たそがれ
織戸深青
「まぁなんかあったら言ってよ、飛んでくから」
にかっと笑う影の背には白抜きの夕陽。
でもまぁこれはきっと、あの頃の回想にありがちな美化された記憶というやつなんだろう。
…なんてことは、随分昔から薄々勘づいていて。
そして今、認識がほんの少しだけ改まる。
この記憶を美化しているのは、多分、時間ではない。
カチャン…
自分の目の前の皿から転がった甲高い音に、はっと我に帰る。
一口大になった牛肉をそっと口へ運びながら、あたりを窺って、少しほっとする。
口の中で汁とともに解けた牛肉は、どこか味気なくて、妙な塩辛さだけが残る。一枚でいつもの三食分は食べられるであろう値段の洋皿が美味しくないはずはない、そう思ってもう一口運んでみてもやはり微妙だ。なんだか面白くなくて、もう一度音を立ててやろうかと少し強めにナイフを刺す。
「ほんとよく食うよな、お前は」
はたから見ればただ単調に消えていった皿の上の牛肉をみてか、隣からくすりと笑う声がする。
「食いもんは食うためにあるんだよ」
「ったくお前は一体今日何をしにきたんだ?」
そう言われて何気なく目をやる。誰かと談笑している、その笑顔が本物かそうでないのかを見分けることはもうできそうにない。
祝いに来た。当然、それがここにいる理由で資格だ。
「好きだった」
少し間が空いた。
次の瞬間、テーブルを囲んでいたかつての友人達はみな揃っておかしくて仕方ないといわんばかりに笑う。
「お前が?ありえねえ」
「…大体、あの頃他の奴とっかえひっかえしてたくせによく言うわ」
「もうちょっとマシな顔して嘘つけっての」
うっすら涙まで浮かべる者までいる。そんな奴らの笑い声の中を透き通った声が一つ、割って入る。
「何話してるの?随分楽しそうだけど」
昨日だって電話越しに聞いたはずのその声は、今はなんだか初めて聴いたみたいによそよそしい。
「…聞いてくださいよ…こいつが」
口を開こうとしたそいつを視線で黙らせる。
「これだけ集まれば、くだらない話でも盛り上がるもんですね。うるさくしてしまって申し訳ないです」
そうだ、これでいい。
というか、もはやこの道に分岐点は残されていない。
「この度は、ご結婚誠におめでとうございます」
あれから数年、いつの間にか手に入れていた笑顔。
あの日あなたにもらったほうは、終につかえず仕舞いになるようだ。
「どうぞ、末永くお幸せに」
パシュッ…
家に着く頃には既に零時を回っていた。
酒には強い方だが好むわけではないので、帰りがけに寄ったコンビニで自然と手が伸びたのには驚いた。
ちゃっかりつまみまで買ってある。
『ありがとう』
数時間前に聴いたはずの声がずっと耳から離れない。
『…でもなんか寂しいな、あのちんちくりんがねぇ』
ちんちくりんだったつもりはない。それでもあの人になら、そう思われているのも嫌じゃなかった。
でも今日は。
今日だけは違った。
そしてそれは多分、これから先ずっと。
一体どこから、この一本道は始まっていたのだろう。
どこからやり直せば、自分は今日、似合わない仮面をつけることなくあなたの横で笑えていましたか。
明日、あなたの笑う顔を思い出して、苦しくならずに済みますか。
ゆっくりとぼやけていく思考につられるようにして、視界もゆらゆらと静かに波を打つ。
妙に喉が渇いて、机の缶を無造作につかんだ。
冷たいアルミの感触に、ふと思いあたる。
今まで見てきたあみだくじには、必ずどこかに大当たりが“用意されて”いたんだ。
あぁそうか、そうかもしれない。
妙に温まっている手の熱でひんやりとした感覚を鈍らせた筒を大きく傾け、いつもより多めに呷る。
するとあおったそれがそのままこぼれ出るように、生温かい液体が頬を伝った。
もう一方の手で、つまみを口へ放り込む。
やっぱり。
少し、塩辛い。
たそがれ 織戸深青 @mio_shikido
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