応援コメント

第四話 且元が豊臣の存続を願う理由」への応援コメント

  • 関ケ原のそもそもの発端は、上杉が会津に国替えと
    なった際、旧領越後の年貢を全て会津に持っていった
    事でしたよね…。本当は半分残していく条件だった
    はずなのに…それを詰問されて、その答えが直江状です。

    それで開戦…その後の動きから見るに、
    これは三成や恵瓊、上杉が初めから組んで家康を嵌めた…
    というのが真相でしょう。

    この戦に勝ち、家康に組した大名から領地を召し上げ、
    それを恩賞として朝鮮出兵組に渡す…を考えていたけれど、
    結果負けて真逆の結果になった…。
    これが関ケ原ですね。

    作者からの返信

    読んでいただいてありがとうございます。
    感想をいただいてはっとしたのですが、関ヶ原合戦に至るまでに、西軍の側でも東軍と似たような筋立てがあったわけですね。知らず知らずのうちに勝者にばかり立ってモノを書いていたことに気付かされました。
    負けたことで体制からはじき出された関ヶ原牢人の徳川に対する怨念は並大抵ではなく、徳川からすれば、関ヶ原での勝利に伴って発生したこれら産業廃棄物(御免!)の処理は避けて通ることができない道だったともいえます。その総決算が大坂の役だったわけで。
    徳川との衝突回避という困難な問題に立ち向かった且元の苦衷察するにあまりあると思う所以です。