第217話 不審者
俺は兄さんの紹介で稲成さんと会うことになった。兄さんが言うには相手の方から俺に会いたいと言ってきたらしいのだ。まだまだ修行中の身で、少しでも多く経験を積みたい俺にとって渡りに船だ。断る理由はなかった。
この俺にセッティングをしてくれた兄さんに感謝しつつ、待ち合わせの場所である“公園の時計台”の下で俺は立っていた。俺は稲成さんがどういう顔をしているのか知らない。けれど、兄さんは会えばわかるとだけ意味深なことだけを言っていた。
小学生くらいの子供が無邪気に遊んでいる光景を微笑ましく見守っていると……公園に不審者が入ってきた。狐のお面を付けているその不審人物は周囲をキョロキョロと見回している。子供たちは叫び声をあげて、その場を立ち去ろうとした。
俺もここから逃げた方がいいのだろうか。相手が何を持っているのかわかったものではない。凶器を隠し持っている通り魔の可能性がある。俺は思わず身構えた。公園にはまだ逃げられていない子供がいる。喧嘩はあんまり強くないけど、子供を置いて逃げるわけにはいかない。
「なんだアンタは!」
俺は思わずそう叫んでしまった。こういった時の対処法はわからない。大声を出して相手を刺激したら暴れるかもしれない。けれど、その一方で不審者は大きな音を嫌う習性がある。俺は後者の方に賭けた。
「時計台の下……なるほど。キミが賀藤 琥珀君だね?」
俺の名前を知っている……? 俺はこの人物と面識がない。いや、顔が隠れているから仮面を外すと知っている人物だった! って可能性はあるけど……いや、俺の知り合いにこんな変人はいない。
「あのー……琥珀君だよね?」
不審者が不安気な声で俺に再び問うてきた。不安な気持ちになりたいのはこっちだよ。
「そうですけど……?」
「私は稲成。初めまして。今日はよろしくお願いするよ」
「ええ、あなたが稲成さんですか。すみません。さっきは大声で叫んでしまって」
やばい。相手は俺のために時間を割いてくれたのに、初手で失礼な言動を取ってしまった。
「ははは。気に病む必要はない。この面を被っているとよくあることだ。もう慣れた」
“不審がられる”ことをよくあることと断ずるなら、最初から仮面を被らない方がいいのでは? と俺は訝しんだ。
「それじゃあ、そこのベンチに座って話そうか」
「この公園で話すんですか?」
「そのつもりで待ち合わせ場所をここに選んだけど……?」
さも当然かのように言ってるけど……主に子供が利用する公共の場で狐の仮面をつけた不審者が居座るつもりなのか。
「えっと……ちょっと待って下さい。今から個室がある飲食店が近くにないか調べます」
俺はスマホを手に取り、調べものをしようとした。しかし……
「すまない。私はこの仮面をつけているから飲食できないのだ。飲食するつもりがないのに、飲食店に入るのは流石に気が引ける」
じゃあ、仮面を外せよ! 飲食店には気を遣えるのに、公園で遊びたい子供には気を遣えないのか。
「じゃあ、カラオケルームに行きましょう」
とにかく、この人を個室に隔離したい。だから色々と提案するしかない。
「ん? 私たちはこれから語り合うのではなかったのか? 謳わないのにカラオケルームを借りるのは気が引ける。私たちが入ったせいで他の歌いたい人が部屋を借りられない可能性があるからな」
「公園で話すのには気が引けないんですか?」
「なぜだ? 公園は公共の場だ。誰にでも利用する権利はある。この公園は私たちの税金で整備されている。納税の義務を果たしているのだから、遠慮する必要はない」
そうか……そういう理屈ならいいのか……いいのか……? あまりにも堂々と主張されたせいで、俺の常識がおかしくなりそうだ。
俺は結局、稲成さんに押し切られてしまってベンチに座って話すことになった。俺たちがベンチに向かおうとしたその時、警察2人組が公園に入ってきた。警察は明らかに俺たちに近づいてきている。俺は危険を察知して、稲荷さんから距離を取り、他人の振りをすることにした。
「あー、お兄さん。ちょっとお話いいですか?」
「なんですか?」
