第216話 世間の狭さに気づく瞬間

 師匠との作戦会議を終えた俺は無事に帰宅した。リビングに顔を出すと兄さんがソファに座ってテレビを見ていた。映像から察するに映画だ。海で遊ぶイチャついた外国人のカップル。カメラアングルが水中に切り替わった瞬間に俺は察した。初見だけどわかる。これはサメ映画だ。


 レビューサイトでボロクソに言われてそうな映画だろうと映画鑑賞の邪魔をするのは良くない。しかし、俺も用件を早めに伝えておかないと父さんの時のように忘れてしまうかもしれない。


「兄さん。面白そうな映画を観ているところ悪いんだけど、話があるんだ。映画を観終わった後でいいから」


「いや、俺はこの映画を観てないから思う存分邪魔していいぞ」


 観てないならなんで付けてるんだよ。まあ本人が邪魔して良いって言うなら今ここで言った方がいいか。


「実は……」


「琥珀。帰って来てたのかい?」


 俺の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。キッチンの方を振り返るとそこには母さんがいた。入口からは丁度死角になって見えない位置だった。なんというタイミング。普段そこまで家にいる方じゃないのに、このタイミングでエンカウントするなんて。いや、兄さんが映画を観てないって言った時点でこの空間の死角にもう1人いることに気づくべきだった。


「母さん。この時間帯にいるなんて珍しいね」


「仕事柄、仕事の量は不定期なのは琥珀も知ってるだろう? それに琥珀。なんか私がいたら不都合なことでもあるのかい?」


 「あるんだな、それが」とは言えない。適当に「そんなことはないよ。ははは」と誤魔化しておいた。


「ところで琥珀。大亜に何か話があるんじゃないのか?」


 あるけど、今はそれを言うわけにはいかない。どうやって誤魔化そう。適当な嘘をついても母さんならすぐに見破ってしまうだろう。俺は返答に詰まってしまった。


「母さん。あんまり琥珀を問い詰めてやるなよ。男同士でないとできない話もあるだろ? 丁度、父さんもいないしな」


 ナイス兄さん。そう言われれば、流石の母さんも引くしかないだろう。


「なるほど。私に聞かれたくないのなら素直に言ってくれれば良かったのに」


 母さんはワインボトルと2つのグラスを持ってソファに近寄ってくる。


「良いワインが手に入ったからサメ映画をさかなに大亜と飲もうかと思ったけど、琥珀が話があるんだったらそっちを優先した方がいいな。流石に酔っ払いに相談はしたくないだろ?」


 それは間違いない。できればシラフの状態で話を聞いて欲しい。


「ごめん。折角のひと時を邪魔しちゃって」


「そんなに気にすんなよ。じゃあ、琥珀。俺の部屋に行こうか。そこで話を聞こう」


 俺と兄さんはリビングを後にした。母さんは1人でサメ映画を観ながらワインを飲むのだろうか。これも演出家のインプットの内なのか? 演出家も大変だな。


 きっちりと片付けられている兄さんの部屋。どこぞのゴミ屋敷とは大違いである。


「それで琥珀。俺に話ってなんだ?」


 さて、どうやって切り出そうかな。いきなりコンペに保護者の同意が必要だからサインを書いてくれと言われても意味が分からないだろう。順を追って説明するか。


「えっと……俺は今、CGを勉強しているんだ。3Dのね。それで、その勉強の一環でとあるコンペに参加したいんだ」


「ほう。なるほど」


 兄さんは何か1人で合点が言っているようだ。恐らく、俺が母さんの前でこの話を切り出せなかった理由を察したらしいのだ。


「参加してもいいんじゃないのか? 母さんが求めるような勉強じゃないけど、何事も勉強したことは無駄にならないからな。俺もCGを使った3Dプログラミングができるから、なにかアドバイスができるかもしれないしな。流石に芸術的センスはないけど、少なからず相談には乗れると思う」


