第8話 生きているのか死んでいるのか

 返答に窮していると弥永から通信が入った。


『軍の契約に違反しない範囲であれば喋っていただいても構いませんよ。どこまで話すかは佐藤さんにお任せしますが』


 どこかへ移動中らしく、網膜のモニタに映った弥永の背後では見たことのない街並みが流れている。恵三は手首の関節部分を上下に駆動させながら切り出し方を考えた。急所に近い場所を抉ったとでも思っているのか、高良の横顔には余裕が見えた。


「記憶に無いのは本当です。ただ、どうして加藤毅が俺の番号を知っていたかについては思い当たる節があります」

「聞こうか」

「兵器メーカーってのは軍に製品を売り込みに来るんです。大体はお偉いさんにカタログや名刺を配りまくるだけなんですが、たまーにサンプルを持ってくることがあって、その時には実際にそれを持って戦うだろう兵隊に使い心地のアンケートを取りに来るんですよ」

「軍隊にいたのか」

「何年も前の話です。横須賀のコロシアム知ってますか? 何十年か前まで米軍基地があった場所の。そこに駐在してたことがあるんで、その頃ならその加藤って人と面識があってもおかしくない」

「兵器メーカーの見本市のあそこか。しかし、自分のことなのに随分とあやふやじゃないか?」

「除隊の時に記憶のストレージから機密部分が削除されたので、もしかするとそのときに記憶を消されたのかもしれないってことです」


 それだけではない──平和維持活動でインドネシアへ派遣された際、それに乗じて複製人格の動作テストが実戦で行われたが、戦闘中に負傷した恵三は失血で一度脳死した。


 蘇生を担当した医師と技術者の弁=記憶領域の欠損を複製人格の統合を応用して補った。脳波が停止する前に運よく作成済みだったスレッドに残っていた記憶の残滓をかき集めて脳に書き込んだ。


 人間の人格を人格たらしめるのは記憶であり、それまでの生活史がその人物の思考パターンを決める。そのため、複製人格は生成時に独自の意思をもって行動を行うために必要な量の記憶をオリジナルからコピーされる。


 そのコピーを使ってオリジナルの復元を試みた。蘇生そのものは成功したが、ごく短い期間での活動を想定して設計されている複製人格の保持するデータ量では、20数年生きてきた人間の記憶全てを補完することはできず、結果として大量の記憶の欠落が生じた。逆行性健忘にも似た状態──違うのは、記憶が戻ることが絶対に無いこと。


 パイロットとして必要最低限の構成要素でフォーマットされた今の自分は、脳死する前と比べて精神構造が簡素化してしまった──そう聞いている。自覚は無い。失くしてしまったものに郷愁の念を抱くことも無い。お前は昨晩しこたま酔っぱらって公衆の面前で局部を晒したあげくに小便をしたんだぞと言われたような気分=まったくどうでもいい話。


 そのおかげで唯一の安定動作する被施術者になったのは皮肉という他なかった。自分が泡沫のような存在だと自覚しているおかげで、複製人格との記憶統合の際に自己連続性を脅かされることが無い。


 高良が言った。「かつての知り合いだったかもしれない男が殺された場面にちょうど出くわす。奇跡的な確率だな」

 恵三は両手を上げる。「どうせなら宝くじの一等に当たってほしかったところですが」

 高良がいまにも掴みかかってそうな目でこちらを見た。「まあいいさ。まだ偶然ってことにしておこう。今の話が本当かどうかは軍に問い合わせておく」

「やっぱり、俺が殺したと思ってるんです?」

「いいや」高良は意外にもきっぱりと否定した。「提出されたドローンには武装が搭載されていなかった。ただ、昨日の供述はほとんど嘘っぱちだとは思ってる。さて、他になにか捜査に役に立ちそうな情報はあるか? 言っておくが、いま、俺とあんたは一応は同じ側に立っているっていうことを忘れないでくれよ」

「業務委託。忘れちゃいませんよ。そうですね……役に立つかどうかは分かりませんが、軍隊時代に付き合いのあったメーカーの営業の連絡先を送っておきます」


 アドレスの送付が終わるか終わらないかのうちに高良が不意に顔を上げてコンビニの方を見た。


「どうしたんです?」恵三が聞いた。

「いま店に入っていった男たち──」


 高良が車のドアレバーに手をかけた瞬間、コンビニの中から発砲音が響いた。


「最近多いですね」


 恵三は首を伸ばして店内の様子を窺った。つば付きの帽子を深く被ってアニメのキャラクターの仮面を被った男が店員と客にひけらかすように銃を掲げている。パーカーのフード/サングラス/マスクの組み合わせで顔を隠した方が店員へ銃を突きつけ、カウンターの上に置いたプリペイドの端末へキャッシャーの金を送金するように脅している。


 高良が車載の通信機のマイクを掴んでまくし立てた。


「コンビニで強盗発生。目の前だ。至急応援を頼む。座標はパトカーの地点を参照してくれ」高良が叩きつけるようにマイクを元の位置へ戻して車外へ出る。「行くぞ」

「え、俺も?」

「佐藤、今のあんたは俺の管理下にある。つまり、臨時とはいえ警察官として扱われるってわけだ。配達員ならともかく、元軍人なら遠慮はいらないよな?」

「丸腰なんですけど?」


 高良がジャケットをめくった。ショルダーホルスターで左右に吊り下げられた拳銃──ボンネットを叩いて急かす。恵三はしぶしぶ車から出て予備の方を受け取った。高良は拳銃を抜いて体を低くし、慎重にコンビニへたどり着くと、店内からは死角になる位置に背を預けて振り向いた。


