第219話 弱点を指摘しなかった理由
稲成さんからコンペの情報を得た俺は作品制作に取り掛かろうとしていた。しかし、何の動物をテーマにするか。その取っ掛かりがまだ決まらなかった。アイディア出しの段階だけど何にもアイディアが出ない。稲成さんの言葉が俺の胸に深く突き刺さっていて集中できないのだ。
俺の弱点は「ムラがあること」クリエイターとして長くやっていくならば、常に一定のクオリティを保てる安定感が必要だ。しかし、俺にはそれがない。今までは、運に助けられてなんとなくやり過ごしていた部分も確かにある。しかし、その幸運はいつまでも続かないのだ。この弱点をどうにかしないと俺はいつか破綻するかもしれない。
この悩みを解消しないことには、先に進めない気がしてきた。だから、俺は師匠に相談することにした。師匠に悩みがあると告げると、師匠は直接会って話をしてくれるらしい。約束を取り付けて休日に師匠の家に出向いた。
「お邪魔します師匠」
「よく来たねAmber君」
この家に来るのも数回目なので大体の勝手はわかってきている。リビングに向かい師匠の許可を得て2人でソファに座った。隣にいる師匠が心なしかもじもじしている気がする。
「あ、あの……Amber君。こうして2人で並んで座ってると恋人みたいだな……」
「恋人みたいというよりかは、俺たちは既に付き合ってるんですよね?」
「そ、そうだな。あはは」
なんだか師匠のキレがないように感じた。調子でも悪いのだろうか。
「大丈夫ですか? 師匠。調子が悪いのなら今日は帰りますけど」
「あ、いや大丈夫だ! 私はむしろ調子がいいぞ! うん」
どの辺が調子がいいのか良く分からない。そもそも、相談事があるのに2人して
「えっと……テーブルの方に移りますか? なんかここだと相談するという雰囲気じゃなさそうですし」
「そ、そうだな。あはは。私としたことがうっかりしていたな」
俺たちはテーブル席の方に移り対面で話をすることにした。さっきまで締まりのない顔をしていた師匠だけど、いつものようにキリッとした顔つきに戻りつつあった。
「さて、Amber君。私に相談したいことがあるそうじゃないか」
「ええ。毎回、厄介な相談ばかり持ち込んですみません」
「ふふ、構わないな。私もキミに頼られるのは悪い気がしないからな。師弟関係なんだから遠慮することはないさ」
恋人となった今でもこうして師弟関係を続けられているのは本当に良かったと思っている。こうして最善の関係性になれた今となっては、過去にウダウダと悩んでいたのは何だったのかと思ってしまう。
「それで、相談なんですけど……師匠は稲成さんという人をご存知ですか? この前のコンペで一緒に参加した人なんですけど……」
「ああ。直接会ったことはないけれど、名前は知ってるな」
「俺はその人に会ってポートフォリオを見せたんです。プロのクリエイター目線で何かアドバイスが欲しくて」
「うん。色々な人の意見を聞くのも大切なことだからな」
「その稲成さんが俺のポートフォリオを見て、作品のクオリティの安定性に欠ける。要はムラがあるという指摘をされたんです」
俺の言葉を受けて師匠の表情が変わった。完全に頼りになるクリエイターの顔つきになっている。
「ふむ。なるほど……私はずっとキミに言おうかどうか迷っていたことがある。だが、この際いい機会だから伝えておこう。私も稲成氏と同じくキミのその弱点には気づいていた。しかし、あえて指摘しなかったのだ」
やっぱり師匠も同じことを思っていたのか。師匠のことだから、なにか理由があってそのことを指摘しなかったんだと思う。ここは、相槌を打つだけにして余計な発言を挟まずに、もう少し師匠の話を聞いてみよう。
「クリエイターの資質として、自分の悪い点を消すということも必要なことだ。自分でそれに気づけるに越したことはない。だが、その悪い点ばかりに目が行きすぎると今度は良い点が伸ばせずに何の特徴もない
俺は思わず「はっ」としてしまった。これについては経験がある。ビナーのデザインのラフ画を匠さんに見せた時に指摘されたことだ。あの時の俺は初仕事ということで舞い上がっていた。仕事を貰えたというたった1つの成功体験で勝手に万能感のようなものを覚えていた。だから、俺は修正案なんか貰わない優れたクリエイターだとアピールしたいと心の中では思っていて……それで、悪い所を全て排除した凡庸なラフ画を匠さんに提出してしまったのだ。
