第9話 デバイス
ムービーを再生する。街中を逃げる自機/追ってくる人型デバイス/完璧なタイミングで横やりを入れる増援──あの日の映像。
思わずほくそ笑むほど会心の一撃。チープな朝食がごちそうに感じられるほど清々しい気分だった。チョコ味のカロリーメイトで乾いた口の中にインスタントコーヒーを流し込む。
義手義足の充電具合を確認──バッテリーのチャージは80%と少し。恵三は電源から延びるケーブルの刺さった両足をテーブルの上に置いて、自慰行為を覚えたサルのようにまたムービーを始めから再生した。
冷や汗と興奮が蘇る。どれくらいぶりだろうかと除隊からの年月を数える。ドッグファイトはおよそ2年ぶりだった。その割には悪くない動きができた。相手に恵まれた部分があるのは認めざるを得ない。雑魚を相手にしてはこの感覚は味わえない。
それゆえに不完全燃焼でもあった。戦場において五分の状況で会敵することなど数えるほどしか経験がなかったが、それでも機体差と不平等な勝利条件にはしこりが残る。
視点を変える──映像に補正を入れて敵側の視点に切り替えた。自分で操縦しているつもりになって、逃げる自分を追う立場を楽しんでみる。
この手の人型デバイスの操作方法は主に2種類だった。既に登録済みのパターンを組み合わせてそれらしく動作させるか、脳波を連動させて自分の肉体のように動かすか。物を運ぶ、移動する、銃を撃つといった単純な動作ならパターンの組み合わせで十分だが、映像のような曲芸は脳波でなければできない。足の動き/手の振り方/重心の置き方──無数にあるパターンをその場その場の状況に合わせて瞬間的に組み合わせて人間らしく動かすなどそれこそ人間業ではない。
恵三はデバイスの操縦者になったつもりで屈み、ガードレールに飛び乗ってその上を走った。道路標識のパイプを掴んでそれを支点に一回転し、歩行者用の鉄橋の欄干を踏んでから片足で再び跳躍。
自分がそう動くべきだと判断したタイミングで映像の中のデバイスが動く。まるで頭の中を読まれているような気分だった。
訓練を積んだ相手──工事現場/建設作業/細菌の研究所/核汚染地域での精密作業といった、デバイスの活用される場面のいずれもここまで派手な動きは必要ない。あり得る線──ショービジネス、それか軍隊。恐らくはご同輩。
映像にあてられたせいでデバイスが操縦したくなる──首筋を掻きむしりそうになったが、電源コードが突っ張ったおかげで寸前で指が止まった。バッテリーにはもう十分電気が溜まっている。恵三はケーブルを抜いた。
出勤まで時間があるため少し走ってこようと洗濯カゴに入れっぱなしだったはずのジャージを漁っていると通信が入った。
『佐藤さん、おはようございます』
ボス直々のモーニングコール。恵三は自分の姿を見下ろして映像をOFFにした。
『どうしたんです?』
『予定が入りました。もしかすると今日は戻れないかもしれないので、今日はこれから向かう先で直接落ち合いましょう』
『了解。それで、どちらに?』
『警察の留置場です』
******
「すみません、本当にすみません……」
面会室のモニタに映った気弱そうな若い女がしきりに頭を下げている。弥永があやすように優しく言った。
「そんなにかしこまらなくてもいいですよ。お話をうかがったところ羽瀬川さんに非はないようですし、それに社長さんだってこれっぽっちも怒ってませんでしたよ? その証拠に罰金用のお金を預かってきてます。あとは手続きを済ませればすぐに出てこれますから、もう少しの辛抱です」
「すみません……」
女はまた謝ってうつむいた。青みがかった黒髪が暖簾のように表情を隠す。ホラー映画ような絵面。
恵三は生まれて初めて訪れた警察署の面会室を見渡した。壁のモニタの他、机がひとつと、重ねられた何脚かのパイプ椅子があるだけの簡素な部屋。拘留者と面会者はモニタを通じて会話する仕組みになっている。面会室にいるのは弁護士の弥永と付き添いの恵三だけで、見てくれは単なるラブラドールレトリバーでしかない田中は警察への説明を省くため署の前で釈放の手続きが終わるのを待っている。ペット扱いされているのを本人はいたく気にしていた。
弥永が苦笑して聞いた。「それで、どうして身柄を拘束されることになったのか、直接お話を聞きたいのですが」
羽瀬川と呼ばれた女が目をそらした。視線の向かう先──自分。恵三は、自分で自分を指さした。
「俺? 俺が、何か?」
羽瀬川が慌てふためく。「あっ、いえ、何かあるわけじゃなくて、その──」
