白昼の発狂

里場むすび

白昼の発狂

## 01


 ――11月13日。X県F市Q町にて。


 午後3時、A氏(37歳・男性・フリーター)は馴染のパチンコ店『トロピカルスイート』に入り、そこで異様な光景を目撃した。

 フロア中の客や店員のことごとくが、倒れ、発狂していたのだ。

 即座にA氏は通報した。これを受けてすぐに救急隊が駆けつけたが、うち半数は死亡。残りは意識不明と重度の発狂。発見者のA氏も突如救急隊員に向かってDVの懺悔を始めるなど、軽度の精神異常を見せた。


 原因はすぐに発覚した。マンドラゴラだ。


 パチンコの騒音に満ちていた『トロピカルスイート』の中で人知れず、マンドラゴラが叫び続けていたのだ。『トロピカルスイート』内は常に80~90dB程度の騒音が鳴り響いている。一方、この事件で集団発狂を引き起こしたマンドラゴラの叫び声はおよそ50dB。「ご近所さんに迷惑をかけることなく収穫ができる」と、新興マンドラゴラ農家に評判の品種だった。


 しかしマンドラゴラがひとりでに土から抜け出して叫び声を上げるということはまずない。すなわち、この事件には犯人が存在する。誰かがマンドラゴラを店内に持ち込み、そして引き抜いたのだ。

 マンドラゴラは土に植えられている状態だと一見して他の植物と見分けがつかない。観葉植物だと言って持ち込んでしまえばまず、気付かれることはないだろう。

 また、マンドラゴラの設置場所は監視カメラの死角だった。誰が引き抜いたのかは不明。

 犯人は事前に耳栓を用意していたと考えられるが、そもそもパチンコ店に耳栓を持っていくのはそう不自然なことではない。今回の事件の被害者のうち、耳栓を持っていながら発狂、及び死亡してしまった者は、周囲の異常を感知し、何があったのかを知るために耳栓を外し――皮肉にもその危機察知能力がゆえに――マンドラゴラの叫び声を聞いてしまったのだと思われる。


 誰にも怪しまれることなく、観葉植物としてマンドラゴラを店内に持ち込めるのはパチンコ店の店員のみだ。しかし、その店員はことごとくが発狂、及び死亡している。

 マンドラゴラ発狂の専門医M氏によると、「マンドラゴラによる発狂は発狂前後の記憶が抜け落ちることが多い。正気に戻ったとしても、まともな証言は得られないだろう」とのことだ。

 日本犯罪史に名を残すであろうこの集団発狂事件は、迷宮入りしてしまうのだろうか――?


 ◆


『ボツ。こんなのはその辺のネットニュース見りゃ誰にだって分かる』


 編集長からのメールを読んで、私はため息をつく。悔しさよりは、納得の方が上回っていた。


(だよなあ……。自分で書いといてなんだけど、「迷宮入りしてしまうのだろうか――?」ってなんだよって話だし)


 私、中野なかの紅葉こうようは一風変わった事件を中心に取り扱うwebマガジンのライターをしている。長年、夢だった文章を書く仕事ができて嬉しいというのが半分。編集長から容赦ない言葉を食らい続けて仕事をバックレたいのが半分。そんな感じで複雑な心境である。


「なんだ、またボツだったのか」


 一方。そんな私と違ってこの男は悠々自適の生活を謳歌していた。

 ルームシェア中の同居人、湖畔ヵ丘こはんがおか清司楼せいしろうは探偵である。それも浮気調査とかをする一般の探偵ではなく、その頭脳を誰かに貸すシェアワーキング探偵だ。

 依頼人から受け取った情報を元に、依頼人の望む情報を推理によって提供する探偵。卒論の内容から、刑事事件の犯人の特定まで――様々な情報をその常人離れした思考力によって提供しているのだと言う。

 普通に考えれば、そんなの仕事になりようがない。……だがこいつは私と違う世界に生きているらしく、それが成立してしまっていた。

 本当かどうかは知らないが、彼に下読みの依頼をする小説家までいるらしい。なんでも改善案の提供を求められるのだとか。

 もっとも、この男はウソを平気でつく男である。語る言葉すべてを鵜呑みにはできない。

 ――つまるところ、シェアワーキング探偵などという胡乱な職業を名乗り、それによって金を得ていると以外、彼の素性に関して確かなことを私は何一つとして知らないのだった。


「そうだよ。またボツだよ。まったく辛いね勤め人は」


 私はわざとらしい声でそう言った。すると彼は静かな笑みとともにコーヒーを一杯すすり、


「……いいことを教えてあげようか」

「? なんだよ」

「ちょうど今し方、僕のもとにその――マンドラゴラ集団発狂事件の推理依頼がきた」

「はぁっ!?」


 彼は見せつけるかのような態度で、こちらにドヤ顔を晒している。くそう、殴ってやりたい……!


