スワンプマン・レポート

@unkman

第1話 事件の始まり

 鬱陶しい天気の下で、汗水たらして出歩かなければならないクソのような仕事に従事しなければならなかったとしても、楽しみ方というものはある。


 メーカー謹製のソフト任せだと味気なく単調な宅配員の作業も、すべてがマニュアルなら話は変わってくる。


 この日、佐藤恵三はそれなりに上機嫌だった。長い一日になるとは露知らず。


 トラックのコンテナから取り出した荷物を宅配用のドローンにセットする。サイドドアを閉めて運転席に戻りながら自我のスレッドを新規に生成。脳の演算能力を2:8で割り振ってドローンの操縦に充てた。


≪楽しんでくるよ≫新しく産まれた恵三が言った。

≪こっちは楽しませてもらうよ≫本体のはずの恵三が答えた。


 新しい体が浮遊して地表が遠ざかる。機体のバランサーを通じて上昇の抵抗を風で感じる。大空に飛び立った恵三は、月島ベイエリアの小綺麗な街並みと川をゆっくり流れていく小舟見下ろして充足感を覚えた。


 古い体はトラックの運転席のシートに浅く腰かけている。両手を力なく垂らして注射を終えた中毒者のように虚空を眺めている。


 プロテクトを破ってオートパイロットを沈黙させ、配送用ドローンのカメラと自分の視覚をつなぐ。ついさっきまで地上から見上げていたビル群の屋上が眼下にやってくる。カバーの外れかけたフェンス。いまだに愛好家のいるタバコの吸い殻。ポイ捨てされたスナック菓子の袋。ろくに掃除のされていない薄汚れた貯水タンク──素晴らしい見晴らし。


 周囲に自分の邪魔をするものは無い。たった2mの距離を移動するのに足をばたつかせてなお1秒もかかるなんてことはない。信号で足止めを食ってイラつくこともなければ、渋滞で何時間も座りっぱなしになったせいで尻が痛くなるなんてこともない。物足りなさを感じないといえば嘘になるが、それでも非力でノロい人間の体と比べれば天と地ほどの差がある。


 恵三/ドローンは自分の体を左右に揺らして抱えた荷物がどれほどの負荷になるか確かめる。ガサガサという音。長方形のダンボール箱は大きさの割に軽かった。中身のほとんどが緩衝材なのが分かる。商品はどうせくだらないサプリやインスタント食品の類、多分、そうに違いない。


 恵三はへらへら笑いながらメーカーの保証する高度を超えてドローンを上昇させる。機体を支える4つのプロペラ、その左側を一瞬だけ停止させた。


 バランスを崩して落下する機体。


 高度がぐんぐん下がる。抱えた積載物のせいでバランスをとるのが容易ではない。本来ならプログラムが行うはずの姿勢制御をマニュアルで行う。プロペラの回転数を細かく調整して機体を空中で一回転させ、腹を見せていたドローンは180度回転して再び正常な状態へ。


 道路を走行する自動車のルーフに荷物の段ボールをぶつけて機体ごとバウンドさせる。その勢いでドローンは再び上昇。何事もなかったかのように元の配達ルートに向けて進路をとる。


 背後から聞こえるクラクション。空を飛ぶ機械の体とは別に僅かな処理能力だけを残された半分生身の体は、交通量の少ない4車線道路の上で、のろのろとトラックを進ませていた。しびれを切らしたメタリックレッドのコルベットが運送トラックを追い越して目の前でハザードを点灯させながら尻を振る。たっぷり数分は続く煽り運転──まったく気にならない。意識が文字通り舞い上がっている恵三はそのひとり相撲を上空からげらげら笑う。


 配達先の住所が見えてきた。三棟の建物が中央の連絡棟で連結した放射性物質のマークを思わせる不吉なデザイン。自分の給料では逆立ちしても住めないようなタワーマンションを見ても、羨ましいなどという感情はこれっぽっちも沸いてこなかった。自分の魂は真の幸福を知っている。


 ドローンのカメラを通して外からビルを眺める。無数に並んだ窓はどこもかしこもブラインドがかかっているが、恵三はお構いなしにドーム型カメラの首をあちこちに向けて振った。うっかりガラスの遮光設定を忘れた誰かがいるかもしれないし、その間抜けが、とても口には出せないような変態行為にいそしんでいる可能性だってなくはない。動画に撮って自分のチャンネルでアップロードすれば暫くは世間の物笑いの種を提供できるだろう。つまりこれは趣味を兼ねた副業による社会への貢献、公共の福祉であり──