「うん。ありがとう。俺も参加する意思は固いんだけど、そのコンペの規約で18歳未満は保護者の同意が必要なんだ」


「あー。そういうことか。父さんは今いないからな。母さんは、クリエイティブな活動に賛成するとは思えないし……」


「保護者の範囲が“世帯が同一の成人”なんだ。だから、兄さんの了承があれば俺はそのコンペに参加できる」


「わかった。俺のサインで良ければいくらでもしてやる。でも、一応コンペの規約とか見せてくれ。俺も母さんじゃないけど、得体のしれないコンペだったら流石に同意しないぞ」


「その辺は大丈夫。ちゃんとした企業が主催しているから。資料があるから見て欲しい」


 俺は鞄からクリアファイルを取りだして、それを兄さんに渡した。


「ん?」


 兄さんの表情があからさまに変わった。眉をひそめて首を傾げている。


「お前もこのコンペに参加するのか?」


「も? って、どういうこと? 兄さんの知り合いがこのコンペに参加するってこと?」


 兄さんは少し考えた素振りを見せた後に口を開いた。


「あー……まだ、知り合いと言うほどの仲ではないけど……友人の友人程度だけど、このコンペに参加するって言ってる奴がいるんだ」


「へー。そうなんだ。凄い偶然。その人はプロなの?」


「ああ。本人はそう言ってたな。名前は稲成とか言ってたな」


「ブフォ!」


 俺は思わず吹き出してしまった。稲成さんは正に、ショコラにコンペに挑戦状を叩きつけてきた張本人である。まさか、兄さんの知人だとは思いもしなかった。なんという偶然だ。師匠が姉さんの知り合いだった時もビックリしたけど、こういう偶然って続くものなんだな。


「まあ、規約も変なこと書いてないし大丈夫か。わかった。サインを書いてやる」


「ありがとう兄さん」


 なんか世界が狭くなった気がしたけど、これで俺の無事に参加条件を満たすことができた。



 まさか、琥珀があのコンペに参加しようとしているなんてな。ショコラちゃんも多分参加するだろうしな。クリエイター業界は狭いという話は聞くけれど、それを実感する時が来るとは。弟と推しが対決するのか。どっちを応援していいのかわからないな。


 最近は本当に驚くことが多いな。ショコラちゃんの放送で稲成の名前が出た時も一瞬耳を疑ったものだ。思わず「アイツかよ」って叫びそうになった。


 一応、琥珀がコンペに参加することを稲成さんに伝えた方が良いのだろうか。そこまでする義理はないけど、一応世間話として振っておくか。稲成さんとは、連絡先を交換した後に社交辞令の挨拶メッセージを送った以来やりとりしてなかった。それ故に急なメッセージを送るのは緊張する。


『こんばんは。突然のメッセージ失礼します。先日は一緒に遊んでくださりありがとうございました。ところで稲成さんは、今度コンペに参加されるんですよね? 同じコンペに私の弟が参加するんですよ。弟はまだ高校生ですが、絵は上手いので才能はあると思います』


 こんなもんでいいか……いや、ちょっと長文すぎたか? まあいいや。送信と。しばらく待つと稲成さんからメッセージが来た。


『こんばんは。おお、弟さんも参加なされるのですか。楽しみが増えました。やっぱりライバルは多い方が燃えますから』


 不審者ルックスだけど意外と熱いところがあるんだな。まあ、そうか。わざわざショコラちゃんに挑戦状を叩きつけるくらいだし、こういう勝負事は好きなのかもしれない。


『ところで、高校生クリエイターの弟さんに興味が湧いてしまいました。1度弟さんとお会いして色々と語り合いたいものですな』


『そうですか? 弟もきっと喜ぶと思います』


 琥珀もCGについて勉強しているみたいだし、もし本当に会えるなら良い成長の機会になるかもしれない。相手が乗り気ならそうした場をセッティングしてやるのもいいかもしれないな。


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