第2話 有村 真奈という女
学校から4駅ほど離れたところにある高層マンション。そこの12階に俺の将来の結婚相手(仮)の有村 真奈が住んでいる。1205号室の前に立つ。インターホンに手をかけようとした次の瞬間、扉がガチャリと開いた。
中から出てきたのは白と紺のストライプ柄のエプロンを着た真奈だった。真奈はGPSで俺の位置を把握している。それでも、タイミング良く扉を開けるのは至難の業だ。この女はエスパーかストーカーの素質があるな。
部屋からなにか甘い匂いがする。なにかお菓子でも作っていたのだろうか。
「うふふ。伊吹くん。こんにちは。よく来たね」
真奈の今日の髪型はポニーテール。非常にシンプルな髪型ではあるが、男子人気はかなり高い。真奈が首を動かす度にゆらゆらと束ねた髪が揺れる。やはり、肉食動物というものは動いているものをついつい目で追ってしまう習性がある。俺の視線は真奈の首から上に固定された。
「さあ、上がって。今日は伊吹くんのためにホットケーキを焼いたんだ。好きでしょ? ホットケーキ」
幼稚園のころは確かにホットケーキが好きだったけど、今はそんなに大好物というほどのことではない。いや、好きか嫌いかと言われたら好きな部類に入るけれど、そんなテンションが上がるような食べ物じゃない。歳を取って味覚が変わったせいもあってか、今一番食べたいものは寿司だ。
真奈の部屋に案内される俺。リビングには、出来立てのホットケーキが4段積まれていた。まさか、これを全部俺に食えって言うんじゃないだろうか。
「伊吹くんはまだ育ち盛りだから全然食べられるよね? いっぱい食べていいんだよ」
流石に男子高校生の俺でもホットケーキ4枚はきつい。こんなのベーキングパウダーの暴力じゃないか。
「さあ、遠慮しないで食べてね」
真奈は俺にニッコリとほほ笑みかける。くそ、本当に真奈は俺の好みのタイプだ。そりゃそうか。AIが膨大な量のデータを元に相性が合う相手を選んでくれたんだからな。
パートナーがまだ決定していない国民は、1年に1回、健康診断と共にデータを採取されるのだ。その項目の中に、顔をズラーっと並べて、その中から好みの顔を選んでいくというものがあるのだ。つまり、俺がどんな顔の女性が好きかをAIは知っている。真奈の顔はハッキリ言えば俺の理想に近い。俺は愛の顔をイメージして、出来るだけ彼女に近い顔を選んでいったつもりだ。愛は歳不相応に大人びていて、キレイ系のお姉さんってイメージだった。だから、年上の真奈がパートナーに選ばれてしまったのだろう。
俺が本当に好きなのは愛だ。だけれど、真奈もAIが選んだだけあって俺の理想に限りなく近い女性だ。正直言えば、もし愛と出会わなかったら俺は真奈と迷わず結婚していただろう。それくらい魅力のある女性なのだ。
ホットケーキを食べる俺を満足そうに見つめる真奈。俺が食べている姿がそんなに面白いのだろうか。
「ねえ、伊吹くん。美味しい?」
「うん。美味しいよ真奈」
「そっか。ありがとう。好きな人に美味しいって言ってもらえるのが一番嬉しいよ」
俺は本当なら年上には敬語を使うタイプだ。だが、真奈相手には敬語を使うことを許してくれない。真奈は敬語を使われると自分が年上のおばさんみたいになるから嫌だと言っている。俺とは対等な立場でいたい。そういう彼女の乙女心があるのだ。彼女も彼女で俺との歳の差を気にしているのだ。
「ねえ。真奈。どうして、俺なんかがいいの?」
「え? なに言ってるの伊吹くん。伊吹くん以外の男の人なんて考えられないよ」
「いや。俺は真奈に比べたら全然子供だし……ぶっちゃけ、大人の真奈からしたら男子高校生ってガキじゃない? というよりサルに近い存在だと思うんだけど」
「ふふふ。確かにお猿さんみたいな子はいるけれど、伊吹くんは違う。だって、私の運命の人だもの」
「運命の人……AIに選ばれたから?」
「そうね。AIが選んだ相手には間違いはないもの。それはこの社会の常識だよ」
