第5話
病院を退院し、ようやく自宅への帰宅が許された。
久しぶりに帰った我が家は空気が淀んでおり、ダイニングテーブルを指でなぞると指先に埃がまとわりついた。私がいなくなってから時間が止まっているようだった。
せっかくの冬晴れだったので洗濯と掃除をまとめて行うことにしたのだが、思った以上に部屋は埃が溜まっており、秋物のコートがそのままだった。
まさか秋物の服を冬まで出しっぱなしにしてるのは私くらいだろう。
今日は大掃除で終わりそうだなと覚悟し、さっそく衣類を片付け始めると、コートのポケットからカードが一枚、足元にひらりとに落ちてきた。
どこかのポイントカードかと手に取ってみると、そこには〈NPO法人 やどりぎハウス〉と記載されていた。
「吾妻さん。旅行の話があるんだけど、近いうちに時間もらえないかしら」
「もちろん。僕も話をしたいと思ってたんだよ。穂波さん行きたいところあるかな?」
彼は私の内心に気付くこともなく、旅行の段取りを決めたいとはしゃいでいたが、何処か取り繕ったような感じにも聞こえるんだけど……
そして三日後に会う約束をして電話を切った。
「お久しぶりです。といっても穂波さんは覚えてらっしゃらないと思いますが、私は以前笹川穂波さんを担当しておりましたカウンセラーの高槻と申します」
私は拾った名刺に記載されていた電話番号に連絡をとった。
もしかしたら失われた記憶と関わりがあるのか聞きたかったのだが、記憶を失いましたなんて理由では個人情報は開示できないと、至極当然な理由で断られた。
どうしたものかと悩んでいたところ、高槻先生のほうから連絡をくれたのだ。
先生も私が急に来なくなったことを気にしていたらしく、話を聞くために予約を入れてもらった。
そもそもやどりぎハウスは、家庭内のトラブルや、離婚、いじめ、ひきこもり、依存症などの問題で困っている方を対象に支援を行っているNPO法人である。
なぜ私がそのような団体の名刺を持っていたのか――プロポーズも受けて幸せ真っ只中だったはずでは?
約束の当日、私はやどりぎハウスの相談所に訪れた。待合室は観葉植物が適度に配置され、それなりにお洒落なオフィスであった。
受付で簡単なアンケートを記入していると、奥の部屋から初老の男性が出てきた。首に掲げているネームプレートには、<
この人が私の過去を知っている人だと思うと、急かすように心臓の鼓動が早く脈打った。
「お久しぶりですね。笹川さん。随分と顔色が良くなったようだ」
私はこれから真実を知ることになる。
「結論から申しますと、貴方は婚約者から暴力を受けていた可能性が高いです」
「DVですか?……それは、私が暴力を受けていたと言うんですか?」
流石にそれはないだろう。そんなことがあれば、さすがに警察に駆け込むはずだ。
「私のもとに貴方が相談に来られたときには、外傷などは見受けられませんでした」
いやいや、DVと言いながら自ら否定するとはどういうこと?
「なら」
「ですが、家庭内の暴力と言うものは、肉体的暴力だけではありません。笹川さん。モラハラというのはご存じですか?」
「モラハラですか……えっと、モラルハラスメントのことですよね」
近頃テレビでもよく聞くので、単語自体は知っているが、それがなんだと言うのだ?
「あなたと初めて会ったときの印象ですが、正直ご自身の意思が感じられなかった。分かりやすく言えば、何者かによる精神的支配下にあったように見えました」
「支配下って……そんなまさか」いや……でも上司の言っていたことが正しければ、それもありえるのか?あの優しそうな吾妻さんがそんなことをするとはとても思えないんだけど。
それに愛美が言っていたことも、もしかしたら……
「ですが、待合室でも申し上げたように、今の穂波さんは以前のそれとは全く別人に見えます。今お付き合いされているのは、本当に以前の婚約者なのでしょうか」
吾妻さん、あなたは誰なの?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます