8 怪盗猫、民家に侵入する
町長の家は周囲の建物と比べて敷地が広く、かなり立派な屋敷のように見えた。
外壁の背もかなり高めだが、生垣になっているため猫たちは苦労することなく敷地内に進入することができた。
二階建ての大きな和風の屋敷が、広い庭の奥の方に鎮座している。
猫たちは緊張した様子で周囲の様子をうかがった。こういった金持ちの家につきものなのが番犬である。
警戒して辺りをくまなく捜索して回ったが、広大な日本庭園には生き物の気配は一切なく、他の動物が暮らしているような臭いもしなかった。
大きな池があっても魚影はなく、ただ水草が花を咲かせているだけ。あとはアメンボが何匹か浮いている程度で、生きた魚が見当たらない。
マグロは不満そうな顔をした。
「ちょっとがっかり。こんだけ広い庭なのに、何にもないじゃ~ん!」
「コラ! そこ、ウロチョロするんじゃない! 遊びに来たわけじゃないんだからな。庭には何もなかったんだし、早く建物の中を調べようぜ」
1階のトイレの小窓を見ると、換気のためか開いたままになっていた。
「しめしめ。これなら楽に進入できそうだな」
と、若は言った。
その窓は少し高い位置にあったが、猫の跳躍力なら特に苦労することなく中に入れるだろう。
手先が器用なたんぽぽは、窓やドアを開けることが大の得意である。
「わ~! 一瞬で窓が開いちゃった! すごいね!」
マグロに褒められたたんぽぽは、ちょっと得意げな顔をしている。
彼はその巨体を生かして、トイレから出るべくドアノブへ手を伸ばそうとした。
「待て。まずは扉の向こうに人間の気配がないか確認だ」
と、声を殺して囁く若。
猫たちは敏感な聴覚を研ぎ澄ましたが、周囲に人間がいるような気配は全くなく、屋敷内は静まり返っていた。
これならまぁ大丈夫だろう、とトイレのドアを開ける。
すると、玄関前の廊下に出た。
廊下を挟んだトイレの向かいには2階へと続く階段があったが、とりあえず1階から調べることにし、廊下をまっすぐ進む。
廊下を突きあたると、すりガラスのはめられたドアがあり、その向こうに耳を澄ませたが生き物の気配はなかった。
ドアを開いた先はごく普通のリビングだった。
リビングの右手奥にはカウンター式の立派なシステムキッチンが備えられており、左には襖があって和室へと繋がっていた。
内装は和洋折衷で、快適な気温で暮らしやすそうな部屋になっている。一行は襖や障子を見てウズウズし始めたマグロをけん制しつつ、リビングの周辺を見て回った。
生活スペースの多くは洋風で、縁側の周辺は和風。和室の方を調べてみると、畳の部屋が3つ並んでおり、各々がふすまで仕切られていた。
一番奥の和室は仏間になっており、仏壇の横には優しそうな顔のおばあさんの写真が立ててあった。
「うーん。なんか普通だな。事件の匂いなんてしねーぞ」
そう呟いた若に、ハカセは緊張した固い声で言った。
「いや、ぜんぜん普通じゃないですよ。……ねぇ、聞こえませんか? 一番奥の和室を調べた時に気付いたんですけど、壁の向こうから、猫みたいな声が微かに聞こえて来たような気がします。何というか、助けを求めているような」
「あ。ハカセもそう言うってことは、やっぱあれ、聞き違いじゃなかったんだ。ボクも聞こえたよ。はっきり聞こえないから確信はないけど、多分そんな感じ」
「和室にはそれらしい出入り口はなかったので、配置的にリビングの奥にあるドアを進んだ先から聞こえているんじゃないでしょうか」
聴覚が鋭い2匹が口をそろえてそう言うのだから、無視はできない。
たんぽぽは猛ダッシュでリビングに戻ると、未だ調べていなかったドアを開けた。助けを求めているかもしれない猫を探し、現れた廊下の先をズンズンと進んでいく。
若たちも急いでたんぽぽを追った。
距離が近くなったおかげで、その声は耳の弱い若にもしっかりと聞き取れるようになった。
1階の一番奥にある部屋の中から、カリカリと扉をひっかく音と、悲しそうなメス猫の鳴き声が聞こえている。
「おねがい。誰か、私をここから出してちょうだい!」
「助けに来たぞ! すぐ出してやるからな!」
と、たんぽぽが大きな鳴き声を返すと、「ここにいます!」という声と共に、通気口からクリーム色のふかふかな、小さな爪の付いた手が出てきた。
