第354話 天才バイオリニストの過去
「あの……悲劇しか弾けなくなったってどういうことですか?」
俺はちょっとした好奇心で訊いてしまった。口に出した後で、初対面なのにちょっと踏み込みすぎたかと猛省したけれど、もう後の祭りだ。俺の考えるよりも先に口が出てしまう癖は治りそうもないな。
男性は困ったような顔をして頭を掻いた。そして、俺に精一杯であろう苦笑いを向ける。
「まあ、そうですね。誰かに聞いてもらうだけで心が楽になることもあるかもしれません。特に赤の他人のあなただからこそ後腐れがないというか。まあ、ちょっとした自分語りでも聞いて下さい」
男性は空を見上げて「先生……」と呟いた。そして、語りだす。
「俺の生まれはちょっとした名家でして……俺はその三男坊として生まれました。長男、次男と俺なんかよりも遥かに優秀で、俺は彼らには遠く及ばない不出来な存在でした。勉強もスポーツも何にも出来なくて……そんな俺を両親は嫌ってました」
なんか知らないけれど、アレの顔が浮かんできた。アレは兄弟姉妹の中で一番不出来だったけれど、なんだかんだで幸せに育った奇跡の人だな。
「そんな俺ですがバイオリンの腕は兄たちには負けませんでした。バイオリンの先生も俺ならプロを目指せるとでも言ってくれました。そして、俺の運命を決定づける日。バイオリンのコンクールで俺は……上の兄2人を差し置いて最優秀賞を受賞したんです」
「凄いじゃないですか!」
「ええ……上の兄2人は何でもできました。バイオリンも例外ではない。だから、俺は2人に勝てて嬉しかった。優勝の瞬間までは……家に帰ると兄2人は俺に嫉妬したんでしょう。俺のバイオリンを目の前で破壊したんです」
「え!?」
俺の感覚で言えば信じられないことだった。そりゃ、俺だって他の兄弟が良い成績を残したら多少は羨ましくは思うことはあるかもしれない。けれど、最終的には祝福の気持ちの方が強くなる。なのに、血を分けた兄弟が大切にしていたものを破壊するだなんて、俺にはできない。
「流石の俺もそれには堪えたよ。父に言っても、『不出来なお前が兄を超すなんて100年早い』だの、母親からは『まぐれで入賞したからと言って調子に乗るな。お前はもうバイオリンを辞めろ』とまで言われました。当時は、本当に気が病んでました」
「そりゃ気が滅入りますよ。俺が同じことやられたら家族を許せそうにありません」
「ええ。そうですね。俺もそんなことがあったので家族は許してません」
男性の目からは恨みがひしひしと伝わって来た。昔の出来事……だなんて思っているのは加害者の側だけなのだ。被害者は生涯そのトラウマを抱えて生きていくしかない。
「俺はバイオリンの先生に相談しました。先生は両親から俺がもうバイオリンを辞めさせるって言われたそうですけど……それを突っぱねて俺を育ててくれました。当時の俺は8歳。当然、仕事もできないし月謝も払えないのに、俺の面倒を見てくれて……新しいバイオリンも買ってくれたんです」
「良い話じゃないですか! やっぱり良い師に巡り合うと人生って変わりますからね」
「ええ。先生は……俺の生涯で最も偉大な恩師でした」
「でした……?」
なんか不穏な空気が漂ってくる。俺はこの話の結末をもう察してしまった。
「俺は先生のお陰で音楽が好きになりました。先生が言うには、俺の音楽はとても明るくて楽しそうで温かい気持ちになる。そう言ってくれました」
俺がさっき聴いた印象とは真逆だ。そんな喜劇的な曲調ではなかった。
「先生から薦められて俺は音楽大学に進学しました。俺なら間違いなくプロになれると。プロになることが1番の恩返しになると先生は言ってくれました。俺はそこでメキメキと実力をつけていき、ついに海外留学の権利まで勝ち得ました。そして、留学の1週間前……先生が事故で亡くなりました」