「どうやらキミにも思うようなことがあったようだな。私もそれなりに長くこの業界にいるつもりだ。様々なタイプのクリエイターを見てきた。キミはどちらかと言うと個性を伸ばした方が活きてくるタイプだと思った。だから、まずは良い点を伸ばして全体的な地力を上げるような育成方針を立てたのだ」
「そうだったんですか……師匠はそこまで俺のことを考えてくれていたんですね」
「……虎徹君にはキミも会ったことがあるだろ?」
虎徹……確か、ケテルさんのデザインとモデリングをした人だったな。
「確か作品の公開生放送の時に一緒に控え室にいた人ですよね。あの奇抜な恰好をしている人」
「ああ。彼はそうした失敗をしてしまったせいで少し回り道をしてしまったんだ。正に苦手分野はないオールラウンダーを目指したせいで、得意分野を見つけられずに仕事を中々取れなかった時期があった」
そういえばそんな情報あったな。
「得意分野がないというのはキミが思っている以上にクリエイターとして活動する上では不利なことなんだ。クリエイターというのは、基本的に案件ごとに誰を使うかという割り当てをされる。その案件には大体特徴というかコンセプトのようなものがあって、例えばロボット作品を制作したいとなった時に求められる人材はロボットのモデリングが得意な者だ」
「はい。それは理解できます」
「そこでロボット系の技術が100で他が60のクリエイターとデザイン・モデリング全般の技術が80のクリエイター。総合力が高いのは後者の方だけど、仕事を貰えるのは前者の方だ。それだけ得意分野があることのアドバンテージはでかい」
「なるほど……ロボット系でなくても、ホラー系の作品だった場合でも他のホラーが得意なクリエイターに仕事を取られてしまうと」
「そういうことだな。ただ、それはあくまでもメインでの仕事の話だ。助っ人としてのサブ的な役割だったら総合力が高い方が色々な現場で柔軟に対応できる……が、扱いとしては不遇だろうな。特に虎徹君はそういった立ち位置に甘んじるような性格ではなかった」
確かにあの見た目と態度で縁の下の力持ち的なポジションを好むとは思えない。
「理想を言えば、全ての分野で100を取れるのがいいが現実的にはそうはいかない。結局のところ何かを極めるには何かを犠牲にしなければならないんだ」
「そうですね……」
「まあ、これは話していいのかわからない余談なんだけど。虎徹君がそうしたスタイルになったのは兄貴のせいなんだ」
「匠さんですか?」
「ああ。兄貴はとにかく凄かった。今は経営者として、現場から一線を退いているけど……もし、まだ第一線で活躍していたのならば、私はここまで兄貴と実力差を埋めることはできなかった」
「師匠がそこまで言うほどなんですか?」
「ああ、謙遜とかそう言うのは一切抜きだ。正に兄貴は、十分な時間を与えれば100点の実力を身に付けて来る化け物だった。もちろん、それを達成するためには常人にはできない努力もあっただろうけど……その姿を見てない者からすれば、兄貴はなんでもこなせる正に万能なオールラウンダーに映るだろうな」
確かに匠さんからは底知れない何かを感じる時がある。クリエイターとしての実力だったり、考え方だったり、人心掌握術だったり……師匠の言っていることは大袈裟ではないのかもしれない。
「虎徹君は、そんな兄貴を見て自分もオールラウンダーを目指したくなったのだろうな。虎徹君はとにかく兄貴をライバル視していたから……でも、兄貴は本当に例外中の例外だった。そう簡単に到達できる領域ではない。Amber君も兄貴の真似をしようとしないでくれ。結局、人は人。自分は自分。憧れて目指すのはいいけれど、その人に成り代わることはできないのだから」
「はい……わかりました。俺も匠さんのことは正直化け物だと思ってますから。真似したくてもできる気がしません」
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