第168話 奴にも調子が悪い時はある

「お兄さん。作品作りの方は順調かな?」


 もう何度目になるかわからない昴さんのビデオ通話。昴さんも学業やら、なんやらで忙しいと思うのに本当にありがたい。味方がいるだけで本当に心強いのだ。


「はい、昴さん。予定していたスケジュールよりも前倒しで出来ています。やっぱり、作者のイメージしたままをモデルに落とし込んだから特に苦戦はしませんでした」


「じゃあ、締め切りからかなり余裕をもって提出できる感じかな?」


「いえ。時間が余ったなら余ったなりにやることはあります。締め切りギリギリまでブラッシュアップをします。まだまだモデルのクオリティを上げることもできるし、背景にだって力を入れたいですからね。けど……」


「けど?」


「背景のイメージがどうしても沸かないんですよね。原作者の人に相談してみても、作中の舞台は特に参考にした場所はないって言われました。参考資料がないならどうも困るんですよね」


「そうか。それなら、俺の出番だな。ちょっと待ってて」


 昴さんの音声からカチカチっとマウスを動かしている音が聞こえる。その後に、俺の昴さんの画面が切り替わり、西洋の街並みの写真が映し出された。


「おお! これは!」


「俺が旅行に行った時に撮った写真だ。これでも、結構な国に飛び回っているから、参考資料ならいくらでも提供できる。もちろん、写真の撮影者は俺だから著作権に抵触するなんて考えなくていい」


「ありがとうございます昴さん助かります」


 そういえば、昴さんは大学生ながらもアウトドアが趣味で、世界中を旅している冒険家だったな。昴さんの紀行も、中々の人気らしくてそれで収入を得ているし、写真だって写真展で入賞するほどの腕前だ。


「とりあえず、俺の写真の画像を上げているファイルサーバーのアクセス権をお兄さんに与えるよ。その中で、インスピレーションが沸いたやつを自由に保存して貰っても構わないから」


「そこまでして頂いて……本当にありがとうございます」


「あはは。お兄さんを万全な状態でコンペに臨ませるのが俺の役割だからね。気にしなくていいよ」


 昴さんのお陰で順調にことが運びそうだ。原作が決まってからは、多少の女装トラブルはあったものの、歯車がカチっと噛み合ったように作品が完成していく。


 俺は今、順調でノリにノッているけれど、他のみんなはどうなんだろう。師匠は俺よりも経験が豊富だろうし、難なく進んでいるんだろうな。



「むーーりーー」


 真鈴が私の家の机に突っ伏して足をじたばたとさせている。


「そこをなんとか頼む! 真鈴! お前しか頼れるやつはいないんだ!」


 普段なら絶対に下手したてに出ないであろう相手に、私はゴマを擦らなければならない。私は、今回のコンペを本気で獲ろうと思っている。そのためには、普段のスタイルである楽曲にあわせたMV制作で臨まなければ勝ち目がない。なんたって、相手が相手だ。本気を出してくる兄貴。ズミさんも油断ならない相手。虎徹君も異様な伸びを見せている。Amber君だって、いつ才能を爆発させてもおかしくない逸材だ。ティファレト? あんな奴に負ける私ではない。


 既存の楽曲で新たなMVを創ろうと思っても、既に既存の楽曲はMV制作済みだ。新たにMVを創ろうと思っても、前のイメージに引っ張られてしまう。今までの私で勝てるほどこのコンペは甘くない。自分の殻を破り、新たなる成長を遂げなければ頂きに届かない。だからこそ、真鈴が新しい曲を作って欲しいのに。


「なんかさー。降りてこないんだよね? わかる? この感覚?」


 真鈴の顔が腹立つが、クリエイターとして共感せざるを得ない。所謂、ゾーンに入ってる状態と何やっても上手く行かないスランプの状態は往々にしてある。いくら、私が最高のコンディションを保とうとしても、真鈴が不調なら意味がない。特に真鈴は、感覚で作曲をする直感タイプ。理論で作るタイプよりも好調と不調の差が激しい。


