第304話 トツキトウカ

 ナツハさんの声が震える。悔しさで唇を嚙みしめているかのような声の伝わり方だった。


 自分の彼女が自分の実力を追い越してしまった。その気持ちは俺にはわからない。幸い、俺の彼女は俺より数段も高みにいるので、こちらが追い越そうとがんばっている側だ。そうした前提を受け入れて付き合っている分、逆に劣等感に苛まれることはないのかもしれない。


「そう……なんですね。それはきっと複雑な気持ちだと思います」


「複雑な気持ちですか……オレの感情はそんな複雑なものでなくて、もっと人間が持つ根幹の原初的な感情。優れた者に対する嫉妬。ただそれだけだった。彼女の実力を認めたくなかったけれど、作品でぶん殴られたらどうしても敗北を認めざるを得ない。才能の差を痛感したせいで……オレはそこからスランプに陥ってますます差が開くばかり。卒業制作の展示会も彼女は成績最優秀の目立つ位置で、オレは成績下位の隅っこの位置。これ以上、彼女に関わったりグラフィック関係に触れると惨めな気持ちになる。だから、オレは彼女とも別れたし、仕事も全く違う業種に就いたんです」


 自分が追い求めていた夢が、実力不足が故に諦めざるを得なかった。その苦しさは夢破れた多くの人が経験していたものだろう。業界の第一線で活躍する上澄みも上澄みの人には味わったことがない感情。俺も現時点では評価されているものの、これから先の人生はまだ安泰というわけではない。決して、他人事ではない。このナツハさんが俺の未来、そんなことだってまだ十分ありえるのだ。


「だから、オレは……Vtuberになる。そんな選択肢は最初からなかったんです。自分でモデリングもするつもりはないし、他人から出来の良いモデルを渡されてもその相手に嫉妬せざるを得ない。この人は自分が手に入れられなかった花の種を持っていたんだなって……」


「そうなんですか……それは残念です」


 ナツハさんをV化してスター街道を歩ませる。そんな青写真は綺麗さっぱり消え去った。本人がVtuberになることを嫌がっているのならば、俺としても無理に誘うことはできない。


 ここでこの話は終わってもいいだろう。でも、ナツハさんは自分の過去を語ってくれた。ならば、俺も自分の目的を話さなければ不誠実な気がしてきた。


「ナツハ様。実は私はVtuberの箱を作ろうと計画をしていたんです」


「え? えっと、それはつまりどういうことですか?」


「有能そうな配信者を見つけて、その人たちに3Dモデルを与える。そうして、同じグループで活動していけたらなと思ってたんです。そして、ナツハ様を誘おうと思っていたのですけれど……」


「そういうことでしたら……他を当たって下さい。オレみたいな狭量で嫉妬深い男を相手にするだけ時間の無駄だと思いますから」


 きっぱりと断られてしまった。まあ、でもしゃーない。切り替えていこう。実力はあるのに、まだ注目されていない配信者なんて腐る程いる界隈だ。


「まあ、でも……V化以外だったら仲良くして欲しいですね。コラボも全然歓迎ですから」


「そうですね。今回お会いしたのはコラボが目的でしたからね。まずはそれをキッチリと成功させましょう。これからも末永いお付き合いをするためにも」



「ふー」


 ショコラさんとの通話を終えた後にオレは一息ついた。自分でもなんでわざわざプライベートな過去を話したのかはわからない。ただの気の迷いだったけれど、それで角を立てずにV化の誘いを断れたのは良かったと思う。


 オレはスマホを手に取り、アドレス帳を開いた。別れてから連絡を取ることはないはずなのに未だに消していない電話番号。【王賀おうが 葉月はづき】。5月生まれなのに、なぜか8月の旧暦の葉月と名付けられている。そのことをさりげなくネタにしたことがあったけれど、その時は鬼の形相で睨まれた。それからは、地雷ワードとして2度と触れまいと心に刻み込んだ。


