第261話 始まりの終わりの始まり

「母さん……答えにくいんだったら答えなくてもいいんだけど……その女優の人って今はどうしてるの?」


 母さんは一瞬俺から目を逸らした後にため息をついた後に、再び俺と視線を合わせて語り始める。


「あの子は……意識が戻ったけれど、一生涯に残る障害を負ってしまった。見た目ではわかりにくいんだけど、神経をやられてね……婚約者がいたんだけど、その人は強面で傷がある顔に反して良い人でね。そんな状態の彼女を見捨てずに結婚したんだ」


 強面で顔に傷がある……完全に反社側の人間にしか思えない風体だけど、良い人もいたもんだな。


「結婚してからはその子には会ってない。顔を見合わせるとお互い辛くなるだけだからね。けれど、夫の方には何度か会ってる。彼が言うには今でもまだ社会復帰はできてないみたいだね。症状の方は安定しているみたいだけど、ちょっとでも普段と違う出来事が起きて刺激されるとパニックを起こしてしまうみたい」


「そっか……」


 真珠が生まれる前後の話だから、例の事件から10年以上経っている。そんな長い時間、苦しんでいるなんて……まだ10代半ばしか生きてない俺には想像すらできない世界だ。


「私は数多くの人間を不幸にしてしまった。あの子だけでなく、その周囲の人間まで……私があの時、自分の身の上話さえしなければ、あの子もバカな考えをしなかったのかもしれない。そうすれば、少なくともあの夫妻は幸せになれてたさ」


 母さんの話はかなり重かった。けれど、母さんに認められるという俺の夢を叶えるためには決して避けられない話だった。その話を受けとめた上で……俺は何を望むのか。今一度考えてみる必要がある。


 母さんの気持ちはわかった。母さんは子供のことを本気で心配していたからこそ、今までクリエイターの道を反対してきた。そして、どうしてこの話をしなかったのか。その理由もわかった。その上で……俺は本当にこの道を進むのが正しいのかどうか。


 俺だって母さんのことを口うるさくて鬱陶しく思うことはあっても、本気で嫌いなわけがない。出来ることなら、母さんのことを安心させてやりたい。だから、母さんのことを想うなら、クリエイターの道を諦めて一般的な道に進むのも正しい道なのかもしれない。


 今は副業が当たり前の時代。別に3Dのモデリングを本業にしなくても、会社勤めの片手間でやることだってできる。現に今も高校に通いながら活動はできている。残業が少なくて、余暇が多い会社に就職すれば両立はできると思う。


 俺の夢も半分は叶えられるし、本業がきちんとしているなら、母さんも安心してくれると思う。検討するに値する進路だ。俺はそのことを母さんに伝えようとする。


 しかし、その時に俺の脳裏に師匠の顔が浮かんだ。師匠は……これまで俺を本気でクリエイターにするために自分の時間を削ってまで育ててくれた。副業で済ますような感じではなく、本業でも十分食っていけるくらいのノウハウを叩きこんでくれた。


 師匠だけじゃない。俺を支えてくれる人は沢山いた。匠さんは、俺を信頼して大金が動く仕事を任せてくれたし、昴さんは資料集めに協力してくれた。稲成さんと虎徹さんもコンペやコンテストの情報を俺にくれたし、そして、ヒスイさんも俺のために母さんを説得してくれた。


 本気でクリエイターになるのが嫌になったのなら辞めるのは仕方ない。それを止める権利は誰にもない。けれど……俺の本心は本業でやりたいと思っているのに、その気持ちを押し殺してしまう。それは、今まで俺の将来に投資をしてくれたみんなに失礼ではないのか。そんな半端な気持ちで彼らに今後会わせる顔があるわけがない。


