第七話 魔術師キドラルススアーク

 まずはじめに、メルクサック自身について話そう。彼の歩みは何年も旅をつづけたイヌイットの生き証だ。


 メルクサックの母は氷床の上で彼を産んだ。そこがどこであったか、海の向こう側だということ以外、彼は知らない。彼は旅の途中で産まれ、人生を旅に費やした。年老い、リウマチにかかっても、獲物を求め一年に何百マイルも旅した。彼が言うには、魂がこの地球から離れ、広大な狩りの楽園に行くまで旅をやめるつもりはないらしい。


 海の向こう側にもイヌイットが住んでいると彼は言った。そして両親は最北の集落出身だそうだ。彼らの村に白人はいなかったが、たまに大型船が来て接触した。船でやってきた白人は、対岸にもイヌイットがたくさん住んでいると教えてくれた。この話にキドラルススアークはいたく感動した。


「キドラルススアークは偉大な魔術師だった。たくさんの伝説が彼について教えてくれる。彼のことを聞かせずに、私たちの旅の話ができようか?ところでパニグパック、きみは彼についてよく知っているだろう。彼はきみのお爺さんだ、そうだろう?」


 私とメルクサックはパニグパックの家を訪れていた。彼は移住してきたイツクスクの息子で、いつも知的な眼差しをたずさえた紳士だ。普段はあまり饒舌ではなく、人が話すのを座ってニコニコ笑いながら聞き手に回っていた。だが彼になにかを聞き、それが彼にとって興味を引く話であれば、少しとまどいながらも語る彼の話にテントは静まり、人々はとりこになる。パニグパックは優秀な猟師で、彼の話にはみな敬意を払っていた。


「キドラルススアーク」とパニグパックは語り始めた。「私の偉大な祖父、偉大な人――ああ、イヌイットはいつも彼に従っていた。人々は彼を恐れていた。――彼が行ってしまう前に私は会っている。私が物心つき、自分と他人の区別ができるようになったころだ。私は彼が好きだった。いつも私を膝に乗せ、精霊の唄を歌ってくれたからだ。彼は白人のように髪が薄かった。彼の大きな額には髪の毛が一本も生えていなかった。これを見れば、私が彼に似たのがわかるだろう。ほら見ろ!」


 パニグパックはすっかり薄くなった自分の髪を指した。


「私の偉大な祖父に敵う者などいなかった。誰も彼に意見する勇気などなかった。彼の物語は繰り返され、伝説となった」


「こことは違う海を越えた場所で、祖父は一人の仲間と共にカリブー狩りに出かけていた。獲物を追いかけていたとき、彼らは山へと伸びる広い道に出た。道なりに進むと吹雪が彼らを襲ったため、走って進まざるをえなかった。その道はまるで白人が建てたような大きな家に続いていた。中に入ると、そこには巨人の女が二人、石のベッドにもたれかかっていた。


『ねぇ、あそこ、私たちとは違う人種よ!』


 巨人に指さされ、祖父の仲間は緊張で固まってしまった。彼は巨人につまみ上げられ組み敷かれると、ブランケットを被せられた。しばらくしてブランケットが外されると、彼は死んでしまっていた。


『次は私を殺す気だろうか?』


 と祖父は考えた。そしてそれを口にする前に、彼女は突然『いいえ』と答えた。


『いいえ、あなたに何かするような勇気はないわ。あなたの霊圧は強すぎる!』


 それが何を意味するのか、私にはわからない。だが思うに、彼女は祖父の考えていることが言わずともわかるようだ。


『ちょっと待ってて』


 彼女は大きな羽を持ち出して扇ぎ、仲間に生命の息吹を注ぎ込むと、仲間は蘇った。そして『出発する前にこれを食べて!』と食べ物を提供してくれた。食事を終えると、彼らは出発した。その瞬間、彼らはまだ道の上で吹雪に襲われいることに気づき、また走り出した。


 彼らはまた家を見つけたのでそこで休もうとした。横になるやいなや群衆がやってきて、屋根の上で跳びはねる音で起きた。だがキドラルススアークがベッドから降りると泣き叫びながら逃げるのが聞こえた。彼らはそこで一泊し、翌日、我が家に戻った」


「またあるとき、キドラルススアークは孤児を連れてクマ狩りに出かけた。彼らは外洋まで遠征し、陸地が見えなくなった。それほど遠くまできたとき、突如として嵐が巻き起こり流氷を引き裂いた。陸地へと続く道はひとつとしてなくなった。それだけでなく、嵐は彼らが乗っている流氷をより海の方へと引き込んだ。


『ソリの上で伏せて、目を開けないように!』キドラルススアークは孤児に言いつけた。『もし一度でも目を開けたら、俺達はどちらも死んでしまうぞ!』


 孤児はソリの上に寝そべり、ノリでくっつけたようにギュッとまぶたを閉じた。寝そべるやいなか、犬ぞりがものすごい速さで陸に向かって走りだすのを感じた。ソリは荒々しく速度を上げていった。孤児は好奇心にかられ、左目を薄っすらと開けた。すると見よ!キドラルススアークはクマに変身し、犬ぞりを先導しているではないか。彼が海に向かって足を踏み出すと、海は凍結し、犬ぞりが進む道を作った。不意に一匹の犬が氷に沈み込み、孤児も危うく溺れかけた。孤児は慌てながらも、今度は失敗しないよう、ふたたび目をつむった。


 こうして彼らは長時間走り続け、唐突にソリは止まった。


『起きなさい。無事だったか?』キドラルススアークの声がした。彼は元通りの姿でソリの側に、地上に立っていた。


 だが少年が走って来た方向を見ると、どこもかしこも波で泡だつ海だった。このように、若いころのキドラルススアークはとても強い力を持っていた。ところでメルクサック、きみが何を話したかったのか教えてくれないかい。もしくは君が眠くなるまで祖父の話を語ろうか。空はまだまだ明るいぞ!」とパニグパックは結んだ。


「ああ、聞かれたとおりに話すよ」メルクサックはそう答え、私の方を振り向いた。

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