警察はやや不機嫌そうに稲荷さんに話しかける。稲荷さんの声色が若干強張っている。
「お兄さん。この辺の人?」
「この辺の定義は? 町内に収まる範囲内? それとも市内まで対象ですか?」
聞いてるだけで面倒くさい。なんだこの人は。
「名前は?」
「待って下さい。先にあなた達の警察手帳を見せて下さい。あなた達が本当の警察なのかどうか確認しなければ身分を明かしたくないです」
堂々と言い放つ稲成さん。警察に対して一切物怖じしていない。この人強いな。俺は悪いことしてないのに、警察を見かけるとなぜか罪悪感を覚えてしまうタイプだ。こんなに強くに出れない。
「あ、ああ……」
警察官は素直に警察手帳を見せるように応じたけれど、仕草が完全に嫌そうだった。
「なるほど。本物の警察のようですね。ちょっと待って下さい」
稲成さんはメモ帳を取り出して何やらメモしていく。
「ちょっと、お兄さん! なにメモしてるんですか!」
稲成さんの行動を不審に思った警察官が彼のメモ帳を取り上げようとする。それを稲成さんはひらりとかわした。
「ちょっとあなた達の識別番号を控えただけです」
識別番号……確か、警察官は識別章と呼ばれるものを装着しているんだったよな。その識別章には所属先や個人を特定できる番号が刻印されていると聞いたことがある。話としては知っていたけど、まさか堂々と識別番号をメモする人間がいたとは……
「お兄さん。ちょっとその仮面を取ってもらうことはできますか?」
「それは任意ですか? 強制ですか?」
「お兄さんが顔を隠している指名手配犯の可能性を否定できませんよね?」
稲成さんの質問に対して、質問で返す警察官。任意か強制かについては触れられたくないらしい。
「任意なら取りませんよ? 指名手配犯でない善良な市民である私が仮面を取らなければならない正当な理由があれば取りますけどね」
お互いがお互いの質問を無視する会話のドッヂボール。このまま稲成さんが逮捕されるんじゃないかという心配がでてきた。
「いい加減にしてください! お兄さん! 近隣住民から苦情が出てんだよ。狐の仮面を被った不審者がいるせいで、子供が怖がって公園に入れないって!」
警察官がついに本音をぶちまけた。それに対して稲成さんは……
「え? そうなんですか。あ、すみません。すぐに
そこは素直に従うのか……
「お兄さん。公園から出ていく前に念のため身分証明できるもの見せてくれる?」
「あ、はい」
稲成さんは素直に身分証明できるであろうものを差し出した。俺は遠くから見ていたのでその内容までは確認できなかった。警察がメモを控えて稲荷さんに身分証を返した。
「お兄さん。もうその仮面を被った状態で公園に来ないでね」
「はい。すみませんでした。琥珀君。別の場所に移動しようか」
おいコラ。警察官に職質された後に俺に話を振るんじゃない。俺まで関係者だと思われるでしょうが。
「ああ、キミもこのお兄さんの知り合い?」
「え、ああ。はい」
「じゃあ念のためキミにもいくつか質問してもいいかな?」
こうして俺まで、とばっちりで職質を受けてしまった。幸い、逮捕者は出なかったものの変な目に遭った。
俺と稲成さんは場所を公園から近くのデパートの休憩スペースへと移した。なんだか俺まで通行人から白い目で見られているような気がした。
「いやあ、まさか子供たちに怖がられているとは思わなかった」
「子供たち、思いっきり叫んで逃げてましたけどね」
「子供はよく叫びながら走り回るから、全く違和感を覚えなかったな」
確かに子供の悲鳴はガチで不審者に遭遇したのか、ただ単に遊んでいるだけかの区別がつき辛いかもしれない。
「それにしても、顔を隠しているからと言って、指名手配犯扱いは酷いと思わないかな? ビナーじゃないんだから」
急に娘の名前が出てきた俺は思わずドキリとしてしまった。まさか、稲成さんは俺の正体に気づいたのか?
「我がライバルの娘と似たような境遇になるとはなんたる奇遇。いや、私は指名手配犯ではないのだけど」
気づいてないっぽいな。セーフ!
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