「え? ていうかそれ、本当だったらマズいんじゃないのか? 私なんかに教えていいのかよ?」


 シェアワーキング探偵の交わす契約がどんなものか知らないが、守秘義務とかに抵触するのではないか。


「うん。そこは好きなように解釈してくれていい。僕がウソをついているとでも、守秘義務が存在しないとでも。ただし、僕はもし君が、この話をほかの誰かに話した場合はこう言うつもりだ。――『ルームシェアしている彼が、勝手に僕に届いた依頼を盗み見た』とね」

「さ、最悪だ……!」

「感想は結構。それより、君はこのチャンスを逃すべきじゃないんじゃないのかな?」

「はぁ?」


 むしろ爆弾を背負わされた気分だ。

 彼はコーヒーカップを自分のデスクの定位置に置くと、僕のPCを指差す。


「――だって君の記事。それをブラッシュアップするのに必要な情報が得られるんだぜ? 無論、オフレコにしてほしいところも少なからずあるが……」

「それは、つまり……何かの取引のつもりか?」

「さあ。そこは君の好きなように受けとってくれて構わない。ただ、僕としては君に恩を売っときたいのさ」

「どういうことだよ?」

「僕の商売は不安定だからね。いつか、家賃の支払いに窮して君を頼らざるを得なくなったとき、君が快く僕の分も引き受けてくれるように……ってさ」


 何を言っているのだろう、この男は。

 現状はむしろ、私の分の家賃まで彼が支払っているような状態だと言うのに。

 すると、彼は私の表情から言わんとしていることを読み取ったのか、こう言った。


「たしかに、今は僕の方が稼いでいる。だが、これから先、どうなるかなんてのは誰にも分からないんだ。ここらで一つ、君の僕に対する好感度を上げておくのも、悪くはないと思ってね」


 そんな理由で守秘義務を破っているのだとしたら、知性の高さの割になんと呆れた男だろう。


「…………とりあえず、そういうことは言わない方がいいと思うぞ」


 私が警告すると、彼は驚いたような顔をした。


「おや、そうなのかい?」


 ――わざとらしいリアクションとともに。


## 02


「容疑者は3名。事件当時にパチンコ店で働いていたのは死亡した店長を除けばこの3人だけになるからな。マンドラゴラの引き抜きについては客にも実行可能だが――それは今、考えなくてもいいだろう。マンドラゴラを店に持ち込んだ犯人から聞き出せばいいことだ」

「……たしか事件当日、シフトが休みになっていた者は全員アリバイが取れているんだったね」


 私の言葉に湖畔ヵ丘が確認を入れる。私は頷きを返して、

「ああ。事件当日、休みの店員は誰も店に近寄っていないそうだ」

「しかし、君も存外詳しいんだな」

「会社の情報網があるからな。そのツテで多少は調べがつけられる」

「じゃあ、マンドラゴラの鉢植えが置かれたのが事件当日だということも?」

「……いや、そこまでは知らなかったが、そうなのか?」

「証言はないね」


 ずっこけそうになった。


「だが、その可能性は極めて高い。もし犯行日以前に持ち込んだものだとして、客にマンドラゴラ農家の鈴木さんがいたらどうなると思う?」

「あっ。マンドラゴラだってバレる!」

「そうだ。素人には分からなくとも、プロになら分かってしまう。マンドラゴラの栽培は法律で厳しく取り締られているからね、見つかれば通報は免れない。ゆえに、何時間も何日も、悠長にマンドラゴラを置いておくわけにはいかないのさ。しかも、シフト次第では犯行当日に仕事を休んでいた同僚からの証言で犯人が判明してしまう。『そういえば、○○さんが鉢植えを持ち込んでました』――って」


 マンドラゴラの鉢植えが置かれていたのは観葉植物の鉢植えの隣――客からも見える場所だ。監視カメラの関係で、そう易々と動かすことはできない。つまり、引き抜かれるその瞬間までずっと別の場所にあったとは考えがたいのだ。