 普段だったら、真鈴が調子を取り戻すまで待つ悠長なこともできた。しかし、コンペの締め切りが近づいている現状では一刻も早く真鈴に作詞作曲をしてもらわなければならない。曲の完成度は疑ってないが、真鈴の作詞は独特で、人間が理解できる言葉で書いていない。真鈴の特有の文章センスをフミカが日本語訳……じゃなかった手直しをして、初めて曲として完成するのだ。まだ工程が残っているのにも関わらず、最初の工程で躓いているのだ。


「ねえねえ、リゼ。知ってる? メロンパンってメロンの果汁が入ってないんだって」


「知ってるわ、そんなこと!」


 こいつは急に何を言い出すんだ。自分の部屋は汚いから、集中できないとか言い出すから私の家を貸してやってると言うのに。


「じゃあ、果汁が入ってないなら、メロンの何が入ってるんだろうね? 種?」


 ダメだ。イライラしてきた。でも、そのイライラをぶつけたところで何にも解決しない。こうなったら、真鈴をとことん上機嫌にして調子を取り戻させてやる。


「真鈴。なにか欲しいものあるか?」


「百億円」


「小学生か!」


 そんなものあるなら私だって欲しい。


「現実的に用意できるもので頼む」


「彼氏」


 落ち着け。一瞬、罵声の言葉がでかかったけど、我慢するんだ。こいつは赤ちゃん。こいつは赤ちゃん。だから、イライラしてもしょうがない。多少、意味不明なことをしても、子供だと思えば可愛いもんだ。


「コンビニで売ってるもので頼む」


「アメギフ1万円分」


 よし、今すぐこいつを〇そう! こいつバカな癖して、なんで電子マネーに変換する方法を思いつくんだ。性根がガメついのか。そういえば、こいつお兄さんへの借金をまだ返してないんだったな。本当に図々しいやつだ。


 こいつの機嫌を取る作戦はやめだ。バカの機嫌を取るとこっちまで疲れる。調子がいい時の感覚を思い出させる作戦で行こう。


「なあ。真鈴。今は調子悪いと思うけど、調子が良い時はどんな感じなんだ?」


「どんな感じって言われても……うーん。えーと……あー……」


 その後も真鈴は唸るだけで何も答えない。こいつまさか……


「調子がいい時の感覚を覚えてないのか?」


「あ、そう! それが言いたかった!」


 私、なんでこいつと組んでるんだろう……


「そうだ! お前、私と初めて会った時のことを覚えているか?」


「うん。覚えてるよ。あんなちっさいのが私より先輩だった衝撃は忘れたくても忘れらないもの」


「……そうか、その時お前、私の演奏にインスピレーションを受けて即興で作曲したよな?」


「そうだったねー」


「つまり、私が今から演奏すれば、またあの時みたいに即興で作曲ができるかもしれない!」


「おお! リゼ頭良い!」


 私はすぐにギターを取りに行き、演奏を始めた。真鈴は目を閉じて聞き入っている。頼む。真鈴。覚醒してくれ! お前の才能だけが今は頼りなんだ!


 演奏を終えた私は恐る恐る真鈴の顔色をうかがう。目を開けた真鈴は静かに首を横に振った。


「ダメだね」


「そんな……」


「今日のリゼはおかしい」


「え?」


 真鈴の調子がおかしいって話ではなかったのか? それがどうして私の話になるんだ。私はいつも通りだ。むしろ、コンディションを極限まで整えていると言ってもいい。私が不調なわけがない。


「今日のリゼの演奏は、初めて会った時の純粋な演奏と全く違う。なんかうまく表現できないけど……無邪気な子供じゃなくて、先生の前でだけいい子ぶってる悪ガキみたいな感じ?」


「なるほど……」


 真鈴の独特な例えはともかく、私自身にも思うところがあった。高校時代の時の演奏は、純粋に曲を聞いて欲しい想いで弾いていた。しかし、今は、真鈴に作曲させるために打算的な気持ちで弾いていたのだ。真鈴の繊細な感性がそのわずかな揺らぎを感じ取ったのかもしれない。


「真鈴。今日はもうやめにしよう」


「えー」


「数日だけ時間をくれないか……雑念を払ってくる。そうしたら、前みたいな演奏ができるようになるかもしれない」


「わかった。私も純粋だった頃のリゼの演奏を聞きたいからね」


 真鈴と解散した私。数日、時間をくれと言ったものの……どうしようか。深層心理は簡単に変えられるものではない。しかし、やるしかない。私には時間がないんだ。

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