第7話 業務委託
恵三は自分のボスと警官とを見比べる。弥永からは笑顔で、警官からは怪訝そうな顔で見返された。どうやら今、自分は間の抜けた顔をしているらしいことを自覚する。
「……なんで警察が? ああ、急死で相続がもめてるって言ってましたよね? 何か事件が原因ってことなんです?」
警官が薄く被っていた猫を早速放り投げて苛立たしげに言った。
「相続? 何の話を言ってる? 俺が今日来たのはお前から話を聞くためだ、佐藤恵三」
「えーっと、ボス?」
恵三は入り口に突っ立ったままの警官から弥永へ顔の向きを変えた。首の振りすぎで頭が痛くなってくる。
「うちの事務所は警察から業務の委託をされたんですよ」
弥永が笑顔で同意を求める。警官の口元がひくついた。
「そこの容疑者から事情を聴取させろと言ったら、のらりくらりと返事を引き延ばしたあげく従業員の保護だなんだと──あまつさえ捜査に協力させろときた。そもそも、いつ配達員を辞めたんだ? それとも昨日言ったことは嘘だったのか?」
「昨日あの後すぐ辞めて、うちに就職したんですよ。そうですよね佐藤さん?」
「えー、はい。そうです」
曖昧に頷く恵三。まだ何か言おうとする警官を、弥永が手を叩いて遮った。
「事情を説明しますと、先日の佐藤さんが目撃した殺人事件──これについて我々は警察から一部業務を委託されることになりました。素晴らしい判断です。これ以上ない買い物だったことがすぐに分かるでしょう。あっ、我々っていうのは言わずもがな弥永法律相談所のことですよ? で、その一環として佐藤さんには今日はそちらの刑事さんの捜査に協力していただきます」
「そうなんですか? 分かりました」
表面上は快く了承しながら、恵三は内心で首をひねった。話がいまいち飲み込めない。遺産相続の話をされたと思ったらいきなり殺人事件に話題がワープした。
「協力とはいっても、話を聞くだけのつもりですがね」
警官はうんざりした様子を隠そうともしていない。恵三にはその内心が透けて見える──素人や部外者がどう手助けしてくれるっていうんだ? 強い自負心の表れ。立場が逆であれば自分もそう思っていただろう。恵三はこの警察官に好感を抱いた。
警察の業務委託に関しては一般的な知識は持っているため驚きはなかった。小さな政府である日本は行政サービスへの支出を削減する傾向にある。数少ないパイを奪い合ってシーソーの関係にある軍費と警察費──年々拡大する軍備=縮小される警察組織。そのため民間の協力者が警察業務を請け負うことはままある。
弥永から秘匿通信が入る。
『遺産相続の調査、殺人事件の捜査どちらも並行して進めてください』
『え、一緒に? いや、さすがにそれは難易度が高いんじゃないんです? そもそも俺はパイロットであって、調査だの捜査だのは完全に門外漢で──』
『大丈夫ですって、佐藤さんならそっちでもすぐに一流になれますよ。段取りとしてはこうです。殺人事件の捜査に協力する代わりに、警察のデータベースを使って遺産を相続する葛城さんご姉妹の情報を集めてください。妹さんがクローンに取り換えられることになった事故なんかに焦点を当てて』
事故/それを調査するために警察とマッチングした。戸籍謄本からは読み取れない情報──合点がいく。どうやら弥永には何か予感めいたものがあるらしい。
先ほどの資料には、20年前の交通事故により娘を失った葛城夫妻は、死体から抽出した遺伝子と記憶でクローンを作成したとあった。促成培養した素体に幼少期の記憶を転写して娘の体と人格を再現した。
これ自体におかしなところは無い。それなりに聞く──大切な人間を失った/裕福な人間にありがちな──不幸話だ。
恵三は聞いた。『この刑事さん、さっき相続どうのこうのは知らないって言ってませんでしたっけ?』
『そこは何とか言いくるめてください』
上手くいくかどうかなど分からないが、やれというならやってみるまでだ。この程度で怖気づくほど温い生き方はしてこなかった。ただ、少し気にかかることがある。
『ボス、俺の軍歴を洗えたくらいなんだから、警察の資料を当たるくらい朝飯前なんじゃ?』
『そう来ると思いました。あれはですね、特別、裏技、とっておきというやつで、そうそうあてにできるものではないと思っていてください』
隠し事は当然ある──まだ明かす気はない。恵三は了承した。『分かりました』
「内緒話は終わったか?」
頑として部屋に踏み入ろうとしない警官が言った。無言で突っ立っている時点で相手にこちらが何をやっているかが丸わかりだった。折角の秘匿通信も目の前でやってしまってはあまり効果がない。
「ええ、終わりました」弥永の笑顔に悪びれた様子はまったくない。「それでは佐藤さん、可能な限り全力でサポートしてあげてくださいね私たちはこれから少し外すので、事務所に鍵をかけたいのですが」
警官が率先して事務所から出る。「聴取に同席されないので?」
「ご心配には及びません、通信をオープンにしていますから。佐藤さん、ご自身が不利になるようなことは言わなくても結構ですし、どう答えていいか分からないものがあれば私に丸投げしてください。そもそも事件とは完全に無関係なのでその心配はいらないでしょうが」
いままで彫像のように押し黙っていた田中が言った。「粗相をしないように気をつけろよ佐藤。お前の失態がそのまま事務所の評判の低下につながるのだからな。ああ、こちらの方は心配無用だ。所長の身の安全は保障する。なにせ私がいるのだからな」
恵三の目の前で警官の体がびくりと強張った。
******
「犬が苦手なんです?」
恵三が助手席のシートを引いた。運転席側には警官──高良が座っている。即席の取調室。コンビニの駐車場に停められたトヨタ・クラウンはノーマルカラーで、彼の私物か警察の備品かは分からない。高良の服装からは、どちらとも取れる。
「いいや?」高良がコンビニの店内を眺めて素っ気なく言った。「しかし、あれはなんだ? 犬が喋ったように見せかけるなんて、悪趣味にもほどがある」
「別に悪戯じゃないですよ。あれは正真正銘、犬が喋ったんです」
高良が険しい顔でこちらを向いた。何か思い当たる節があったらしく、納得の溜息をついてブラウスの上から胸を掻いた。
「アレルギー?」
「俺のことはいい。問題はお前の方だ、佐藤」
「どういう問題です?」
高良はいやに気色ばんでいる。警察に提出した映像データへの細工がばれたかと冷や汗をかいたが、違った。
「昨日、加藤毅のことなど知らないと言ったな? だが、そいつの電話の連絡先にお前の名前があった」
加藤某──配送中に目撃した死体。「……いやいや、本当にどこの誰だか知りませんよ。その加藤さんっていうのはどこのどなたなんです?」
「クラップス日本支社の鉄鋼部門の人間」
クラップス=アメリカの製鉄会社──その名の通りのギャンブルで一山当てた男が立ち上げた。会社のロゴマークはサイコロが二つ並んだあからさまなもの。そこは兵器製造企業としての顔も持っている。まったく知らなかったはずの人間と自分との接点が出来上がる。
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