第3話

ちょっと話はさかのぼる。 同人誌の即売会に大阪に行ったときの話だ。 同人誌、と言ってもいわゆる薄い本とかではなく、文学系の同人誌の方だ。 その日僕は応援している野球のチーム(虎のところだ)が負けて機嫌が悪く、会場が開く2時間も前に大阪に着いていた。 会場までは地下鉄でふた駅、歩けない距離ではない。 朝も早く、車も少ない。 歩いていってみよう、そう思って、僕は御堂筋をてくてくと歩いていた。 明け方、というには少し遅いが、十分朝早い時間。 景気のいい頃にはこの時間でも人がいたと聞くが、今はそれほど人通りはない。 休日だというのもあるだろう。 角を曲がり、オフィス街の方に入っていくと本当にほとんど人がいなくなってしまった。 時折、車が通るだけ。 朝の少し涼しい空気の中、とろとろてくてくと歩いていくと、左手にコンビニが見えた。 入っていき、ワンカップを手に取る。 今日は即売会に行くのだ、なんとなく気分をあげよう、というのもあるし、朝っぱらから酒を飲むなんとなく後ろ暗い感じが、いい。 どうせ今日は休日なのだ。 大丈夫、何故かそう自分に言い聞かせながらレジに向かうと、店員さんがいない。

「すいません」呼びかけてみたが、返事がない。

「すいませーん」もう少し大きな声で呼びかけてみると、店の奥の方から

「はいはーい、ちょっと待って下さい」とおじいさんの声がした。 しばらく待っていると、背の低い、白髪頭のおじいさんが、コンビニの制服を着ながらバックヤードから出てきた。

「ええっと、ちょっと待ってくださいね、ここのレジはどうだったかな」なんだか不安になるような様子で、おじいさんはレジのログインをしている。

「どうかしたんですか」僕は尋ねた。

「いえね、私、このコンビニの店長の友達でね、別の店の店長をしてるんだけど、ここに今日来るはずのバイトの子が来れなくなっちゃって、急に頼まれたもんでね」やっとレジに入れたのか、ワンカップを取ってピッとバーコードを読み取っている。

「285円になります。 いやあ、だめだね、オフィスばっかりだってのもあるだろうけど、どんどん近所に住む人がいなくなっちゃって」話好きなのか、ペラペラと喋りながらおじいさんは会計をしてくれた。 まぁ、客は僕一人だし、朝も早いし、というのもあるのかもしれない。

それにしても、コンビニを出て、少し立ち止まってワンカップを開けながら僕は考えた。 少子高齢化とかいうけれど、こういうところからそういったものは忍び寄るんだなぁ。 また基礎教養の講義、今度はプログラミングの講義を思い出していた、哲学教養の先生は凛々しい感じの女の先生だが、プログラミングの先生はまぁ、なんというか、昔だったら秋葉系とでも言われたような感じだ。

「えー、では、ライフゲームを作ってみましょう」「テキストに書いてあるとおりに打ち込めば動くはずだから、わからないところがあったら聞いてください」「でははじめ、でゅふふ」いや、でゅふふは言わないが、早口で大声な上、見た目が見た目なのでそんなことを口走りそうなのだ。 しばらくカタカタとコンピューターに打ち込み、僕は出来上がったライフゲームを走らせ、これのどこがライフなんだ?とか思いながら自己増殖していくドットを眺めていた。

「はい、できたみたいだね、今コレのどこがライフなんだ、とか思ったでしょ」「今はVRだとか、CGだとかで本物に近い映像も作れるけれども、昔のコンピュータはそんなことできなかったから、生命の基本、てのはなんだろう、てことを考えたわけだね」「そしたらDNAを複製して増えていくこと、これが生命の基本なんじゃないか、と昔の人は考えたわけ」「だからその部分だけを表すプログラムとしてライフゲームというのは作られたんだね」「だからこのプログラムも自己増殖をする仕組みになっているんだ」「プログラムのどの当たりかというと…」また早口で、先生はまくし立てた、いや、だからでゅふふは言わないが。

同人誌即売会には後輩が来ていた、先輩も来ていた、大学を卒業すると大抵はこういった世界からは遠ざかるものだが、先輩は美術の教師をしているので個人誌を制作しているらしく、時々即売会に来ているようだった。 一言二言挨拶をして、外が見える窓に向かう。 大阪八百八橋だったっけ、とにかく川が昔から多かったらしいが、このビルからも大きな川が見える。 来る途中、その川の辺りで時間を潰していたときのことを思い返す。 僕が川べりを歩いていると、橋桁の下にジョギングの途中だろう、ジャージ姿の女性がいた。 朝早くでもあるしとか思いながら、軽く会釈してみると、驚いたことに女性の方から話しかけてきた。

「おはようございます、どちらから?」

「えーと、神戸です」

「まぁ、神戸、懐かしいわぁ」「私も昔住んでたんですけど、地震でね、離れちゃって。 この辺りもいいところだけれど、神戸、懐かしいわぁ」放っておくともっと話し続けそうなので、それじゃ、と言って僕はその場を後にした。 それにしても、と思う。 神戸からここまでなんて、電車で1時間もかからないだろうに、よっぽど忙しいのだろうか、それとも全然生活圏が変わってしまって、なかなか神戸までは来ないんだろうか。 目の前には川が流れている。 ボートが一艘波を切って川下の方に走っていった。

ガラス越しにその川を見ると、今度は遊覧船がゆっくりと川上に向かって行った。 さらにぼんやりと眺めてからサークルのブースに戻る。 後輩とバイトのことや、仕事のことなど他愛もない話をしながら、売り子に徹する。 その日の売上はそこそこといったところだった。 その後、近くのレストランで打ち上げ、のようなものをする。 その後ホテルで、そして、僕は射精した。 とかなったら某作家さんみたいで格好良いのだが、そんなことはなく、普通に別れて電車に乗って帰ってきた。 帰ってきて、オートロックの番号を押すときに、見上げると月が浮かんでいた。 スーパームーンとかいう月が大きく見える日と、反対の小さく月が見える日らしいが、大きく見える方に比べてわかりづらいな、とか思いながら、僕は玄関をくぐった。

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