺は目を覚ました。ベッドから起き上がると、トーストと紅茶で朝食を摂っている。


「あ、伊吹くん。起きたんだ。おはよう。トースト焼いてあげるね」


「おはよう真奈」


 真奈は、朝食はパン派だ。俺もパン派であることから、2人の食の好みは合致しているだろう。そして2人とも紅茶が好きだ。真奈はミルクティーが好き。俺はストレートが好きという違いはあるが、些細なことだろう。


 真奈がトースターにパンをセットする。そして、ティーカップに俺の分の紅茶を注いでくれた。


「丁度、紅茶を淹れたばかりなの。飲むでしょ?」


「ん。ああ。ありがとう」


 真奈は俺に尽くしてくれる良いパートナーだ。少し、恋人に依存するところはあるけれど、そこを愛おしく思える人なら正に理想的な恋人だ。


「真奈……話があるんだ」


「ん? なあに。伊吹くん」


「俺、思うんだ。もし、真奈が自由恋愛できたら、きっと早く素敵な人と出会って、結婚して。今頃は暖かい家庭を築けていたんじゃないかって」


 言葉を慎重に選ぶ。俺の要求することは、ただ1つ。真奈とのパートナーを解消し、かつ真奈を仲間に引き入れることだ。


「んー? そうかな。私はそうは思わないかな。だって、自由恋愛だったら伊吹くんとは出会えなかったからね。AIが私たちを引き合わせてくれたんだよ。伊吹くん以上に素敵な人なんていないよ」


 まず、そこから真奈は洗脳されているんだ。俺以上に真奈に相応しい相手なんてそこら中にいる。真奈は俺以外の男を知らない。なのに、そう言い切れること自体おかしいんだ。大体にして、俺はまだ高校生だし、経済的にも精神的にも真奈と全然釣り合わない。


「自由恋愛が解禁されていたら、真奈は10代の内から恋愛できていたと思うし、20代半ばには結婚出来ていたと思う。真奈はそれくらい素敵な人だ」


「仮に恋愛出来ていたとしても、私は伊吹君とは出会えなかったよ。私が10代の頃って、伊吹くんはまだ年齢1桁じゃない。流石の私もそんな小さい子に手を出す趣味はないよ」


 10代の頃の恋愛。恋愛をしたいという気持ち。それは簡単に投げ捨てていいものじゃないだろ。人として当然の権利。それをアフロディーテ・プロジェクトは簡単に排除してしまう。俺は真奈の本音を知っている。真奈はもっと早く恋をして、恋人を作って、人並に青春をしたかったはずなんだ。


「真奈。10代、20代前半の頃を思い出してくれ。真奈にだって、恋愛したかっただろ! 恋をして、デートして、2人で身を寄せ合って、愛し合って。そんな日々を過ごしたかっただろ」


「伊吹くんになにがわかるの?」


 真奈は音を立てて、ティーカップをソーサーの上に置いた。普段の真奈なら絶対にしないようなマナー違反。精神が揺さぶられている証拠だろう。


「私が子供の頃は、まだAIによるパートナー以外でも自由恋愛が許されていた。私が小学生の頃に描いていた未来絵図では、中学生になったら彼氏を作って、恋愛の経験値を積んでから、AIが決めたパートナーと結婚しようって。でも、私が中学に上がる頃に法律が変わってしまった。AIが決めたパートナー以外と恋愛することが許されなくなったの」


 法律が変わったのは、俺たちが生まれる少し前くらい。つまり、現在28歳の真奈は丁度、中学生に上がるくらいの年齢だったのか。


「丁度多感な頃に人を好きになるのを禁止にされた私の気持ちがわかる? 一昔前の中学生は恋愛とか、彼氏彼女とか当たり前に作っていたのに。私たちの世代からはそれが許されなくなった。そうなるとどうなるかわかる?」


 真奈の瞳が暗く濁っている。生気の欠片もない。


「禁止されたからって、人の恋心は簡単に止まるもんじゃない。当時はまだ施設の恐ろしさが認知されていなかったから、施設送りも大したことじゃないと思われていた。だから、恋愛をする子たちはいっぱいいたの。でも、それが政府にバレて施設送りになった」


