第4話 妖魔殿の決戦

 アルドたちが妖魔殿に突入すると、内部は数多の妖魔で埋め尽くされていた。夜叉蜘蛛をはじめ、種類も多岐にわたっている。

「な、なんだこれ!? 前に来た時とは全然違うぞ……!」

「儂を待ち構えていたのでしょうな。この程度は、乗り越えて来いということでしょう」

「けど、どうして爺さんが来るって分かったんだ?」

 アルドの問いに答えたのは、ツキハだった。

「これだけの妖刀を所有していれば、その動きを察知するのは難しくないでしょう。いえ、恐らくそれ以前に……」

「この妖刀の入手も、例の妖魔の差し金だろう。話を聞く限り、用意周到かつねちっこい奴のようだからな」

 二人の言葉に、老爺は静かに頷いた。そして、妖刀の柄に手をかける。すると、闇のように真っ黒なその得物から、ぼんやりと昏い光が放たれた。

「奴はきっとこの向こうにいるでしょう。皆様方、この状況でなおご助力を申し出てくださるなら……どうか、この夥しい数の妖魔を足止めしていただきたい……!」

 老爺は三人の返事を待たず、鋭い踏み込みとともにその場で妖刀を抜き放った。辺りが一瞬、深い暗闇に包まれる。闇が晴れた時には、周囲の妖魔はほとんど殲滅されていた。三人は驚いて目を見張った。

「なんて威力……!」

「呪いの深さに見合った力だな……」

「すごいぞ爺さん! 修行の成果が……爺さん!? 大丈夫か!?」

 アルドが声を上げたのは、老爺が刀を握りしめたままその場に蹲っていたからだ。老爺の全身は細かく震えている。

「爺さん! しっかりしろ!」

「……俺としたことが、見込みが甘かったか。一回抜いただけでこれとは」

「アルドさん、ここは一回退いた方が……」

「そうだな……爺さん、いいな?」

 アルドが声をかけると、老爺は何度か深呼吸をしてから、声を絞り出した。

「……こ」

「こ? なんだ?」

「腰、が……」

「え?」

 三人はようやく気付いた。老爺はまだ呪いに負けてはいない。寄る年波に負けそうになっているだけなのだと。

「なに、少し休めば大丈夫ですとも……すまないが、アルド殿。儂を抱えて進んではもらえまいか」

「それはいいけど……いや、やっぱり危険だ。一度体勢を立て直して……」

 老爺は首を横に振った。

「なりません。妖魔殿に乗り込みこの刀を抜いた以上、儂と彼奴の戦いは始まってしまった。ここで背中を見せるのは、負けを認めるに同じ。儂の目的は、生涯叶わぬことになりましょう」

「……」

 アルドは老爺の顔を……否、強敵に挑まんとする侍の顔を見つめ直す。腰の痛みから苦悶に歪んではいるものの、決意の色は衰えていない。

「……分かった。ツキハ、ユーイン! ここを任せたい、いいか!?」

「いい判断だ、アルド。妖魔どももまた増え始めてるみたいだしな」

「ええ。それに、ユーインさんの槌と私の刀……数だけ多い敵を相手取るにはおあつらえ向きでしょう。二人の進路、並びに退路は私たちが保証します」

 二人はアルドたちに背を向け、武器を構えた。

「ありがとう! 爺さん、行くぞ。しっかり掴まっててくれ」

 アルドは両手で老爺を抱え上げる。筋骨隆々な肉体は、年齢を思わせないほど重かった。抱えて走れないほどではないが、長引けば疲労しそうだ。

「すまぬ、アルド殿。調子が戻ればすぐに復帰いたしますゆえ、ご容赦を」

「大丈夫だ、ゆっくり休んでてくれ。目的の奴に会った時に動けなかったら、元も子もないからな。さあ、走るぞ!」

 開かれた道を、アルドは走る。一階入り口を通りぬけ、霊水房へ。いつもなら、階の中央付近の水瓶が存在感を放っているのだが、今は妖魔で溢れているのでそれどころではない。

「くっ、ここもか! 戦うしか……」

「待ちなされ、アルド殿」

「爺さん……?」

 アルドの腕の中で、老爺は呟く。

「確かに敵は多いが、統率が取れている様子はない……いわば、そこにいるだけですな。さらに、先の階に比べれば数も少ない。であれば、見極めるのです。敵の間隙を」

「間隙……」

「左様。武器を取り、倒すだけが戦いではありませんぞ」

「……分かった、やってみる」

 アルドは一つ深呼吸し、周囲の様子を観察した。確かに老爺が言う通り、的確な指揮のもと陣形を成しているわけではなかった。老爺の言う『間隙』……即ち、倒さずして抜けられる隙間も、いくつもある。

