7 渚のボス猫
「おう、兄弟。待ってたぜ」
ボス猫のブッチは、寝床にしている海の家の縁側にドッカリ腰を下ろしていた。
でっぷりとして恰幅が良いキジトラと白のブチ猫だ。彼は一行を興味深そうな顔で見下ろしている。
立場的にはボス猫と言ってもヤシチほどではないが、若にとっては同格と言うよりやや目上の存在である。そのため、ブッチが高い場所でふんぞり返っていても、若と喧嘩になることはなかった。
若はブッチに対し、突然の訪問を詫びた。
「いや実は、一刻を争う事態だったもんで。遣いもやらず、いきなり訪ねてきて申し訳ない。アンタは東部の地理に詳しく、卑怯者のソンチョーとは違って話の通じる熱い男だと聞いた。そこを見込んで話を聞きに来た」
ブッチはソンチョーをけなしつつ自分を立てた若の言葉を心地よいと思ったのか、上機嫌でしっぽをくゆらせながら話に応じた。
「ああ、あのクソオヤジと一緒にしてくれちゃ、男の名が廃るってもんよ。ボスを目指すんなら、強い奴に打ち勝ってナンボ、だろ?」
そんなブッチの言葉に、若はニヤッと笑って答えた。
「だよな! やっぱりアンタとは気が合いそうだ。……それで、さっそく取引なんだが。これまでの調査結果を教える代わりに、町長の家の在り処を教えてくれないか?」
ブッチは抜け目のない顔で、思案するようなそぶりを見せた。
「そうだなぁ。お前が有益な情報を持っているようなら、調査に協力しようじゃないか」
そこで若はこれまでに調べてきたことを、順を追って説明した。
途中、虎丸が「町長が犯人に違いない」と疑っていた点について話すと、ブッチは目を血走らせて気色ばんだ。
しかし、若からとにかく最後まで話を聞くようにと促され、不満そうな顔ではあったが、静かに座って話に聞き入った。
そして、最後まで聞き終わった後で、ブッチは感心したように嘆息した。
「なるほどなぁ。確かに、言われてみると、あれは人間のつける傷とは違うわな。危ない危ない。俺はそういうこまごましたことは苦手だから、その茶トラの坊主の話を聞いていたら、真っ先に町長を八つ裂きにしていたところだったぜ」
「ああ。そう思うのも無理はねぇ。俺も仲間の助けがなければ、ここまで詳しくは調べられなかった」
「矛盾点に気が付いて冷静に調査を重ねるとは、度胸があるだけでなく、頭の回る奴らだ。ますます気に入ったぜ。……実は、お前の話を聞いて、事件に関係しているんじゃないかと思ったことがあるから教えておく。町長のやろーが最近、この浜をうろちょろしているんだよ。正直なところ、俺らも迷惑していてな。騒音が酷くてまともに眠れやしない。最初に姿を見たのは、たぶん4日前の夜中だったはずだ」
ブッチは何日か前の記憶をたどるように、目を細めてから言った。
「こっからもよく見えると思うが、そこの隣のでっかい屋敷、あれが町長のねぐらだ。駐在の娘が町長に拉致されたのは、4日前だと言っていたよな? その日の夜遅く、そこの屋敷の裏口から町長の奴がやってきてな。何やら大きな荷物を肩に抱えて、あっちの桟橋の方に歩いて行くのを見たぜ。今考えると、ちょうど人間くらいの大きさの縦長な包みだったな」
「本当か!?」
「ああ、間違いない。あそこには小さめの船が繋いであるんだが、そいつに荷物を載せるとすぐさま出港して、海岸沿いをずっと走って北の方へ消えちまった。しっかし、その音がうるせーのなんの。しかも、明け方前には戻って来やがるから、ウトウトしててもまた目が覚めるんだよなぁ。しかも、誘拐事件があった4日前だけじゃないんだぜ?」
ブッチはぼやくように言った。
「あのオッサン、ここんとこ2週間くらい、深夜になると連日やってくるもんだからよぉ。こっちは眠れなくてすっごく迷惑してるんだ。深夜と早朝は、船のエンジン音がうるさくてかなわん。それが毎日続くんだぜ? 最悪だろ?」
その言葉に食いついたのはハカセだった。
「え? ってことは、毎日のように夜に出港して、夜明け前に帰って来てるってことですよね? その4日前に見かけた大きな荷物、町長は毎回持ち歩いていましたか?」
ブッチは首を横に振る。
「いいや。あいつがでっかい荷物を持って来たのは、確か最初に見かけた日だけだったと思うぜ」
近くで聞き耳を立てていた幹部らしき猫たちも、その言葉に頷いた。
騒音の主に対し、口々に文句を言う。
「そうそう。めっちゃうるさいのなんの。漁でもしてるのか、夜中に出かけて日の出前に帰って来るんだよな。それか、どっか沖の方にでも用があるんかね?」
「いんにゃあ、それはあり得んよ。わしは昔、漁師の家で暮らしていたから船にはチョット詳しいんじゃ。あんなちっぽけな船じゃあ、大型の漁船のように遠くの沖へ漕ぎ出しては行けんじゃろうよ」