「彼女は対人恐怖症というか、ひどく人見知りをする方でして」弥永が恵三にだけ聞こえるように言った。それからモニタのほうに向きなおる。「彼はうちの事務所に最近新しく入ってこられた佐藤です。とても優しい方なので安心してください」
「えー、はい。新入りの佐藤です」
恵三は顔の筋肉の普段使わない部分を駆使して笑顔をつくった。モニタに映る羽瀬川が目に見えるほどかいている顔の汗をスーツの袖で拭って、卑屈にも見える笑顔のようなものを浮かべた。こらえきれないといった様子で弥永が吹き出す。羽瀬川を見張るために同室している刑務官の口元が痙攣しているのがモニタの端に映った。
「罪状は何なんです?」
詳しい事情を知らされずにただついてきただけの恵三は気を取り直して聞いた。羽瀬川が蚊の鳴くような声で言った。
「…………器物破損です」
目を丸くする恵三。羽瀬川がぼそぼそと喋りだした。
「ちょうど昨日──あっ、その、正確には今日の午前1時くらいのことなんですが、従業員をお客様のもとまで送り届けた私は、いつものように車の方でお仕事が終わるのを待ってたんです。そしたら急に悲鳴が聞こえてきて……それが、その、聞きなれたものだった気がして……これってうちの子の声なんじゃないか? って。それで、トラブルや契約違反だったらいけないと思って、私、慌ててその場に駆けつけたんですが──」
「ですが?」
「モーテルの部屋に入ったら窓が割れていて、カーテンが風で揺れていて、うちの従業員がぐったりと横たわっているのが見えたんです。それから正面には室内なのにレインコートを着た誰かの背中があって、その奥でお客らしき男性が壁際で震えていました。はっきり覚えてます。お店の子の容態も心配でしたし、それにお客様に怪我なんてさせたら会社に迷惑がかかると思って」
「間に入って丁々発止を繰り広げた、と」
羽瀬川が椅子の上で体を縮こまらせる。
「騒ぎを聞きつけた近所の方が通報されたようでした……しばらくして警察の方がやってきたときには部屋の中だけじゃなく外までめちゃくちゃになってて、思わず逃げようなんて考えも一瞬だけ浮かんだんですけど、その、そうしたら余計に騒ぎが大きくなるんじゃないかって」
「賢明な判断です」
自分の行動を肯定されて羽瀬川の緊張が少し和らいだように見えた。
「羽瀬川さんには部屋の状況が一目で異様なものだと分かった。だからこそ従業員、ひいては顧客の安全のために身を挺して彼らを守った。と、いうことですね?」
「いえ、その、そこまで大それたことを考えていたわけでは……何かトラブルがあったらまずいってことで頭がいっぱいで」
「例えそうだとしても、立派な行いをしたことに変わりはありませんよ。羽瀬川さんのせいで被害者が出るどころか、むしろそうなるのを未然に防いだわけですから。モーテルのオーナーとの示談も既に済んでいますし、不起訴処分が妥当です。ちなみに、どうしてレインコートの方がお客じゃないと分かったのですか?」
羽瀬川が目を泳がせる──挙動不審なしぐさ。椅子に座った自分の足の間に両手を差し込んで、言った。
「……壁際の男性の方が半裸だったからです」
「ああ、なるほど」
恵三は今の会話から拾った断片情報を繋げた。深夜/店の子/送り届ける/半裸の男。
「ボス、羽瀬川さんの勤め先っていうのは──」
弥永が頷いた。「成人した男女が短時間の恋愛関係を楽しむための場所や状況を提供する会社です」
「あ、はい」
つまり、羽瀬川は風俗のデリバリーの運転手兼トラブル対応係──とてもそうは見えないが──であり、昨晩は見事その役目を果たしたというわけだ。
そういえば、と弥永が足を組み替える。
「レインコートを着た怪しい人物はどうなったのですか? 一緒にこちらに?」
羽瀬川が首を振った。「逃げていきました。暫く争っていたのですが、パトカーのサイレンを聞きつけるなり一目散に」
弥永が机に両肘を置いて考え込むように口元に手をやる。「羽瀬川さんを相手に周辺がめちゃくちゃになるくらい立ち回って、そのうえで逃げたとなると、単なる通り魔や暴漢ではありえませんよね、その人」
「人──」
羽瀬川の顔から感情が消え去る。一瞬で別人にすり替わったような錯覚をおぼえる。羽瀬川は何も持っていない両手を揃えて掲げ、昨晩の出来事を思い出すようにゆっくりと振り下ろした。
長物を扱う仕草。
「人、ではなかったと思います。レインコートの下に厚着をしていて肌の部分がまったく見えなかったんですが、あの感触は人ではなくデバイスのものでした」
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