 施設に送られている若者は年々下降傾向にあると言われていた。それはつまり、最初の年は一番施設送りにされた若者が多いということだ。


「施設から帰ってきた同級生たちは、みんな人が変わったようになった。あんなに愛し合っていたカップルが、お互いの顔を見るだけで恐怖に顔を引きつらせて……元彼の顔を見ただけで吐き出す子もいたの。施設でどんな目に遭ったのかはしらない。だけど、あの様子を見たらまともな扱いは受けてなかったでしょうね」


 真奈を支配していたのは恐怖だ。施設で人格を矯正された同級生たちを目の当たりにして、自分たちも自由恋愛したらこんな目に遭ってしまう。その見せしめを沢山見たことによって、自分を守るために恋愛感情を封印してきた。それが真奈の世代。


「伊吹くん。施設送りにされた人の末路を知らないでしょ? だから、国に立ち向かうだなんてそんなことが言えるんだよ。彼らもAIの与えてくれた未来を享受していれば、あんな目に遭わずに済んだ。伊吹くんはそういうのを知らない世代だから恵まれているんだよ」


 真奈は俺に近づいてくる。そして、涙目になりながら俺に抱き着いた。


「お願い伊吹くん。お願いだから……! 国に逆らわないで。私、伊吹くんが施設に送られたら耐えられないよ。伊吹くんのことが大切だから、あんな目に遭って欲しくないの」


 真奈がボロボロと涙を零す。滝のように流れる涙は、真奈が中学の時から溜めていた涙なのだろう。


「真奈。キミの本当の気持ちを聞かせてくれないか?」


「え?」


「もし、法律がなかったら……自由恋愛をしてみたかった。そうじゃないのか?」


「う……」


「真奈。お願いだから本当の気持ちを聞かせてくれ」


「私だって、人並に恋愛したかったよ! 本当はあんな法律なければいいのにって思ってたよ! 私の同級生たちはAIが素敵な相手を見つけてくれた。だから、アフロディーテ・プロジェクトを受け入れられた。でも、私はこの歳になるまで、相手がいなかったんだよ。それがどれだけ寂しくて、辛くて、泣きたくて……うわあああん!!」


 真奈は俺の胸に顔をうずめて泣きじゃくってる。俺はそんな真奈の頭に手を添えて優しく撫でる。


 真奈は本当に辛い思いをしたのだろう。国は名言していないが、アフロディーテ・プロジェクトの本質は人類の選別にある。相手が見つからないということは、その遺伝子は淘汰されるべき存在としてAIが判断したのだ。つまり、長年パートナーが見つからない人物は、それだけ周りから欠落した存在として見られてしまう。


 真奈はそういう視線にずっと耐えてきたんだ。真奈の歳で独身というのは珍しいが、ないわけではない。ただ、その場合でも1度はパートナーを割り当てられているケースがほとんどだ。パートナーが死別したり、お互いが別の相手がいいと思いキャンセルしたりと。そういうケースで独り身なら周りもそこまで白い目では見ない。


 真奈は、自分が現在独身であると説明する度に嫌な思いをしてきたに違いない。「パートナーとはまだ結婚しないのか?」と問われることもあっただろう。その度に、まだパートナーは見つかってないと説明したかもしれない。その時の真奈の心情を思うと俺も胸が苦しくなってきた。


 そんな真奈にとって、俺はやっと出会えたパートナー。それだけに、真奈は俺に特別な思い入れを持ってくれたし、愛情も注いでくれた。愛情は少し行き過ぎていた面もあったけれど、そこまで悪い気はしなかった。やっぱり女に好かれて嬉しいと思ってしまうのは男のさがなのだ。


「真奈。俺はAIが。アフロディーテ・プロジェクトが許せない。真奈にこんな悲しい思いをさせたんだ。辛かったよな。寂しかったよな」


「伊吹くん……ひっぐ……えっぐ……」


「だから、俺は自由恋愛を禁止する法律を叩く! ぶっ壊す! この法律のせいで涙を飲んだ人たちの想いをぶつけてやる。だから、真奈。キミの想いを俺に託してくれ」


 真奈は何も言わなかった。色々と思うことがあって、感情のコントロールができていないのかもしれない。


「真奈。気持ちの整理がついてからでいい。俺と一緒に革命を起こそう」

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