 唐突に目の前の部屋が爆発した。


「ええ……」


 恵三/ドローンが何気なく通り過ぎようとしていたビルの一室が光を発し、ガラスと一緒に窓から爆炎を撒き散らした。立ち上る煙でカメラの映像が蠢く黒で塗りつぶされる。


 恵三/地上の肉体が走行中のトラックの運転席で跳ね起きた。急いでブレーキを踏む/空中の体で炎の中を突っ切る。喉の奥が炙られる錯覚で咳き込む。集中力が乱れて処理能力の分配が5:5に。


 火災のあおりを食らってドローンの持っていた宅配物の段ボールが灰になった。中身が落下して直下を歩いていた通行人の鼻先をかすめて地上に激突/道路のど真ん中でトラックを止めたせいで周囲はすぐに渋滞に。


 ドローンをホバリングさせてカメラを今しがた爆発した部屋に向ける。跡形もなく砕け散った全面強化ガラス。揺れる黒煙。陽炎の向こうに見える焦げた部屋には2つの人影。火だるまになって倒れる誰か。それを、全身を包み込むラバースーツの上から甲冑を着こんだような恰好をした人物が見下ろしている。


 多目的作業用の人型デバイス──余分なオプションパーツは一切付属していない。それが炎上する部屋の中で直立していた。痩身の青年男性のようなフォルムから機能美を感じ取り、恵三は自分の目と化したドローンのカメラで思わずまじまじと眺めた。霧島重工の陽炎に似ているが、恐らくはオーダーメイドの一品。


 まるで中に人間が入っているような滑らかな動きでデバイスが動いた。全開放になった窓のへりを踏み切ってビルの外へ躍り出る。狙いは──部屋の様子を外からぼんやりと窺っていた恵三/ドローン。


 我に返った恵三は咄嗟にプロペラへの電気供給を切って自分の体/ドローンを自由落下させた。間一髪、人型デバイスが頭の上を通り過ぎていく。


 ドローンのカメラでデバイスの姿を追う。逆さになった映像の中、通り過ぎたデバイスが反対側のビル壁に着地して力を溜めるように身を屈める。マイクもないのに関節の滑らかな駆動音が聞こえた気がした。


 恵三は急いでドローンを再起動。落下中にスピンさせながら変則的な軌道を描かせて再浮上コースに乗せ、ビル壁を蹴って一直線に飛んできたデバイスのマニピュレータを回避する。


 また反対側のビルの壁へ着地するデバイス。回避運動をとる恵三。大通りを挟んだ2つのビルの間を乱反射するように飛び回るデバイスと、嵐に翻弄される木の葉のようにふらふらとそれを躱すドローン。


 地表まで到着したドローンを恵三は自分のいるトラックに向けて方向転換させた。デバイスがそれを追う。自重をまるで感じさせない軽やかな動きでガードレールの上を走り、建物の壁を蹴って跳び、掴んだ道路標識のパイプを支点に宙返りをして交差点を飛び越える。


≪おい、面倒くさいことになったぞ≫恵三が言った。

≪全部見えてるよ、くそ≫恵三は慌ててトラックのハンドルを切る。


 高速で移動する機体に驚いて急ブレーキをかける乗用車。騒ぎに気付いてアクロバティックに飛び跳ねるデバイスをスマホで撮影し始める通行人。


 恵三は舌を巻いた。空中を真っすぐ逃げるドローンに、車の行き交う障害物だらけの地上を走って追いすがるデバイス。飛び石の上を走るように走行中の車のルーフを踏みつけ、看板やビル壁の出っ張りを足場にして跳ね回る。相手は人型であることを最大限に活用して、置き去りにされるどころか肉薄しようとさえしている。


 どうしてこいつは追ってくるのか──殺人の現場を目撃されたから。


 相手はドローンの記録映像を回収しようとしている。だから、逃げなければならない。恵三としてはいま撮影した動画の内容に何の価値も感じないが、もしドローンが第三者の手に渡ってしまった場合、自分が複製人格を使ってドローンを操縦していたことが他人の知るところになる可能性がある。軍との契約違反は最悪、廃棄処分だ。


「ああ、くそ、まずいまずいまずいまずい……何でこう間が悪いんだ」


 恵三は車体でガードレールを削りながらトラックを路肩によせて運転席から転がるように飛び出した。トラックのコンテナから2台目の宅配用ドローンを急いで取り出し、時間を惜しんで簡易セットアップの後に飛ばす。