常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションだ。アインシュタインの言葉だ。俺たちは生まれた時から、AIが導いてくれた相手と付き合うのが常識だと思い込まされている。だけど、それって本当に正しいことなのか? 自らの溢れ出る恋心を抑えてまでAIに従う必要があるのか? 真奈だって30年近く生きているなら好きな人の1人や2人できてもいいと思うのに。
「真奈はさ……好きな人はいなかったの?」
「いるわけないじゃない。いたら、今頃政府の施設で人格矯正プログラムを受けているよ。本当に伊吹くんは面白いこと言うね」
「あはは。そうだよね」
そう。それが異常なのだ。人が異性を好きになったらどうしていけないのか。自発的に恋をすることのなにがいけないのか。AIが決めた相手以外と恋をするのが異常な世の中の方が異常だ。
俺たちはAIが選んだくれた相手が絶対的な正義だと信じ込まされている。実際、この制度も悪いことばかりではない。もし、俺が愛と出会わなかったら、愛を好きにならなかったら、真奈という素晴らしい女性と出会い結婚する機会を与えてくれることに感謝をしていたかもしれない。
でも、俺は……最終的には自分の結婚相手は自分で決めたい。AIで選ばされた相手じゃなくて、ちゃんと自分の意思。人間の意思で決めたいんだ。
「ごちそうさま」
真奈の料理の腕は素晴らしくて、ホットケーキも美味しかった。4枚なんて食べられないだろって思っていてもあっと言う間に平らげることができた。料理が上手な妻。それは時代がどれだけ移り変わっても、決して消えることのない需要。AIで料理ができる時代であっても人は手料理を求めずにはいられないのだ。
「ありがとう。全部食べてくれて嬉しい。ねえ、伊吹くん。気持ちいいことしよっか」
真奈が俺の体に指を這わせる。触れるか触れないかのギリギリのフェザータッチ。その感覚がくすぐったくて、俺の口から思わずこれが溢れ出てしまった。
俺は真奈の指使いに抵抗することすらできなかった。力では俺の方が真奈より上だ。でも、この指の前では力を入れることができない。そのまま俺は真奈の繊細なタッチに翻弄されるだけだった。
真奈の指が俺の制服のボタンに触れる。少しずつ丁寧にボタンを外されていく。真奈は慣れた手つきで俺の服を脱がせていく。そうして俺はあっと言う間にパンツ一丁にされてしまった。
「ねえ、伊吹くん。ベッドに行こうか」
「は、はい……」
「こら、敬語はダメだって言ったでしょ」
俺は真奈に連れられてそのまま寝室へと移された。ベッドにうつ伏せで寝かされる俺。そして、背中に真奈の手がミミズのように這っていく。
「はうぅ……」
「どう? 気持ちいい」
「うん……気持ちいいよ真奈」
「ほーら。ここがこんなに硬くなっている」
そう言うと真奈は俺の――首元を優しくほぐし始めた。
「ねえ。伊吹くん。どうせまたゲームばっかりやっているんでしょ。画面を長時間見続けているとクビが凝って固まっちゃうんだよ」
それは正しく現代人が抱える病だ。大抵の肩こりは首からくるものである。真奈は人体に詳しいエステティシャンだから、その辺のことも詳しいのだろう。
その後、俺は真奈の指先のテクニックだけで天国へと昇るような気持ちになった。とても至福の時間だった。流石本職のエステティシャンだ。
「ふふふ。施術はこれで終わりだね。どう? 伊吹くん。気持ち良かった?」
「うん。ありがとう真奈」
「伊吹くんだからタダでしてあげたんだよ。私のマッサージは高いんだから」
高校生の身にして、本職のエステティシャンからタダで施術される。同級生の女子が聞いたら羨ましがりそうだな。
「ねえ。伊吹くん……その、盗聴器は外してあげるね」
「え?」
意外な言葉だった。真奈は「結婚したらGPSと盗聴器を外してあげる」って言っていたのに、どういう風の吹きまわしだろう。
「その……伊吹くんは私と結婚してくれるって信じているから。だから、盗聴器は外してあげるね」
「え、ああ。うん。ありがとう」
本来なら盗聴器が仕掛けられていないのが普通のはずなのに変にお礼を言ってしまった。だが、これで真奈の呪縛から解放される。愛とも普通に話せるようになるぞ。
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