と、おしゃべり好きの猫たちが、好き好きに口を開き出す。若は「少し静かにしてくれ」とたしなめた。
「町長について何か言いたいことがあるんなら、後で順番に聞くからよ。とりあえず、問題の船がある場所まで案内してくんねぇか?」
「おう、任せろ。オレについてこい」
ブッチの先導で、部下や仲間、若たち一行までもがゾロゾロと桟橋へ向かった。
ここに並んでいる船はおそらく、夏場に海の家で貸し出すためのものだろうと思われた。
見慣れた漁船とは明らかに違う、オシャレなレジャー用の小型艇がいくつか繋いであった。
「ほら、そこの貧相な船着き場の一番端っこに、2人乗りくらいのボロくてちっさい船がつないであるだろ? ……あれ?」
ブッチが示した場所には、船の姿はなかった。
「おかしいな、今日は船がないぞ? 日中はいつも、ここにつないであるはずなんだが……」
すると、何匹かの部下が声を上げた。
「あー。ブッチの旦那。そういやぁ、昨日の夜中にあのオッサンが船を出す音を聞いたのに、今朝は帰って来るような音を聞いた覚えがないッス」
「そうそう。てっきり最近あの音に聞き慣れていたんで、そのままぐっすり眠っていたのかと思ってたんスけど。俺らが久々に熟睡できたのは、この船がまだ帰ってきてなかったからじゃあないですかね?」
ブッチにも思い当たる節はあったようだ。
「む。そういえば、確かそんな気がしてきたな」
しばらく無言で考え込んでいたハカセは「ああっ!」と素っ頓狂な声を上げた。
「む? どうした?」
「今の話で思い出しました! 自分たち猫には関係ないからすっかり忘れていたけど、今日は土曜日ですよ! 郵便局や町役場はお休みです!」
「休み?」
「ええ。町長がここ最近、船を出しては夜明け前に戻って来ていた理由はあれです。平日の日中は仕事に出る必要があったからです! ……といっても、どこに行っていたのか、何のために毎日出かけていたのかは不明ですけど」
ハカセは難しい顔でうなりつつ、言葉を続ける。
「町長がひな子さんを連れ出したまま出港していたとして、その後1人で帰ってきたとすると……。あまり考えたくないですが、殺害して遺体を海に投げ込んだ可能性もありますね。ただ、そうすると毎日出港する理由がないので謎が残りますが」
「つまり、町長は昨日の夜、仕事が終わって帰宅した後、この船で出かけたまま帰ってきていないってことか?」
若がそう言うと、マグロは怪訝な顔をした。
「じゃあさ、町長はどこに消えたわけ? 漁協の事務所に、この辺の地図や海図が貼ってあったからボク知ってるけど。この島の近くには島や陸地はないはずだよ? さっきの船に詳しいおじいちゃんの話だと、遠くに行けるような船じゃなかったみたいだし」
話を振られた老猫は、その言葉を力強く肯定した。
「んだんだ。その子の言うとおり。漁師の家で育ったワシが言うんじゃから間違いない。この辺の海の事は色々と見聞きして育ったが、この島の定期船のような大型の船でないと、とてもじゃないがよその陸地には行けんわい。何度か人間にせがんで漁船に乗せてもらったこともあるがの。見渡す限り海。町長が使っていたボロ船とは比べ物にならないくらい立派な漁船だったが、1日足らずの航海ではどこの陸にもたどり着けんかったわ」
老猫が昔話に脱線する気配を察知した若はひときわ大きな鳴き声をあげ、一同の注目を集めた。
「よし、じゃあ町長の家に乗り込もうじゃねーか。ここで船の行き先について議論してても、らちが明かねぇ。少なくとも今のブッチたちの証言で、あの人間を攫って行ったのは間違いなく町長だと裏は取れた。家探しすりゃ、きっと何かいい手がかりが見つかるさ」
ブッチは若たちに同行したがって聞かなかったが、意外にもハカセが本気を出したらしく、何とか説得してこの場に留まらせた。
普段はオドオドして押しの弱い彼は自分の意見をハキハキと述べ、ブッチをうまく丸め込んだ。
さすがのハカセも思わず本気で反対するくらい、彼らは隠密や調査には向いていなかった。
血気盛んで雑な所があるこの荒くれものを連れて行っても、現場をひっかきまわされるだけで調査の足しにならないだろう。
何より、頭数が多すぎると人間の目についてしまう。
若は今回は自分たちが調べて回る代わりに、分かったことはすぐに報告するとブッチたちに約束した。
そして、その間に町長が戻って来ないか見張るよう、東海岸の猫たちに依頼したのだった。
話がついた若たちはブッチに見送られ、町長の家へと向かった。
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