9 証言者(猫)
ミルクの話を聞いた若は、納得した様子で頷いた。
「やっぱりそうか。これまで調べてきたことと、辻褄が合うな。実はある兄弟猫が、町長の犯行現場に居合わせていてな。誘拐の瞬間を目撃した2匹のうち1匹が、その後、何者かに殺されて死体で発見され――」
若の言葉を聞いたミルクは目を丸くすると、最後まで話を聞かないまま、わんわんと声を上げて泣いた。
「そんな……なんてこと! まさか誘拐犯どころか殺猫犯になってしまうなんて! 私がもっとしっかりしていれば……」
「落ち着け。誘拐犯は間違いなく町長だが、猫を殺った下手人はたぶん人間じゃない」
若はミルクをなだめつつ、これまでの経緯を説明した。
詳しい調査内容を知った彼女はすっかり感服したらしく、尊敬の眼差してこちらを見ている。
彼らなら、この問題を解決してくれるのではないか。そんな希望に満ちた目をしていた。
「実は、最近、お父さんの様子がちょっと尋常ではないというか……。上手く説明ができないのだけれど、まるで、悪いものに取りつかれてしまった様な感じで……」
彼女の話によると。
猫島町長こと猫島茂蔵の平穏な日常が少しずつ狂い始めたのは、今からちょうど1月ほど前、彼が浜辺で不可思議なガラス玉を拾ってきてからだったという。
それからというもの、彼は毎晩のように悪夢にうなされるようになり、頻繁に寝言を言うようになった。
時折「いあ、いあ」とか「ニャゴン」がどうとか、良く分からない寝言を口走っては、ウンウンうなされている。
町長は起きてすぐに、夢の内容を日記に書き記しているようだった。
人語が読めるミルクは、その内容を毎日こっそりのぞき読みしてきた。
日記には恐ろしい悪夢のことばかりが綴られていたが、日に日に正気とは思えない内容に変わっていくように思えた。
最近では斎藤巡査の娘さんを生贄に捧げなければならないと思うようになったらしく、記す内容も完全に常軌を逸している。
それどころか、もはや寝言にとどまらず、起きている時もブツブツと意味不明な言葉を呟くようになった。
長年一緒に暮らしてきたミルクからすると、それは全く別の何かに変貌したとしか言いようのないほどの変わりようだった。
「優しくて真面目なお父さんが、あんな恐ろしいことを言いだすなんて! よそのお家の娘さんを誘拐して何かの生贄にするなんて、そんなこと……。わたくしには到底信じられません! その上猫殺しに関わっているかもしれないだなんて……。きっと全て、あの気持ち悪いガラス玉のせいに違いないわ!」
「いやそんな、たかがガラス玉を拾ったくらいで大げさな。まぁ、家族がやったと信じたくない気持ちは分かるけどな……」
そんな若の言葉にフシャーと全身の毛を逆立てたミルクは、ギャンギャンと強い語気で言い返す。
「仮に何か事情があって人間を誘拐していたとしても、猫を殺すなんてことは絶対にあり得ませんわ! お父さんは猫にとても親切な人間です! わたくしにとても良くしてくれただけではなく、身寄りを亡くした子猫や病気や怪我で苦しんでいる猫を拾ってきては、家に置いて世話をしていましたもの。そんな恐ろしい事件を起こせる人ではないわ!」
突然の剣幕に押され、普段は何事にも動じない若もひるんで後ずさった。
「分かった! 信じる、信じるからそう怒らないでくれ!」
そんな2匹の間に割り込んできたマグロは、好奇心にキラキラと目を輝かせて尋ねた。
「ねぇねぇ、それで? そのガラス玉って奴はどこにあるのかな?」
「隣の書斎にありますわ。でも、高い場所にしまってあって、わたくしではうまく取ることができなくって……。ドアを開けるのも得意ではありませんし……」
ミルクから縋るような目線を向けられたたんぽぽは、胸を張って答えた。
「よしきた、おれに任せろ!」
書斎のドアには鍵はかかっていなかったらしく、すんなりと開いた。
