第8話 愛との勉強会

「愛。俺に勉強を教えてくれ」


「なにそれイヤミ?」


 頭を下げる俺に対して、愛は冷ややかな視線を送る。そりゃ、そうか。自分より成績がいい相手にそんなこと言われたら、愛だっていい気はしないだろう。


「違うんだ愛。俺が知りたいのは勉強の仕方なんだ」


「なにそれ?」


「俺、昨日勉強してみてわかったんだ。普段勉強してない人間が急に勉強しようと思ってもできない。まず、なにから手を付けていいのかわからないし、集中力も持たない」


「はあ……それで進学校に入れるんだから伊吹はいいよね」


 愛は不貞腐れている。愛は努力して、なんとかこの県内でもトップの進学校に入ることができた。しかし、俺は違う。なんの苦労もせずに、学校の授業を適当に聞き流しているだけで進学校に入れたのだ。先生からは、「お前は努力すれば県外にあるもっといい高校に入れるのにな」と言われていた。


「頼む。愛。俺には努力の才能がないんだ」


「それ、努力している人間に向かって言うと刺されるやつだよ」


 愛は、ナチュラル故に地頭がそんなに良くない。ナチュラルの中にもたまたま遺伝子の組み合わせがベストマッチして、アフロディーテ・プロジェクト産の子と同じように天才的な頭脳を発揮する人もいる。だけど、愛はそうではない一般的な子だ。その愛が並みいる天才たちを蹴散らして、この進学校に入学したのだ。


 アフロディーテ・プロジェクト産の天才と言ってもピンからキリまでいる。スポーツに特化したタイプ。芸術性に特化したタイプ。コミュ力お化けタイプとか色々いる。全員が全員頭脳に特化しているわけではない。とはいえ、頭脳特化タイプじゃない子。アフロディーテ・プロジェクト産の中でも頭が良くないと言われている方でもナチュラルの上位勢くらいの実力はある。


 俺は、頭脳振り、絵のセンスそこそこ、歌はまあまあ上手い、運動はからっきしなタイプだ。とはいえ、100メートル走のタイムも100年前の平均より速いのだけれど。


 もし、全員が頭脳特化タイプなら、ナチュラルの愛には頭脳における勝ち目はなかっただろう。だが、頭脳特化でない相手ならば努力次第でナチュラルの愛が上回ることがある。愛はそれを身を持って証明したのだ。


「伊吹はどうして急に勉強をしたくなったの?」


 愛は俺が勉強を嫌いなことを知っている。小中学生の頃から、愛と同じクラスになった時には愛に宿題を見せてもらっていた。それなのにテストの点数は俺の方が上だった。「なんで宿題見せてあげてる私より点数高いの!」と言われて愛にポカポカと殴られたこともあったっけ。


「俺はT大に入る。そして、官僚か政治家になり国を動かす存在になる。法律を変えられる立場にならなきゃいけないんだ」


「え……それって」


「ああ。例の法律を変えてやる。そのためには俺が力を付けて権力を得なきゃダメなんだ。そのためには今から勉強しなくちゃいけない」


「そういうことなんだ。わかった。それじゃあ一緒に勉強しよう伊吹。私も伊吹と一緒にがんばる。2人で勉強すればきっと効率もあがるよ」


 俺の目的を知った愛は、快く協力してくれることになった。俺と愛は早速、今日の放課後、勉強会をすることになった。



「お邪魔します」


 俺は8年ぶりくらいに愛の家に足を踏み入れた。小学校低学年の頃まではよく遊びに行っていた。けれど、年齢が上がるにつれて、女子の家に遊びに行くのが恥ずかしくなって、それっきり行ってない。


 愛の部屋に案内される。愛の部屋はきちんと整理されていて、無駄なものがなにもない。前に愛の家に遊びに行った時は、愛の部屋はぬいぐるみや人形だらけだったのに、今はその影もない。愛も大人になったということか。


「お菓子とジュースを持ってくるから、その辺に座って待ってて」


 俺は愛に促されて、座った。机の上で教科書を開き読み込む。3行で飽きた。どうして人間の集中力って続かないんだろう。ゲームをやっている時は、何時間でも集中できるのに、勉強となると1分も集中力が持たない。これは人体の七不思議だな。じゃあ、後の6つはなんだろう。