「でも、それが分かったところで犯人には近付けなくないか? 犯人は耳栓をした状態でマンドラゴラを引き抜き、叫ぶマンドラゴラを人目につかない場所に隠した。そしてどっか適当なところで耳栓を外して自分も発狂した――あるいは、発狂したフリをした。そうなればもう、犯人の区別のしようがないだろ?」

「……発狂したフリ、か。それかもしれないね」

「は?」


 湖畔ヵ丘は自分のデスクに行くと、PCを操作してカタカタと何かを打ち込み始めた。それが済むと、こちらへ戻ってくる。


「……なにをしたんだ?」

「ちょっとした思いつきを報告したのさ。もしかすると、この事件は君のお陰で迷宮入りを免れるかのしれない」


 私がその言葉の意味を理解したのは、それから数日後。犯人が逮捕される前日のことだった。


## 03


 マンドラゴラ集団発狂事件の犯人は、苦しんでいる同僚のマネをして、病棟に隠れ潜んでいた。

 正気の人間が発狂した人間のマネをするにあたり、第一に知りたいと思うのはリアルな狂人の行動だ。

 ゆえに、ある時から病院は事件容疑者である店員3名の病室を分散させた。そして、全員にある情報を聞かせた。


「マンドラゴラで発狂した人間は、鼻をよく引っ掻くようになる」


 本当に発狂している2名はこのに惑わされることなく、発狂し続けた。しかし、発狂したフリをしていた1名はこの情報を信じ込み、鼻を引っ掻くようになった。

 犯人は、自首したようなものなのだ。


 ――かくして、この日本犯罪史に名を残すであろうマンドラゴラ集団発狂事件は幕を閉じた。筆者は、事件解決に向けて全力を尽くした関係各位に賞賛の念を送りたい。


 ◆


『まあ良し。どこよりも早く情報を提供したことを評価する。ただし、以下に指摘した点を修正すること。……』


 編集長からのメールを見た瞬間、肩の力が抜けるのを感じた。


「……良かった」


 思い切り椅子の背もたれに体重を預けて脱力する。


「おめでとう。今度は採用されて」


 乾いた拍手を送るのは湖畔ヵ丘だ。祝福してくれるのはけっこうだが、この男には文句の一つでも言ってやりたい。


「……お前さ、『君のお陰で迷宮入りを免れる』とかなんと言ってたけどさあ……あれ、ウソだろ」

「ん? なぜそうだと言えるんだい」

「PCに残ってた履歴を覗かせてもらった。メッセージの送信時刻が、私が編集長からボツを食らうより前になってた」


 すると彼は肩をすくめて、


「悪いね。恩を売るのがヘタクソで」

「いいんだよ。別に。私は正直、お前なんかに恩義を感じたくなかったからさ」


 というか、PCの履歴を私に覗かせたのはそっちだろうに。さすがにパスワードらしき文字列の書かれた付箋が貼ってあれば私だって「見てくれ」ってメッセージだと察する。


 ……思い返してみれば結局、すべてこの男の掌の上だったような気がしてならない。この下手糞で回りくどいやり口だって、「湖畔ヵ丘清司楼は意外と抜けてる」という印象作りの一環なんじゃなかろうか。なんでそんなことするのかって? そこまでは分からない……。


 ただ、彼がより一層分からなくなった感覚だけが残った。信頼と不信の天秤は、元々不信に傾きつつあったのが、この一件を通じてフラットな状態に戻されてしまった気がしてる。


 ペットボトルの紅茶を飲みながら横目で彼の様子を窺うと、なにやら深刻そうな表情になっていた。黒いデスクの上に後ろ手をついて、私を見る。


「……これだけは信じてほしいんだが、僕は君と友好的関係を築きたいと思っている。信頼関係の構築は事件の解決のように一朝一夕ではいかないからね、僕は君の信頼を勝ち取るために……こう見えて全力なのさ」

「さいで。……まあ、そういうことにしとくよ」


 この男の言葉にはウソが多い。だけどこの言葉までウソだとは、さすがに思えない。そう断ずるだけの信頼は、私のなかに生まれてしまっていた。

 だから、


「……まあ。これからも、私が困ってたら助けてくれると嬉しい」


 とだけ言ってやった。少し気恥ずかしいが、今回の件への礼である。


(了)

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