第4話

「プロテスタンティズム、というのはキリスト教だね、右の頬を叩かれたら左の頬を、だとかお金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しい、だとか言ってて、じゃあお金持ちになるのはダメなんだと思っちゃうでしょ。 ところがさにあらず、そこが素人のあかさたな、だからこそ現在はしっかりお金儲けに励まなきゃならないんだ、とマックス・ヴェーバー先生はおっしゃいます。 どういうことかというと…」今日の講義は経済学、有名なプロテスタンティズムと資本主義の倫理いわゆるプロ倫と言うやつだ。 経済学史の先生は早口で、しかしプログラムの先生みたいな急いでいる感じでもなく、何やら淀みなくスラスラと喋る。 ちょっと詐欺師みたいだ、と思いながら、僕は大教室の窓を眺めていた。

 ぼーっと眺めながら、これから先のことを思い描く、もう1、2年後には就職活動が始まる。 公務員になりたい連中は、すでに勉強をやっている。 目的意識の高いやつはインターンだの留学だのしている。 僕はまぁ、そんなこともないので、そこそこ頑張って就職活動をして、何十回と面接を受け、どこか会社に入るのだろうか。 そして上司のすすめでお見合いなんかして結婚し、住宅ローンを抱えて会社にしがみつく。 なんとなく仕事の中にやりがいを見つけたりして出世を目指し…鯉の滝登り、とかいう言葉が頭をよぎる、滝を登って龍になるんだっけ、僕達はこんなふうに、魚に例えられたり、羊の群れに例えられたり、悪くすれば奴隷に例えられたりしている。 社畜、というやつだ。 流石にそれは言いすぎだろうとか思うが、そういえばそれを戯画化した漫画もあったっけ。 スクリーンに映し出されたレジュメをノートに書き写す。 この授業はスマホ撮影は禁止だ。 見つかったらそれだけで単位がもらえない。 みんな守るのか、とか思うが結構みんなそういう約束事は守るみたいだ。 ふいに先日の銭湯の少年のセリフが浮かぶ ”先輩は先輩らしく、後輩は後輩らしく” そうだな、先生は先生らしく、学生は学生らしく、いろいろならしく、に囲まれて僕達は生きている。 午後の授業が休講だったので、彼女を誘って美術館に行った。 展示していたのは「スーパーリアリズムの系譜若冲から広告ポスターまで」というやつだ。 様々なもの、例えば鶏だとか金魚、植物図鑑の絵、イルカ、車など本物そっくりの絵を集めて展示している。 一つ共通しているのはどれも本物よりもくっきりと描かれていることだ。 本物よりもくっきり、つまり、らしく、ということだ。 彼女は自分でもイラストを描いたりしているからか、しきりに「これはすごいなぁ」とか「こんなふうには描けないな」とか呟いている。 僕はそのつぶやきに相づちを打ちながら、美術館の展示って、基本的には一本道、順路が決まっていて、これって警備とかの関係なんだろうな、とか、この間の授業を思い出しながら、グネグネしてはいるけれど、入り口と出口、2ヶ所で見張れば済むのだから、これも一種の監視塔なんだなぁとか、思っていた。

 帰りの電車で僕は窓の外を眺めていた。 座れないわけではなかったが、なぜだか乗車口の手すりに寄りかかるようにして立っていた。 風景が流れていく、川を一つ越え、しばらく乗っていると、ふいに川べりに空き地ができているのに気がついた。 売り土地の看板が立っている。 それから気をつけてみていると、あちらにも、こちらにも同じような空き地があるのに気がついた。 ”人がいなくなっちゃって” コンビニで聞いた話を思い出す。 空き家が増えている、という話は知っていた、が、気がついてみるとこんなに空き地が多かったっけ、というぐらいに空き地があるのだ。 今まで気にしたこともなかったからかもしれない。 だが、あのコンビニだって見た目には普通に開いているようだった。 ふいにプログラムの講義で見たライフゲームの画面が思い浮かんだ。 ドットが増えたり、欠けたりしながら広がっていく。 そう、街に住んでいるから空き地ができてもすぐに新しい建物ができてわからなかったのだ。 そう思った時、ふいに街全体が大きな生き物のように見えた。 欠けて、ほころび、繕って、またほころび、あるいは寿命を迎えてまた欠けていく。 僕達はそのほころびが、次にくるほころびが大きなものにならないように、思いながら生きている。 でも、また同時に心のどこかで昔書いた小説のように、空に大きな裂け目が見えるのを待っている。 そこまで考えた時、電車は家のある駅に着いた。 家に帰る前に本屋に寄ろう、そう思って、僕は電車を降りた。

 それから、僕は、旅にでも出たりすればドラマのようだが、そんなことはなく、それまでと同じように遊び、勉強したり、小説を書いたりしている。 現実はお話とは違うのだ。 ただ、あのときに見た生き物のように見えた街は、憶えている。

 

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スイッチの入る時 菅江真弓 @Keitonodice

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