第9話『ユキ! ユキ!』
となりのトコロ・9『ユキ! ユキ!』
大橋むつお
時 現代
所 ある町
人物 のり子 ユキ よしみ
のり子: おやじさん、一人暗いね。
ユキ: ……(泣いている)
のり子: 泣くなよ。気持ちはわかるけどさ、世の中には通じないものだってあるんだよ。
ユキ: 苦労したのは、父さんだけじゃないんだ。北海道から内地へ。内地へ渡ってからも、秋田、岩手、高知で二回、鹿児島で三回。そしてこの町で二回引っ越したわ。雪女の血をひいてるもんだから、高知や鹿児島では、いつも死んだみたいに元気が無くって、度重なる引っ越しで、友だちのできる間もなかった……だから、わたし、ずっと十歳の女の子……それでも掃除、洗濯、食事の用意に、ご近所の回覧板、朝夕は新聞とヤクルトの配達のアルバイト……姉さんはずるいから、七歳の姿に戻って自分の成長を止めてしまって、世間の人は、みんな姉さんのほうを妹だと思っていた。
のり子: 苦労したんだ……
ユキ: 父さんは、行く先々で、仕事かわって、外でお酒ばかり飲んで。家じゃヘドはいてクダまいて……ロクなもんじゃなかったんだよ。父さん、父さん、聞いてるの父さん? 聞いてるの父さん?
のり子: (何事かに気づいて、傘をつかんで下手へ)ダメだよ、ユキ! いくらダメなおやじだからって、親は親なんだからさ!
ユキ: わかっているわよ、そんなこと!
のり子: わかってないよ。あんたの心は怖いよ! 憎しみでいっぱいだ!
ユキ: そんなこと……そんなことないわよ……
のり子: あるよ! ユキ、あんた、この傘を、おやじさんをたたっこわそうと……
ユキ: 思ってないよ!
のり子: 思ってる!
ユキ: 思ってないよ。ないから父さんよこして!
のり子: ダメだ! そんなユキに渡せるわけないじゃんか!
ユキ: クク……心が通じるって、不便なこともあるのね(あふれるものを、こらえている)
のり子: ユキの心って、怖いものがいるんだね……
ユキ: わたしの心の底の底は雪女だもの……
のり子: ダメだよ、その心は!
ユキ: わかってるわよ。でも、あふれてくるのよ。いままでこらえていたものが。そう、わたしってこらえていたのよ。こらえるために、耐えるために十歳の子どもでいたのよね……きっとそう。ピーターパンも何かに耐えるために、ずっと子どもでいたのよね。だから、ピーターパンは人を殺さない。
のり子: そう、殺しちゃいけない! がんばって、あふれるものを飲み込んで!
ユキ: ごっくん! そうよね、ピーターパンみたいに。ああ、こんなとき、ピーターパンなら、きっと空を飛んでいたことでしょう、フライパンになって。それでもダメなら、アンコを飲んでアンパンマンに。でも、わたしは飛べない。雪見大福雪女……ああ、ダメ! 目から口から耳からあふれて、こぼれてくる……うわああああああ!(身体のあちこちから、蒸気のように恨みや怒りを噴き出させ、鬼の表情で『鬼滅の刃』の禰豆子のようにのたうち回る)
のり子: ダメエエエエエエエ! それをあふれさせては……雪女になっちゃダメだ、ダメだよ、ユキ! ユキ!(のたうち回るユキにしがみついて、きつく抱きしめる)ユキイイイイイイイイ……!
発作のような痙攣が続き、ようやく収まって
ユキ: ウーーーーーーーーーップ……ありがとう、のり子。なんとか、あふれないですんだみたい……
のり子: よかった、よかったね。
ユキ: うん、父さんを……(のり子、ためらう)もう、大丈夫。
のり子: そうだね(傘をもってくる)
ユキ: 父さん……父さん……ごめんね。ユキ、もうひい婆ちゃんみたいになったりしないからね。たとえ傘になっても、父さんは、父さんなんだもんね……ね、いっしょに常呂に帰ろ。常呂に帰れば常呂の森が、空が、海が、風が、そしてトコロが、わたしたちを迎えてくれるわ……ね。常呂に帰れば、仕事も世間も、態度の悪い高校生も、OLも、口やかましいだけで、コミュニケーションゼロのご近所も、なにも気にしなくていい。いいのよ。だから……(やにわに傘をかまえる。のり子もそれにならう)
二人: 開いてちょうだい、お願いだからああああああああああああああ!!
ユキ: ウーン……ダメだ、ダメだ!
のり子: (傘を取りあげ、立ちふさがって)ダメよ!
ユキ: ありがと。大丈夫、大丈夫よ……
のり子: (傘に)ねえ、おやじさん。赤の他人のあたしが言うのもなんだけど。ね、ユキちゃん、あんなにしょげかえっちゃって。ね、お願いだから……これだけ言ってもダメ…………ええい、このわからずや。こうしてくれるわ!(傘を振りあげる)
ユキ: (慌てて、止めに入る)やめてちょうだい。これじゃ立場が反対! 反対でしょーが!
のり子: そ、そうよね(;^_^)。
ユキ: ありがとう……トドロの気持ち、とっても嬉しい……
のり子: 嬉しいのはいいけど、どうするんのこれから?
ユキ: 開かなくても、父さんを常呂に連れて帰る……
のり子: でも、開かなきゃ……元にはもどれないんでしょ?
ユキ: 閉じたまま放っておくと、ほんとうの傘になってしまう。二度ともどれなくなってしまう……それでも連れて帰る……帰るしかないもの……
のり子: ユキ……
ユキ: 常呂の森に、傘の父さんをひっそりとさすの……そうすれば……
のり子: そうすれば……?
ユキ: いつか芽がでて、枝がのびて。そして、ゆっくりと森の中の一本の木になる……父さん、苦労知らずの気の弱い人だったから……人間でいるより、木になったほうが幸せかもしれない……
のり子: 木に……?
ユキ: 木になれば、だれとも会わず、わずらわしいことも何もわからなくなって……ただただ風に枝をそよがせて、静かに幸せになれるわ……そして……わたしはひとりぼっち(膝に顔を埋めて泣く)
のり子: ユキ……かわいそうなユキ(母のように、肩を抱く)
ユキ: (はじけるように、身をそらせる)
のり子: (したたかに、ユキの頭で顔を打つ)ウーン……どうしたのよ、ユキ?
四方から蒸気のような「気」が湧きだしてくる。
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