第2話 警察署にて
「だからですね、正直なところ何がなんだかよくわからないというか」
照明の足りない取調室に乱雑な扱いで連れ込まれた恵三は両手を広げて無罪を主張する。取調室には恵三のほか、事情聴取にやってきたとだけ素っ気なく告げた、若干年齢差はあるが、顔かたち/背格好がほぼ同じ二人の警官が詰めている。
対面に座った片割れはブラウングレンチェックのスーツと柔和な表情/ブラインドの下りた窓に腰かけた方は喪服のようなブラックスーツに険しい顔つき──いかにも警察らしい、ベースを同じくする官給品のクローンの二人。外面の差分は=彼らの歩んできた人生の差分。
正面の警官がタブレット用のペンで頭を掻いた。
「それはもう聞いたよ。君はこう言いたいわけだ、自分は配送用に飛ばしていたドローンが帰ってくるのをただ待っていただけだ、と」
「そうです」
恵三は頷いた。警官が幼児の言い訳を耳にした顔で首を振る。
「いいか? 君のドローンはガス漏れか何かで爆発した現場付近を飛んでいて、その後、暴走していると思わしき人型デバイスと派手な追走劇を繰り広げているのを無数の人間が目撃している。これを一切把握していなかった?」
「いえ、その」恵三はそわそわと組んだ手を動かした。「一応、トラブルの信号は受信していたので帰還のコマンドだけは送りました。あとはオートパイロットで戻ってくるのを待っていただけで──」
「オートだって? 目撃者の証言によれば、追走劇を演じていた君のドローンは信号機や標識の隙間をまるで縫うように飛んでいたらしいぞ。一目見て通常の動作ではなかったことが分かったそうだ。警察も捜査上その手のものは山ほど使っているからまったく知らないわけじゃないんだが、これは明らかにマニュアルで動かされている」
「そう言われてもですね、俺としてはありのままを述べるしかないと言いますか。そういうソフトも最近はどんどん最適化されてるわけでしょう?」
自分はどれほどの間抜けに見えるだろうかと思いながら恵三は開き直って繰り言を続けた。警官は手に持ったタブレットに映った資料のページをめくる。
「なるほど、こうも主張するわけだな? 君のドローンを追いかけ回していた人型デバイスが、君が同時に飛ばしていた別の配送先へ向かっている途中のドローンの荷物に衝突したのも偶然である、と」
「いや、まあ……仰りたいことは分かりますけど、そういうこともありえなくはないでしょう? 現にこうして起こったわけですし」
テーブルの向かいに座った警官は何か言いたげに唇をもごつかせて、結局は口を噤んだ。タブレットのフレームふちを指でなぞる。一緒に入ってきたもう一人の若い警官はというと、ブラインドのかかった取調室の窓に腰かけて、いかにも懐疑的な眼差しを恵三に向けてきている。
無言の圧力──こちらが何か口を滑らせるのを待っている。つまり、向こうには確たる証拠がない。恐らく。提出した証拠への細工は今のところ見破られていないようだ。
目の前の警官が人差し指を襟元に突っ込んでネクタイを緩める。「少し話を変えるが、実は、爆発現場には死体があった。ドローンのカメラは爆発の衝撃で壊れていたみたいなんで、映像には残っていなかったが」
警官がタブレットをテーブルに置いた。画面をタップして一つの動画ファイルを再生する。恵三が操作していたドローンが録画していたものだ。映像は、爆風で画面が揺れたあとノイズが走ってブラックアウトしてしまっている。
「ひどい有様だったんで詳しいことはまだはっきりしないが、背格好から恐らく部屋の契約主の加藤毅で間違いないと思う」
名前に聞き覚えは、と警官が眉を動かす。恵三は首を横に振った──これは掛け値なしの真実。
「まあ、何か関係があるのなら調べればおいおい分かるだろうが、後になって判明した場合、きみの立場はいいものにはならないとだけは言っておく」
警官の態度はあからさまだった。恵三はおずおずと俯き気味だった顔を上げる。