 俺の答えは決まった……いや、最初から決まっていてそれは変わることはない。


「母さんの気持ちは分かった。その上で俺の考えを言う」


 その場の空気が変わったのを感じる。重苦しい空気から一転、緊張が張りつめたようなそんな感じの空気。俺は心を落ち着かせるために深呼吸をした。そして、話を続ける。


「俺はやっぱり夢を諦めることはできない。そして、母さんの気持ちをないがしろにもできない。俺にとって、母さんは良い親ではなかったのかもしれない。子供に理由を明かさずに頭ごなしになんでもかんでも否定する。でも、その理由を知ってしまった今では、俺は母さんを悪い親だなんて思えない。だから……俺は、次のコンテストで母さんを不安にさせないような回答を作品で示す!」


「生意気なことを言うね。あんたに何ができるって言うんだい」


「相変わらずの減らず口だな母さんは……」


「それはお互いが思っていることさ」


「俺は1度、ヒスイさんに敗れている。正直、心が弱らなかったと言えば嘘になる。でも……人間である以上、落ち込んだりすることは絶対にあるんだ。大事なのは転ばない方法じゃなくて、転んでも起き上がる方法だと俺は思っている。だから、次のコンテストで1番になってみせる! クリエイターとしての技術力が保障されるのはもちろん、弱っていても困難に立ち向かえる精神的な強さ……それがあることを母さんに見せつけてやる」


 母さんは俺の言葉を黙って聞いていた。頷きもせず、首を横にも振らず、ただ聞いているだけだった。


「それで不十分だと思えば、俺のことを認めてくれなくても良い。けれど、俺は認められるまで何度でも立ち上がってみせる。だから、母さん。コンテストに参加する許可を下さい」


「わかった。それがあんたが出そうとしている答えなら……親である私は見届ける義務がある。琥珀……私のことなんて気にせず思いきり暴れてきな。蝉川 ヒスイ。あの子は、下心を持ったまま勝てるほど甘い相手ではない。心から楽しんで作品に真摯に向き合う……そうやって作った純粋な本物の力でなければ太刀打ちすらできない」


 俺は母さんの言葉を胸の奥に深く刻み込んだ。俺は何かを言いたかったが、言葉が出てこない。だから、黙って首を縦に振ることで母さんに意思表示をした。


「琥珀……お前ももう子供ではないんだね。ここまで自分の意見をはっきり言えるとは思わなかった……さあ、この話はこれでおしまい。琥珀……がんばりな」


 ここまで来るのは本当に長かった。今までの俺の軌跡は、ここに至るために必要なものだった。俺の夢の第一歩。母さんに認められて、クリエイターになる。その夢が今は手に届くところにある。


 俺のがんばり次第では、もうすぐ俺の夢が叶う。けれど、それは終わりではない。始まりなのだ。ここに来て、ようやく始めの一歩を踏み出すことができる。長い長い始まりの終わり。その物語が今始まった。そんな予感がした。


「あ、待って。母さん。話を終える前についでに聞いておきたいことがあったんだ」


「ん? なんだい?」


 母さんの考えを知った上で、どうしてもに落ちない存在あれがあった。


「母さんはどうして姉さんのバンド活動を認めたの? 音楽活動もクリエイティブな活動だし」


「ああ……それは、あの子はバカだけど、私みたいなどうしようもないバカではない。あの子には自分で悩みを抱え込むという発想がない。なんでもかんでもすぐに人に頼る。それは悪い癖でもあるけれど、人に甘えられるというのも才能の内さ。まあ、あの子の場合は悩みの概念すら持っているのか不明だけどね。とにかく、自分1人で抱え込むような子でなければ、大丈夫だと判断したのさ」


「あー……」


 納得。それ以外の言葉が思い浮かばなかった。それに、姉さんなら医者から睡眠薬をもらうのも多分無理だろう。だって、姉さんの睡眠時間は人並以上にあるし、診察の時にも正直に睡眠時間を申告しそうだ。医者から冷やかしだと物凄い勢いで怒られて落ち込みそうだけど、次の日にはケロっと忘れてるだろ。もしかして、姉さんは色んな意味で最強なんじゃないかと思い始めた。

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