逢魔ヶ時

「ゆーやけこやけでカラスが鳴くよ♪」

 どこかで子供が歌っている声が聞こえていた。夕暮れ、逢魔ヶ時とも言うか。昼と夜の境の時間。何もかもが赤く照らされ、輪郭がおぼろになり、現実感が少し薄れる。

 なるほど、魔的といえば魔的なのか。

 益体なくそんな風に思考を巡らせた。

 1日が終わる。こんな田舎の村では主な仕事は野良仕事だ。日が落ちるのと一緒に仕事も終わる。

 みな家に帰って思い思いに明日を待つのだろう。

 戦の時代が終わり、ようやく穏やかになった世を謳歌するのだろう。

 彼らが日暮れとともに家に戻り、静かに過ごせると言うことこそこの時代が平和になった象徴なはずだ。

 私はそんなようなことを思いながら、村はずれの一本杉の根元に腰を下ろしていた。

 私は旅の行商人だった。一人で一方の土地で手に入れたものを他の土地で売る。そんな風なことを生業にしている。

 嫁もおらず、家族もおらず、帰る家はない。

 気ままな旅暮しというやつだ。

 物心ついた時からこんな生活をしてもう20年近くになる。

 私はすっかり渡世人となってしまって、もうまともな仕事をすることもないだろう。

 こうやって生きて、いつかどこかで野垂れ死ぬのが定めだ。そして、それで良いと思っている。 

 だからこんなところで呆けている。宿探しはこれからだ。さっきの子供の家のうちの一軒の軒でも借りるつもりである。そう言う風な雑な寝床で良いのだ。

 ずいぶんここで呆けていた。

 もうそろそろ重い腰を上げる。

 そう、上げたところだった。

「お兄さん独り?」

 声をかけられた。そこに居たのは一人の女だった。こんな田舎に似つかわしくない仕立ての良い着物を着ている。

 妙な女だった。

「ええ、一人ですよ」

 私は答えた。私に旅の道連れは居ない。嘘を吐く理由もない。

「そう。それは良かった」

 女が笑った。私は背筋に悪寒が走るのを感じた。

 女の影が伸びている。それも大きく大きく。夕日は私たちの後ろにあるというのに、女の影は普通と反対に女の前に伸びている。

 その影は人間の姿ではなかった。

 それは大きな人のような牛の姿だった。

「あ...」

 私の頭を『逢魔ヶ時』という言葉がよぎった。昼と夜の境、現実と幻想の間。そこには人ならざるものが現れる。

「やせぎすの男の肉などどれだけ腹の足しになるか分からぬが、食わぬよりはましだろう」

 女は笑っていた。

 それはひどく美しい笑みで、とても人間のものとは思えなかった。

 しかし、

「む? 貴様、西国の匂いがするな。西国の生まれか」

「は....? あ、ああ」

 私の生まれは津田野の生まれだった。瀬戸内に面した小さな漁村。そこが一応の故郷。

「西国は大狸めの土地だ。あの性悪では食っただけで難癖を付けかねん。やめじゃやめじゃ」

 女はブツブツ言った。そして、その姿は突然吹いた一陣の風に目を閉じた間に消えてしまった。

「は....ははは....」

 私は力なく笑った。どうやら危機は去ったらしい。

 先程、この生活にももう馴染んで他を選ぶ気も起きないなどとのたまったが例外はある。

 こういった目に合った時、私は人里で人々に囲まれながら安寧に暮らしたいと思うのだった。

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