 葉月は今、どうしているんだろうか。あれだけの才能と実力を持っているんだから、今でも3DCGの仕事を続けていると思う。オレがこうして歩みを止めている間も、葉月は輝かしい道を爆走しているんだろうな。


 結局、夢を追うために専門学校に入ったのに卒業してからのオレは、何の夢も追いかけずに惰性で生きている。


 よく売れないバンドマンがオッサンになっても、夢を諦めずにいる。そんな姿を見て、「現実を見ろ」なんて言う人もいる。オレも子供の頃はそう思う側であったが、今にして思えば10年も20年も叶うかどうかわからない夢を追い続けられる。その気力がどれだけ凄いものか痛感してしまう。少なくとも、嫉妬に支配されて簡単に夢を諦めたオレなんかよりも、よっぽど純粋で根性がある。オレからしたら、夢が叶わなくても諦めずにいるだけで凄くキラキラして見えるのだ。


 所詮、オレは芽すら出なかった種でしかない。芽を出す努力すらバカバカしくなってやめてしまった本物のクズだ。あの時、葉月に追い抜かれた時に、腐らずに自分の道を貫いていたら今とは違った未来を歩めたのかもしれない。こんな……やりたくもない仕事をしなかったかもしれない。その余暇で叫びたくもない奇声をあげながら、必死に自分を大きく見せようと他プレイヤーを撃ち抜く配信もしなかったかもしれない。


 そんな葉月のアドレス帳を眺めながら女々しい思考に囚われていたら、スマホの通知が鳴った。ニュースサイトの速報のようで【海の保全環境ポスターに高校生の作品が選ばれる】と言った趣旨の見出しだ。はは、高校生ですらこんな才能を発揮していると言うのに、オレは本当に……


 俺は半ば自棄やけになりつつも、自嘲気味にそのニュースサイトを開いた。どうせ、この高校生もこの年齢で高く評価されているんだから、挫折を知らない天才なんだろ。


 ニュースサイトには、賀藤 琥珀(16)がコンテストで優勝したという簡単な概要とその少年に対するインタビューが記載されていた。インタビューの内容も得に惹かれるものはなかった……1つの項目を除いては。


 記『賀藤君くらいの年齢ならまだ挫折したことはないでしょ?』

 賀『いえ、これでも1度は自分の実力不足を感じて夢を諦めたことがあるんですよ』


 夢を諦めた。どういうことだ。だって、この少年はまだ16歳。挫折している暇なんてないだろう。


 記『そのことを詳しく訊いてもいいかな?』

 賀『はい。僕は昔、画家になることを目指していました。とあるコンクールに参加したんですけど、そのコンクールに僕より少し年上の人の作品を見て……【自分にはこんな魂が籠った作品を描くことができない】と現実を思い知らされました』


 なんだ! なんなんだよ。これ。他人の作品を見て、自分にはないものを叩きつけられて、夢を諦めた。その状況って完全にオレと同じじゃないか。


 その後も記事を読み続けていくと、夢を諦めたことで一時期は荒んだ心で生活を送っていたことを語っていた。正に今、オレが現在進行形で送っている生活だ。


 記『最後に一言、言いたいことはありますか?』

 賀『はい。僕は1度は夢を諦めました。そこでつまづいてしまったけれど、また立ち上がってこうして夢を掴むことはできました。夢の形は変わったけれど、その本質は変わってません。転んだり立ち止まったりすることは誰にでもあります。でも、本当に大切なのは、そこから立ち上がって歩き出すことだと思います。僕は立ち上がれたからこそ、このグランプリを手にすることができたんだと思います』


 オレはその場でスマホを置いた。輝かしい才能を持つ少年。けれど、その少年もかつてはオレのように夢を諦めた過去を持つ。オレは……これでいいのか? いい歳して、惰性の人生を送っていて。高校生ですら立ち上がれたのに、オレは……!

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