「あの、まるで俺がその加藤さんを殺した犯人扱いされているように聞こえるんですが」
「誤解をしないでもらいたいんだが」警官が椅子に座った自分の尻の位置を直した。「誓って我々は差別主義者ではない。ただ、君の身元確認を行った際、詳細は不明だが、国のデータベースに君と同タイプのプログラムを受けた人間の犯罪履歴があった。そうなると、警察組織としてはこういう対応にならざるを得ないんだ」
どうかご理解いただきたいと警官が身を乗り出す。恵三は曖昧に笑った。
「大変なお仕事なんだろうなっていうのは、その、分かりました。ですけど、本当に今お伝えした通りなんですよ。俺はただいつも通り仕事をしてただけなんです」
「いつも通りというのは?」
「ドローンに配送先を設定して、飛ばして、帰ってくるのを待つっていう面白くもない仕事です。同じことを繰り返しすぎてもう機械的にやってますけどね。さっきマニュアルで飛ばしてたんじゃないかって仰ってましたけど、配送は1日でゆうに100件は超えるんです。それをわざわざ自分で一軒一軒届けたりはしませんよ」
目を細めて威圧する警官に、恵三は身を縮こまらせてみせた。この聴取に法的な強制力など無いことを知っていても、それをおくびにも出さない。実生活を送る上で法律などほとんど意識したことのない間の抜けた肉体労働者の体で、ただただ嵐が過ぎ去るのを待って居心地が悪そうに首をすくめた。
段々と焦れてきたらしい警官が威圧的にテーブルを小突く。そこにノックの音。中からの返事を待たずにドアが開く。
現れたのはツーボタンジャケットの黒スーツを着た若い女──恵三だけではなく、仕事中に思わぬ横槍を入れられた警官たちも揃って目を丸くした。一目で最高級品だと分かるクローン──来須杏子をベースにした個体。彼女らのシリーズはメディアを含めあらゆる場面で目にすることができる。
女はきびきびとした動作で頭を下げる/バレッタで留めた黒髪が跳ねた。「あのー、こちらに佐藤恵三さんがいらっしゃると伺ったのですが」
初めて会うはずの女が自分の名前を出したことに恵三は盛大に戸惑ったが、警官たちは恵三ではなく女に注目していてそれに気づかない。
「先にそちらがどなたかお尋ねしても?」
警官が慇懃無礼に尋ねる。女がにこやかに言った。
「佐藤さんの弁護士です」
女が自分の国民IDを提示して身分証明を行うと、警官たちは目を丸くして恵三の方を振り返った。当の恵三は驚きのあまり大口を開けている。
生まれてこのかた弁護士などという人種と関わり合いになったことすらない──はずだった。例え面識があったとしても、そもそも雇う金がない。
いったい何がなんだか分からないと狭い取調室のあちこちに視線を泳がせる恵三に、女は片目をつむって見せた。
思わずたじろぐ。恵三の様子を不審に思った警官たちが女の方へ向きなおったが、そのときにはすでに彼女は皮肉や冗談の類を低劣な人間が好む行為だと考えていそうなほど真面目くさった顔で両手を組んでいた。
「この取り調べは任意のもので間違いありませんか?」
女の質問に警官たちは何も答えず、視線を交し合う。肯定の沈黙。女は頷いた。
「では警察に身柄を拘束する権利はありませんね? 今後、佐藤さんに接触する場合は必ず私を通してください。連絡先はこちらに」
女がテーブルにブロックパターン柄の名刺を置く。警官がそれを手に取って両面をしげしげと眺めた。
「いまどき紙の名刺ですか」
「実際にそこに物があるのとないのでは存在感が違いますから。現にこっちの方が連絡が来る確率が高いんですよ。ということですので、行きましょう佐藤さん」
名前を呼ばれた恵三はぎくしゃくと立ち上がって警官たちの顔色を窺った。窓の縁に座っていた方がしかめっ面で出入口の方へと顎をしゃくる。
「ええと、それじゃあ、その、お世話様でした」
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