「……そこか!」

 躊躇わず、アルドは走り出す。敵の間を抜け、かすりながらも攻撃をかいくぐり、坂を駆け上がる。

「こうか、爺さん!?」

「ううむ、筋が良いですな。アルド殿は将来有望ですぞ」

 話しながらもアルドは駆け続け、一気に二階へ。そこはさっきまでとは打って変わって静かだった。代わりに、大きな体躯の妖魔が一体、廊下の中央に鎮座していた。老爺の顔が、一瞬で険しくなる。

「アルド殿、下ろしてくだされ」

「……分かった」

 もういいのか、とは聞かなかった。たとえ大丈夫でなくとも、老爺が自分の足で立って迎えなければならない場面だということが明らかだったからだ。

 その様子を見て、妖魔が笑った。

「無様だな。すぐにでも殺せてしまいそうじゃないか」

「……本当にそう見えるか。耄碌したな、妖魔」

 先ほどまでとは別人のような、低く冷たい声。老爺は全身を震わせながらも、刀の柄に手をかける。

「安い挑発だな。だが……ふん、まさかそいつを手懐けるとは計算外だった。失意の中で呪具に手を出し、呪いに蝕まれて苦しみながら死んでいく姿を見届けて留飲を下げる計画だったのだがな」

「それは残念だったな。残念ついでに、今ここで死ぬがいい」

 老爺の手に力が籠る。だが、次の一手は妖魔のほうが早かった。

「慌てるな。俺はむしろ待ちわびていたんだぞ? 五十年もかけて準備してきたお前の、絶望に歪む顔を見るこの日をな」

 そう言って妖魔は、後ろに回していた左手を高く掲げた。老爺の表情が強張る。その大きな手には、一人の老婆が捕らえられていた。

「まさか、そいつは……」

「とんだ茶番だろう? この日のために、俺はこの女を生かし続けていたのさ。だからお前には、その労力に見合った死を提供してくれなければ困るんだよ」

「貴様……!」

 老爺の手から力が抜けた。妖魔との間には距離がある。それを詰めねば老婆を救えないが、今の老爺の身体ではそれは望めない。妖刀の力を使えば間合いを詰めぬまま妖魔を殺せるが、それでは老婆を巻き込んでしまう。端的に言って、勝負はついていた。

 だから、アルドは躊躇わなかった。

「爺さん! 大事な勝負だろうけど、手を出させてもらうぞ!」

 返事は待たない、待つ暇はない。アルドは助走をつけ、抜剣とともに跳躍。老婆を掴む妖魔の腕に斬りかかった。

「ぬうっ……邪魔をするか、人間!」

 妖魔の反応は間に合わない。アルドの斬撃が、妖魔の左手首を捉えた。だが。

「なっ……斬れない!?」

 妖魔の身体は鋼鉄か、それ以上に硬かった。斬れないどころか、薄皮一枚傷つけるのがやっとだった。

「役者不足だな、若造!」

「くっ……!」

 妖魔が腕を振るうと、アルドの身体は軽々と吹き飛んだ。想定外のタイミング、そして威力の反撃に、アルドは受け身も取れず壁に激突した。否、そうなるはずだった。飛んできたアルドを受け止めたのは固く冷たい妖魔殿の壁ではなく、先回りした老爺だった。

「ぐう……っ!」

 受け止めた衝撃で、苦悶の声が漏れる。しかし、老爺の身体はその場から微動だにしなかった。

「じ、爺さん!?」

「かたじけない、アルド殿。おかげで少しは動けるようになりましたぞ」

「おかげって……そんなに休めてないだろう?」

「よいのです、理由は別にあるのですから。それより、アルド殿。お恥ずかしながら、あれを取り戻す役目はやはりあなたにお願いするほかなく」

 アルドは剣を握り直し、妖魔のほうに向きなおった。老婆は変わらず、妖魔の左手にがっちり掴まれている。

「それはいいけど……硬かったぞ、あいつの身体。どうにかできないのか?」

「ご安心召されよ、儂とてこの五十年、いたずらに自らの身体ばかり鍛えていたわけではありませぬ」

 老爺は妖刀の柄を握り直し、妖魔を真っ直ぐに見据えた。

「彼奴は『身体が硬い』のではなく『身体を硬くする技術を持っている』のです。しかもその技術は、以前よりも洗練されている……しかし、技である以上常に出し続けることはできませぬ。別の何かに気を取られ心が乱れれば、硬さにも揺らぎが生じる。アルド殿、今度は敵の身体ではなく、心の間隙を見切るのです」