 そんなくだらないことを考えていたら、愛がオレンジジュースとチョコチップクッキーを持ってきた。


「はい。オレンジジュース。好きでしょ」


「昔はな。今の俺は紅茶が好きだ」


「そう……伊吹も大人になったんだね」


「ついでに言うと、ホットケーキもそこまで好きってわけじゃなくなったからな」


「そうなんだ……」


 こうして考えてみると俺と愛はお互いのことを知っているようで何にも知らないのかもしれない。俺も愛もお互いの記憶は小さい頃のイメージが強い。部屋にぬいぐるみを置いて、もふもふするのが好きだった愛。オレンジジュースが好きで、がぶがぶ飲んでいた俺。その、どちらももうどこにもいない。成長という名の時の流れによって、綺麗さっぱり消えてしまったのだ。


「それじゃあ、勉強しようか」


「ああ」


 愛は黙々と勉強している。教科書を読みこんで、ノートになにか書いている。


「なあ。愛。どうして、教科書の内容をわざわざノートに書くんだ?」


「それは、覚えるためだよ」


「え? なんで? 教科書って1回読んだら、大体覚えられるよな?」


 1回読んだだけで一言一句完璧に覚えるのは無理だけれど、大体の大筋は覚えることができる。


「伊吹と一緒にしないで。脳科科学的に、人間は書いたものを記憶しやすくなるんだよ」


「へー。そうなんだ。やってみよう」


 俺も何の意味があるのかよく分からないけれど、教科書の内容をノートに書くことにした。


 次に愛は、文章の途中で赤ペンを使ってある単語を書いた。そして、そのまま黒のシャープペンに持ち替えて、また続きを書き始める。


「愛。今のなんだ? どうして色を変えたんだ?」


「後でノートを読み返した時に、重要な箇所をわかりやすくするためだよ」


「え? なんで? 1回書いたら覚えられるんでしょ? 見返す必要なくない?」


「伊吹と一緒にしないで。書けば確かに覚えやすくなるけれど、人間ってのは忘れる生き物なの。何度も読み返すことで、記憶を定着させる。そうしたら、忘れにくくなるの」


「ほう。そういうものなのか。愛、お前脳科学者になれるんじゃね?」


「別になるつもりないし。それに私の学力じゃ、学者なんて無理だよ」


 確かに学者の枠はアフロディーテ・プロジェクト産の天才で埋まっている。ナチュラルが学者になったら、間違いなく一面記事を飾るニュースになるだろう。


「ねえ、伊吹」


「ん? どうした?」


「ちょっと、聞いてもいい? ここの計算なんだけど、どうやって解いたらいいの?」


「ん? ああ。それはだな。こことここは、この公式を使ってやれば簡単に解けるぞ」


「あ、本当だ。凄い。流石伊吹」


「ああ。またわからないことがあったら聞いてくれ」


 愛は一生懸命勉強している。そして、当の俺は勉強している……フリをした。いつも授業中にやっているアレだ。


「ねえ。伊吹。また教えて欲しいところがあるんだけど」


「おーけー。任せろ」


「この現象が発生する理由って何?」


「ん? ああ、それはだな――」


 こうして、俺と愛の勉強会初日は終わった。なんだか、俺が愛に一方的に勉強を教えていたみたいだ。俺の目的は俺の成績をあげることなのに、こんなことでいいのだろうか。


 でも、まあ、これで愛の成績が上がってくれるなら、それはそれでいいか。俺は愛の努力は報われて欲しいと思っている。アフロディーテ・プロジェクト産の天才たちが牛耳っているこの世の中。その世の中に風穴を開けるのは、俺じゃなくて、ナチュラルで努力家の愛なのかもしれない。


 自由恋愛が解禁されればナチュラルの数も必然的に増える。なら、ナチュラルには、ナチュラルのお手本となる指導者の存在が必要だ。愛。お前がナチュラルでもこの世の中を生きていけるって示してくれ。

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