 処理能力を限界まで割り振って3つの自我を並行で走らせる。肉体を動かすスレッドA。逃げるドローンを操作するスレッドB。援護に向かったドローンを動かすスレッドC。細かい指示は不要だった。全てが自分で、行動指針は100%一致している。


 スレッドA──恵三の肉体を運転席に戻そうと手足を動かす。最低限のリソースしか割り振られていないせいで、その動きはゾンビのように緩慢なものだった。トラックに道を塞がれて憤慨したドライバーのひとりに肩を掴まれただけで、恵三の体はあっさり路上に倒れ込んだ。ぐったりとして動かない様子を見て、周囲を取り囲む人間が警察と消防へ連絡を入れる。


 スレッドB──背後から迫るデバイスのマニュピレーターアームと前方からやってくる標識や看板の類をかわしながらドローンを長い直線道路に沿って真っすぐ進ませる。追撃を必死で振り切ろうとしているように見せかけて。


 スレッドC──周辺地図を確認しながらデバイスの移動速度と照らし合わせ、2台目のドローンをビル群の合間を抜けて先回りさせる。


 準備は整った。素直に追ってくる人型デバイス。合流ポイントと定めた交差点が寸前まで迫ったところで速度を細かく調整、スレッドBの恵三はドローンのプロペラの回転数を相手にそれと悟らせない程度に落とした。


 一瞬スピードが落ちたのを好機と見たデバイスが一際大きな跳躍をした。ドローンを蠅のように叩き落そうと腕を振り上げる。


 完璧なタイミング──奴は空中で身動きが取れない。その瞬間を狙って、スレッドCの恵三は、迂回させていたドローンを建物の陰から最高速で突っ込ませた。


 敵機と進路がクロスするタイミングで、スレッドCのドローンが荷物を抱えていたアームを開いた。


 人型デバイスの横っ面に炸裂する荷物爆弾。


 ダンボール箱がひしゃげて中に入っていたフィットネス器具の破片が飛び散った。体勢を崩して落下する人型デバイスが、スレッドBのドローンの視界内で遥か後方へスライドするようにフェードアウトしていく。


 逃げ切った方のドローンをトラックの天井に着陸させた恵三は、役目の終わった複製自我をオリジナルに統合した。記憶のフィードバックで自分がAだったのかBだったのかそれともCだったのかの混乱が起こる。結論──自分は佐藤恵三である。AだとかBだとかはどうでもいいことだ。


 余裕のできた処理能力で肉体を起こして帰還したドローンに駆け寄った。メンテナンス用のハッチを開けてフライトレコーダーを取り出し、念のため自分のローカルの記憶領域にコピーをとったあと義手から磁気を発して中身をぐちゃぐちゃにした。


 窮地を脱した安堵感に、遠くから聞こえるサイレンの音が水を差す。恵三は頭を下げながら周囲の人ごみから距離を取り、愛想笑いを浮かべて宅配便の営業所に連絡を入れた。


「あのー、すいません、ちょっと、配送中にアクシデントがあってですね」


 応答した営業所の部長が嫌味なため息をついた。


『どういった?』

「なにか事故みたいで、妙な爆発に巻き込まれてしまって。それで、ですね、何故かその爆発現場にいた人型のデバイスに追いかけられてしまったんですよ。そのせいで、少し……その、荷物がですね」

 営業部長はしばらく押し黙った。『今のが作り話かどうかは置いておくとして、一応確認しておきますが、そのアクシデントへの対応はマニュアルに則ったものですか?』

「マニュアルですか」


 脳の補助記憶領域に保管してある、テキストデータにしては膨大な容量の──紙に印刷すれば厚さ20cmはあるとも言われる──従業員用のマニュアルを適当な単語で検索する。事故。交戦。火災。殺人。相手に一泡吹かせろ、の記載は見つからなかった。


「多分、違うかな、と」

『そうですか』営業部長の声は冷ややかだった。『追って通達が行くとは思いますが、あまり温情が期待できるものにはならないでしょうね』

「まあ、そうですよね」


 通話が切られた。背後から聞こえるサイレンのボリュームがMAXになる。迅速にかけつけてきた警察官たちは人ごみをかき分け、恵三の腕を掴んで地面に引き倒した。


「妙な動きはしないように」


 現場保存のために、そこにあったもの全てが押収されていく。恵三がパトカーに連れ込まれながら今の交戦記録の内容を確認していると、いつの間にかドローンの記憶領域に届けられていた一通のメッセージの存在に気付いた。


≪おめでとう。今回は君の勝ちでいいよ≫

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