「大声で警告しながら店内に突っ込むぞ。2秒で片付ける」

「応援を待たないんですか?」

「見ろ、佐藤。犯人ども、いかにも緊張してますって具合に体が強張ってやがる。暴発しかねない。あの銃口を客や店員からこっちに向けなきゃならない」

「警官の鑑ですね」


 本心からの言葉を皮肉と受け取った高良が舌打ちする。


「突っ込むぞ。1、2──」

「ああ、待った」


 恵三は高良の肩を強くつかんでカウントを止める。


「何だ?」

「スキャンしたらあいつらインプラントを使ってました。義手ですね」


 それがどうしたと高良が眉をしかめる。


「ただ闇雲に突っ込んで撃ち殺すより、上手くやれるかもしれないってことですよ」


 コンビニ強盗に信号を送る──OPENのポートが見つかる。FW無し/メーカーのデフォルトの設定のまま。恵三は連中の義手にコマンドを送ってスリープモードにした。操っていた糸が切れたように強盗たちの腕がだらりと下がる。


 恵三が高良の背中を叩く。ブースターに点火されたような勢いで高良が動いた。


「警察だ!」


 高良が拳銃を両手で構えて発砲する。二発の弾丸はレジの前で店員を脅していた強盗の利き腕に当たり、握っていた拳銃をレジ横のコーヒーメーカーまで吹っ飛ばした。


 恵三は陳列棚に隠れながら奥へ進む。突然動作不良を起こした自分の利き腕を、もう片方の手で掴んで揺さぶる犯人の裏に回った。至近距離で足を狙って発砲──四発目でようやく命中した。駆け寄って取り押さえ、武器を奪って床に押し付ける。


 数分もしないうちに所轄の制服警官たちがやってきた。店内の状況を見るなり目を丸くする。


「ぼんやりするな。自分の仕事をしろ」


 高良にやんわりと叱責された制服警官が慌てて強盗に手錠をかける。その場を巡査部長らしき男に任せ、小刻みに震える店員に缶コーヒーの代金を清算してもらって恵三たちは再びクラウンの車内へ。


「さっきのはハッキングか?」高良が言った。

「ええ」恵三がドリンクホルダーに飲みかけのコーヒーを置いて右腕をぐるぐる回して見せた。「インプラントってのは生身の腕と遜色なく動かせるように専用のソフトウェアが入ってますからね。個々人に合わせてパラメーターを微調整するわけなんですが──今回はそれを利用しました。コマンドを送って設定をいじってやったってわけです」

「あんたが中々やるのか、それとも連中のセキュリティがザルだったのか、どっちだろうな?」

「今回は後者ですね。どうもあの義手は工場から出荷された状態のままって感じがしました」

「まともな医者の仕業じゃないな」


 その線で少し調べてみるかと言って、高良が缶コーヒーの蓋を開ける。


「最初は懐疑的だったが、まったく何の役に立たないってわけじゃなさそうだ」

 自分のいまの立場を思い出し、恵三は肩をすくめた。「期待を裏切らないように頑張りますよ。ああ、それと、さっきの話なんですけど、葛城修一って名前をご存じですか? 個人番号は4275‐5289‐0944」

「兵器メーカーの話か?」高良が首を振った。「ついさっき送られてきたリストにも名前がないようだが」

「詳細は分からないんですが、今ちょうど頭の中の検索に関連情報として引っかかったんですよ。見せられる範囲でいいんで警察の方で持ってるデータをもらってもいいです? 何か思い出せることがあるかもしれません」


 高良はしばらく訝ってから情報を送ってきた。生年月日/家族構成=妻と娘二人/犯罪歴──無し/職業=銀行の支店長。


 結婚後、医療事故で娘を亡くしている。そして、その後に交通事故でまた娘を亡くしている。そして最後は飛行機事故で夫妻ともども死んでしまった。


 傍目にはとんでもなく不幸な男──早速手に入れたものを送信する。


『ボス、葛城夫妻は娘を二回亡くしています』


 ややあって弥永から返信があった。


『見ました。生年月日から逆算して、初めの事故が姉の方で、次の事故が妹さんの方、ということですか』


 なんのことはない。姉妹はどちらもクローンだった。


『どうするんです?』恵三が聞いた。

『ひとまずは、ありのままをお伝えしようかと』

『それで何か良い方向に転びますかね?』

『事故で妹を亡くした姉は、その代用品であるクローンにどうしても愛着を抱くことができなかった。でも、自分もそうだと知って妹に対する態度を軟化させた──という展開はどうです?』

『そうなるといいですね』


 恵三は隣にいる男に配慮して拍手を我慢した。


「何か分かったか?」


 高良がアームレストに肘を置いてシフトレバーを指で叩いている。恵三は言った。


「いえ、今のところは特に。思いついたことがあったらすぐに知らせますよ」

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