「心の間隙を……それができれば、あいつの身体が斬れるのか?」

「あなたなら可能です、保証しましょう」

 アルドは頷いた。

「恩に着ます。機は儂が作ります故、アルド殿は儂を信じて真っ直ぐ彼奴に向かってくだされ」

「分かった、やってみる……!」

「間隙を見逃さないよう、ご留意くだされ」

 アルドが再び駆ける。妖魔までの距離は十歩、妨害されなければすぐに詰められる距離だ。

 その妨害だが、不気味なほどになかった。妖魔はアルドを侮っているのか、あるいは迎え撃つのを楽しんでいるのか、あくまでも棒立ちだ。

「婆さん、今助けるぞ!」

 裂帛とともに踏み切り、高く跳び上がる。両手に握った剣を大きく振りかぶり、全体重を乗せて振り下ろす。

「無駄だぞ人間、何度やっても……!?」

 アルドの剣が妖魔の腕を捉える、刹那。妖魔の全身が総毛立った。アルドの後方から、禍々しい気配を感じたからだ。そこには腰を深く落とし、妖刀の柄を渾身の力で握りしめて抜刀の構えを取った老爺の姿があった。

「あ奴、まさか……!?」

 まさか、仲間であるこの人間ごと斬ろうというのか。少なくとも、そう感じさせるだけの気迫があった。だから妖魔は考えるよりも先に、全ての神経を、能力を首に集中させた。老爺が、明らかにそこを狙っていたからだ。

 その一瞬後、アルドの剣が妖魔の左手首を捉えた。同時に、老爺が踏み込みと同時に抜刀した。

「いいだろう、左手はくれてやる。だが首は獲らせんぞ……!」

 妖魔の咆哮が響き渡る中、アルドの剣が老婆を捕らえていた左手を斬り落とした。宙に浮く老婆の身体を、アルドは剣を放り投げて両手で受け止めた。

 だが、いつまで経っても老爺の妖刀が妖魔の首を襲うことはなかった。はっとして妖魔が視線をやると、振り切られた老人の右手は空だった。妖刀は、鞘に納まったままだ。

「くそ、はったりか……!」

「五十年、待たせたな……!」

 老爺は妖刀の柄を左手で逆手に握り、目にもとまらぬ速さで抜き放った。妖魔の集中は間に合わず、断末魔を上げる暇もない。その身体は呆気なく、逆袈裟に真っ二つになった。

「……終わったか」

 老爺は妖刀を鞘に納め、片膝をついた。疲労もあるが、気が抜けたのだ。

 そこに、老婆を抱えたアルドが駆け寄る。その腕の中では、老婆がすでに目を覚ましていた。

「よかった、二人とも無事で」

 言葉とは裏腹に、アルドの表情は複雑そうだった。そう、この件にハッピーエンドはない。妖魔を倒したところで、老爺のことは誰も覚えていない。それは、この老婆とて例外ではないのだ。

 アルドはそれ以上何も言えぬまま、老婆をゆっくりと床に下ろす。

「立てるか、婆さん?」

「ああ、ありがとう坊や。それと……」

 老婆の視線が、ようやく立ち上がった老爺に向く。一瞬の沈黙の後、そっぽを向きつつ老婆は言った。

「まったく、忘れろって言ったじゃないか。バカな人だよ」

 老爺とアルドは目を見張った。

「婆さん、覚えてるのか!?」

「バカにしちゃあいけないよ、お若いの。何十年ぶりに会おうが、顔がしわくちゃになってようが、忘れられるわけないじゃないか。去り際にあんな弱弱しい、情けない顔を見せられちゃあねえ」

「言いおるわ、儂には忘れろと言っておきながら自分はしっかり覚えていたというのに」

 老爺はどこか嬉しそうだったが、一方で不安げでもあった。

「……本当は忘れているのに、覚えているふりをしているのはあるまいな? お前は昔から、変なところで強情だから……」

「しつこい人だよ、あんたも。紅葉街道で出会ったあの日から、そういうところも変わらないねえ」

「……!」

 間違いなかった。この老婆だけは、老爺のことを覚えているのだ。アルドの顔にも笑みが浮かぶ。

「よかったな、爺さん!」

「ぬう……そんなことは」

 老爺が言いかけた、その時。二階入り口付近に、妖魔たちが大挙して押し寄せてきた。

「あれは……霊水房にいた奴らか!」

「どうやら、気を抜くにはまだ早いようですな。急ぎますぞ、アルド殿」

「ああ。婆さん、走れるか?」

「なめるんじゃないよ、まだまだ若いもんには負けんさ」

 頼もしい言葉は、強がりではなさそうだった。アルドは急いで剣を拾い上げ、二人の前に立つ。

「俺が道を開くから、二人は付いて来てくれ」

「任せましたぞ、アルド殿。さあ、行くぞ」

「言われなくても行きますよ」

 ぶっきらぼうに言いながら、けれど老婆は躊躇いなく老爺の手を取った。アルドは一度微笑んでから、妖魔たちに向きなおった。

「よし……行くぞ!」

 ここに来てからの僅かな、けれど確かな経験はアルドを成長させていた。的確に妖魔たちの間隙を見切り、時には最低限の攻撃を加えながら、敵の間を抜けていく。時折後ろを確認すると、老爺が老婆の手を引いて走っているのが確認できた。体調はすっかり良いみたいだった。