閉じ込められているのは、猫で間違いなかった。通気口の狭い隙間から、綺麗なエメラルドグリーンの目が、涙を浮かべてこちらを見ている。
どことなく高貴な雰囲気がするあたり、純血統のペルシャだろうか。いかにもお嬢様といった感じの、生粋の飼い猫だった。
「ドアを開けたいから、ちょっとどいてもらっていいかな?」
「ええ、ええ。お願いしますわ」
たんぽぽは、ペルシャ猫が扉の前から遠ざかったのを確認すると、ドアノブに手を伸ばした。
「もう大丈夫だぞ! ……あれ?」
と首をかしげるたんぽぽ。
猫を監禁するとは酷い人間だ。そう思ってドアを開いた猫たちだったが。
そこには飼い猫用にあつらえた素晴らしい空間が広がっていた。
魅力的なおもちゃの数々に、特注サイズのキャットタワー。
壁や天井には、キャットウォークが張り巡らされている。
循環式の給水器からは常に新鮮な水が供給され、食べ物もたっぷりと用意されていた。
たんぽぽは部屋を見まわして、目を丸くして言った。
「わぁ、すごい! 天国みたい! うわぉ~、何このゴハン! カリカリじゃないよ! あの超高級なやつだ! うちではめったに食べれないやつ!」
「え? 監禁されてたわけじゃないんだ。これ、別に逃げる必要なくない?」
そうツッコんだマグロだったが、そんな言葉は相手の耳に入っていない様子。
クリーム色の輝く毛並みのペルシャ猫は、勢いよくマグロたちに詰め寄った。
「おねがい、私を助けてちょうだい! 早くお父さんを探して止めに行かないと、取り返しがつかなくなっちゃうのよぉ!」
このお嬢さんは相当焦っているのか、ひどく取り乱した様子でニャーニャー泣いている。
「お父さん? 誰だそれは? 順を追って説明してくれ」
強面の若が口を開くと、ビクッとした彼女だったが、少し平静を取り戻したらしい。
ミルクと名乗ったこのお嬢様は、町長に世話をされている飼い猫だった。町長をお父さんと呼んでいたのは、彼がミルクにとっての育ての親からだ。
彼女は父と慕っている人間――町長が誘拐事件を起こしたのではないか、と強い疑念を持っているように見えた。そして、取り返しのつかなくなる前に、早く町長を見つけ出して自首させたいとも述べたのだった。
「なぜ、お父さんが誘拐事件の犯人だと思ったのですか?」
というハカセの問いに、ミルクはたどたどしい口調で経緯を説明した。
ここ2週間ほどの間、仕事から帰ってきた町長はミルクに全く構ってくれなくなった。
普段の彼なら、留守番させた分の埋め合わせにミルクの気が済むまで相手をしてくれるのだが。
おもちゃをくわえて持って来たミルクに目もくれず、水と食事だけ与えると、毎晩のように足早に家を出ていく。
そして、決まって明け方前ごろに帰宅するのだった。
磯臭い匂いを漂わせた彼は自室に戻ると倒れるように横になり、短時間の仮眠を取ってから、疲れた顔のまま出勤して行った。
それがしばらく続いたある日。
斎藤ひな子の失踪事件が起こった。
事件があった4日前の晩、猫島町長はミルクに晩御飯を出した後、いつものようにどこかへ出かけて行った。
そして、その日も明け方前に帰ってきたのだが。
町長にまとわりつく気配に、ミルクの全身の毛が逆立った。普段の磯臭さとは比べ物にならないような、強烈な臭気を漂わせていたからだ。
妙に魚臭いそれは、少し嗅いだだけで恐怖を掻き立てられる異様なものだった。
フラフラと覚束ない足取りで戻って来た町長は、酷く憔悴していた。何故かは知らないがずっと泣いており、目の周りが真っ赤になっていた。
その翌朝、ミルクは斎藤家のお嬢さんが失踪したというニュースを新聞で目にすることになる。
人間の言葉が読める彼女は、事件に関する新聞記事を片っ端から読み漁った。そして、町長が出かけていた時間帯に誘拐事件が起こったことを知ったのである。
事件の夜、彼はひどく気が動転しているようだった。自分の父は何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
たとえば、あの人を誘拐してしまった──あるいは殺してしまった、とか。
「実は、昨日の晩、出かけたまま帰ってきていないの。思いつめていないか、わたくし心配で心配で……」
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