「あそこですわ。ほら、本棚の上に小さな化粧箱が置いてあるでしょう? わたくし、あの中に拾ったガラス玉を大事そうにしまうところを確かに見ましたわ」
ミルクが指し示した先には、紙製と思われる小さな箱が置かれていた。
「はぁ? あんな簡単に取れそうな場所にあったのかよ? だったら、自分で捨てて来るなり壊すなりすればよかったじゃねーか。時間はたっぷりあったんだ、お前にだってドアを開けたり箱を取ることくらいはできただろ?」
と、呆れた顔をした若を見て、ミルクは恥ずかしそうにモジモジした。
「わたくしは手先が器用ではないですし、その……。高い所があまり得意じゃありませんの」
美食三昧の彼女は、丸々とふくよかな体つきをしていた。おそらくは、ペルシャの標準体重をオーバーしているはずだ。
複雑な乙女心を察知したマグロは、呆れた目で若を見た。
「もー、女の子を困らせないの! ごめんね~、こいつ口が悪くって。ほら、若ちゃん、あの箱を取って来てよ。高いところに登るの、得意でしょ?」
そうマグロに言われた若は、ブツブツと文句を言いながらも、スルリと滑るように本棚のてっぺんまで一気に登った。
「お。なんか蓋が付いた箱があるぞ。中に何か入ってそうだな」
前足で器用に箱の蓋を開いた若。
しばらくの間があって、彼は「ギャオ!」と叫び声をあげた。そして。
垂直にピョンと大きく飛び上がったかと思うと、足を滑らせ箱と一緒に棚から落っこちたのだった。
綺麗に着地することもままならず、ドスンと大きな音が響く。
幸い、怪我をするような高さではなかったが、尻をしたたかに打った若は顔をしかめて唸り声を上げた。
「う~。いってぇ……」
「え、うそでしょ? あの運動神経バツグンの若ちゃんが、うっかり足を滑らせて、着地もできずに尻もちをつくなんて」
目を丸くして信じられないものを見たような顔をしたマグロを見て、若は焦ったように言った。
「ば……っ! べ、別にドジを踏んだわけじゃねーよ! ただの不可抗力だ!」
ハカセは不可解そうな顔で尋ねた。
「不可抗力? 何か、驚くようなものでもあったんですか? 自分には、箱の中身を見て、何やらひどく驚愕したように見えましたが」
そう言って、ジッと見つめてくる琥珀の瞳。
若は目を逸らし、気まずそうな顔をしている。
「……いや。特に驚くような発見はなかったぜ? 青いガラス玉が1つ、箱の中にしまってあっただけだ。ほら、これだよこれ」
パカリと紙箱の蓋を開くと、暗い青色のガラス玉が姿を現した。その他はごく一般的な緩衝材が入っているだけで、特に目を引かれるようなものはなかった。
ハカセはジトっとした目で若を見た。
「若さん? あなた何か隠し事をしていますよね? 鼻の頭がひくひくしています」
「そうそう。超分かりやすいんだよね~。で、若ちゃんが飛び上がるほど驚いた理由は何かな?」
マグロに茶化された若は、何か口を開こうとしたが、首を振った。
「……いや、ただの気のせいだ。多分、光っているのを何かに見間違たんだろう」
「いいえ、自分にはそんな生半可な驚き方ではなかったように見えました。ガラス玉が入っていただけなのに、どうしてあんなに驚いていたのですか?」
ハカセのしつこい追及に観念したのか、若は目を逸らしながら呟くように言った。
「……ガラス玉の向こうに、何かの影が動いたような気がした。それで、気になってじっと見つめていたら……。何かがこっちにすごい勢いで迫ってきたんだ」
若はゴクリと唾をのみ、重い口を開いた。
「ガラス面いっぱいに……何かの目玉が見えた……ように思う。まるで何か得体のしれない生き物が、ガラスにべったりへばり付いて、こっちの様子を伺っているように見えた。そんなはずないのにな」
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