やはり……その悲劇の運命は避けることができなかったか。
「それから、俺の留学は取り消しになり、代わりに、俺とその枠を賭けて争っていたライバルが海外に行くことになりました。実は、俺の留学は先生の弟子だと言うことも選考理由として重大な部分を占めていたんです。それだけ、先生はこの業界において力が強い人でした。その先生が亡くなったことで、俺の注目度まで下がる結果となりました」
「そんな! 仮にその先生が亡くなったとしても、あなたの実力には何ら変化はないはずです。なのにそんな理不尽なことが……」
「いえ、その時の学長の判断は正しかったと思います。現に俺は……もう、使い物にならない奏者になってましたから。明るい音楽を奏でられることが唯一の長所だった俺が……暗くて、悲しくて、涙を誘う音楽しか弾けなくなったのですから」
先生の死によって、彼が元々持っていたスタイルが変わってしまった。それは確かに扱う側としては、非常に困ることだ。でも……それでも……
「悲劇を弾けるバイオリニストとしてなんとかならなかったんですか?」
「なんともならなかったんです。審査員はみんな俺の明るい音楽を期待していたのに、俺が披露したのは悲哀な音楽。それは……その後、冷遇されても仕方ないと思います。俺は要求通りに弾くことができなかった」
なんとも辛い話だ。俺とは関係のない人間のはずなのに、どこか他人事ではない。
「俺は今でも先生の亡霊に囚われているのかもしれません。大学を卒業した今も、こうして悲劇を弾き続けているのですから」
これからやっと恩師に恩返しができる。その矢先で起きた出来事なら一生引きずっても仕方ない。
「まあ、そんなこんなでその亡霊をなんとか引きはがそうと頑張ってはいるんですけどね。中々上手く行きませんよ……さて、俺の話を聞いてくれてありがとうございます。あなたもVtuberハッカソンに参加するんですか?」
「ええ。まあ、CG班のサポート的な立ち位置ですが」
別に俺がガワを作るわけでもないし、特に堂々と言えるようなことでもなかった。
「そうですか。実は俺も参加するんですよ。演者としてね……」
「え? そうなんですか?」
「俺とあなたはライバル同士ですね。まあ、正々堂々と戦いましょう」
「はい」
「俺は赤岩 照午って言います。よろしくお願いします」
「俺は賀藤 琥珀です」
俺が名乗った瞬間、赤岩さんの顔色が変わった。
「賀藤……なるほど。そういうことか」
「え? どうしたんですか?」
「いえ、なんでもありません。ハッカソンでの爆発的な大暴れに期待してますよ。では、俺はこれで失礼します」
赤岩さんは意味深な笑みを浮かべて去っていった。なんだか不思議な雰囲気の人だったな。
長々と話こんでしまったから昼休憩の時間が終わりに近づいていた。匠さんのところに行って話を聞いてみたかったけれど、時間がないなら仕方ない。早く、俺のチームのところに戻って作業を再開しよう。
◇
「琥珀君。昼休憩の時に他チームのところに回っていったけど何か収穫はあったかな?」
ズミさんの質問に俺は頭を悩ませた。特にこれと言った収穫らしいものは得られなかったな。
「うーん、しいて言うならば……マッチョがパージしてヤバいって情報が得られたことくらいですかね」
「意味が分からないよ」
「ズミさん。海にマッチョは似あいますよね? なら背景でマッチョを出してインパクト勝負にしましょう!」
「琥珀君。それは、マッチョが主役を食っちゃうからダメだよ」
「ああ、そっかー」
マッチョは強い。強すぎる。そのインパクトが高い造形から、脇役としての運用が難しいという汎用性のなさが弱点すぎる。マッチョ1本で業界を渡り歩いている秀明さんの凄さを改めて思い知った。
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