 二階を出て、霊水房の坂を駆け降りる。ここまでくると、一階でツキハとユーインが戦っている音が聞こえてくる。もう一息だ、二人と合流できれば脱出できる。だというのに。

「うっ……これは」

 アルドは思わず足を止めた。霊水房と一階をつなぐ通路には、一部の間隙も見出せないほど妖魔たちが密集していた。ここを進むには、戦うしかないのは明らかだった。

(どうする……俺も爺さんも消耗してる、戦ってここを抜けられる保証はない。迂回するべきか……?)

 老爺に提案しようとした、その時。アルドの脳裏にラディカの言葉が蘇った。

――アルド。もしこの旅の中で、決断に迷う時が訪れたなら……何も考えず、正面突破を選びなさい――

「……そうか。そういうことなんだな、ラディカ」

 意を決してアルドは振り返った。

「爺さん。今度は爺さんが、俺を信じてくれないか」

「……策があるのですな」

「策ってほどじゃないけど……ここを一気に突破したい。合わせてくれるか」

 老爺は一瞬、返事を躊躇った。ユーインの言葉を思い出しているのだが、アルドには知る由もない。老爺は背後の老婆を一瞥して、笑った。

「ここで倒れては元の木阿弥ですからな、承りましょう。お前は少し離れていなさい」

 真剣な雰囲気を察してか、老婆は軽口もなく静かに頷いて三歩ほど後退した。それを見届けて、アルドは剣の柄を握る手に力を籠めた。

「いくぞ、爺さん!」

「いつでもよろしいですぞ……!」

 アルドはその場で跳び上がり、渾身の力で剣を二度、交差させるように振るった。燃えるような深紅の剣閃が、妖魔たちに襲い掛かる。

 同時に、老爺が放った横一文字の一閃が、妖魔たちを一息に切り裂く。タイミングは完ぺきだった。一階へと続く道は、完全に開かれた。だが。

「くっ……」

「ぐうっ、腰が……」

 得物を鞘に納める余裕すらなく、二人はその場に蹲った。二人とも、身体に蓄積したダメージと技の反動が原因だった。脱出まであと一歩だというのに、その一歩があまりに遠い。

 老爺が満身創痍の様子で、声を絞り出す。

「ば、婆さん、お前だけでも……」

「バカなことを言うんじゃないよ、抱えてでも連れて行くからね! お若いの、一歩も動けないのかい?」

 アルドは震えながらも立ち上がる。

「……いや、いけるさ。ここに来て、俺が足を引っ張るわけにはいかないからな」

 アルドと、老爺を背負った老婆がゆっくりと進む。一階への道はすでに見えているが、新たに妖魔たちが集まってきている。このままでは、すんでのところで間に合わないだろう。だが、それでも諦めるわけにはいかない。

「もう少しだ、急ごう」

 自分に言い聞かせるように、アルドは言った。老婆は弱音ひとつ吐かずに付いて来る。

 一行が一階への出入り口に差し掛かった、その時。とうとう妖魔たちに追いつかれた。

「くっ、もう少しなのに……」

「……お行きなされ、アルド殿」

「えっ、爺さん……?」

「儂が囮になります故、アルド殿はこれを連れて……」

「それはできない。全員で生きて戻らないと、意味がないじゃないか……!」

「よく言った、アルド!」

「伏せていてください……!」

 妖魔たちの向こうから聞こえてきた声に、アルドたちは一斉に身を伏せた。次の瞬間、妖魔たちの頭が潰される音と、首が刎ね飛ばされる音が同時に聞こえた。

「アルド!」

 ユーインたちが駆け寄ってくる。二人も激しく疲弊しているようだったが、動けないほどではなさそうだった。

「助かったよ、二人とも。悪いけど、肩を貸してくれないか」

「ああ。こんなところ、さっさと出ちまおう」

 アルドはツキハに、老爺と老婆はユーインに肩を借りて脱出する。その最中、我慢しきれずに老爺は口を開いた。

「ユーイン殿」

「どうした、爺さん。こっちもほとんど限界なんでな、手短に頼むぜ」

「……儂は三度抜きました。しかし、こうして無事です。どういうことなのでしょう」

 老爺の言葉に、ユーインは笑った。

「やっぱり抜いたか。なに、簡単なことさ。ああいう忠告は、一回少なく伝えとくのが無難ってだけだ」

「それはそれは……お若いのに世の中を知っていらっしゃる」

 老爺も笑った。これがこの若者の、不器用な善意であると理解したからだ。

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