第169話 操の修行体験
コンペ期間中は他の参加者とコンタクトを極力取るつもりはなかった。しかし、事態が事態だから仕方ない。私は、虎徹君に相談するために彼をカフェに呼び出した。
「それで、ミサちゃん。俺に相談って何だ?」
「虎徹君。実は……私は今、とんでもない雑念に囚われているんだ。虎徹君は京都で修行したことがあっただろ? だから、修行について詳しいかと思って相談したいんだ」
「ふーん。ミサちゃんはさ、誰に物を頼んでいるのかわかっているのか? 俺とミサちゃんは今、敵同士。俺がそんな敵に塩を送るような真似をすると思うか?」
「それは……」
ダメか。やはり、そう簡単に教えてくれるわけがないか。他をあたるしかないかな。
「他ならぬミサちゃんの頼みなら良いに決まってるじゃないか!」
「そ、そうか! ありがとう虎徹君!」
一瞬、断る空気を出しておいて……全く、心臓に悪い。
「まあ、匠のヤローだったら、絶対に教えなかったけどな」
虎徹君はどういうわけだか、兄貴のことを敵視している。多分、今回のコンペでも兄貴に勝つことを目標に頑張ってるんだろうな。
「俺が世話になった寺に掛け合ってみる。女子寮もあったはずだから、ミサちゃんにも好都合だろ」
「助かる」
こうして、虎徹君のお陰で私は京都にある寺に泊りがけで修行しに行くことになった。ここで心を清めて、本来の私の演奏を取り戻す。そうすれば、真鈴の心を響かせる音が出せるはずだ。
寺に辿り着くと住職が出迎えてくれた。住職は割と強面の男性で、私を睨みつけている気がする。
「あ、あの……兼定 虎徹君からの紹介でやってきた里瀬 操です」
「ああ。あの小僧から話は聞いている。あいつの知り合いってんなら容赦はしねえ。その性根を叩き直してやる」
ええ……虎徹君は何をしたんだ。なんか凄い嫌われているみたいだけど。
「里瀬とか言ったな。あんたはなにやら雑念を抱えているようだが、その内容を話せるか?」
「はい……実は、私は3DCGの映像を制作する仕事をしてまして、そのコンペに参加することになったんです。その映像に使う楽曲を私のバンド仲間の1人に作ってもらおうとしているんですが……どうも上手くいかないみたいなんです」
「ほう。その上手くいってねえ仲間も鍛えてやりてえな」
「いえ、彼女はやめておいた方がいいです。余計なストレスを溜めたくないのなら……」
あのバカに霊験あらたかな場所に踏み入って欲しくない。どうせロクなことにはならないのはわかりきっている。
「それで、彼女のインスピレーションを刺激しようと私がギターを演奏して聞かせたのですが……どうも、彼女が言うには私の音楽から雑念を感じたというので、それを払いにやってきました」
「ほう……雑念の原因がなにか心当たりはあるか?」
住職が心を見透かすような眼光で私の目を見る。心当たりと言えば、コンペ優勝後のAmber君への告白だ。でも、それを正直に話すべきかどうか悩む。
「それは……えっと……」
「心当たりがあるのなら口に出すんだな。ここは、自己を見つめ、本当の自分と向き合うための場所だ」
「私は……どうしてもコンペに優勝したい……私には好きな人がいる。その人もこのコンペに参加しています。彼は全力で私にぶつかってくれるし、私も全力でそれに応えたいんです」
「本当にそれだけか?」
う……やっぱり告白のことも言わなきゃダメなのか。そこまでこの住職は見透かしていると言うのか。
「私は……コンペに優勝したら、彼に告白しようと思ってます……」
「なるほど。それが雑念の原因だな。告白してどうするんだ? そこで終わりではないだろ」
「そこまで言わなきゃいけないんですか!?」
いくらなんでもプライベートなことにまで踏み込みすぎだ。ここまで語るのだって相当恥を晒したというのに。
「別に強制はしねえよ。ただ、それでアンタの雑念が払えるかどうかは俺の知ったことではないがな」
「う……私は! 彼と付き合いたい!」
「付き合ってどうするんだよ」
「それは……手を繋いだり?」
「疑問形?」
「一緒にデートしたり……その、私のことを好きって言ってくれたら、それはもう嬉しくて、ああ!」
「なるほど。これは重症だな。恋愛感情があんたの精神を蝕んでいる。恋愛感情までは消す必要はないが……年相応の落ち着きがあれば、節度を守ってその感情とも向き合えるはずだ」
「そうすれば、私はかつての演奏を取り戻せるんですか?」
「それは、あんた次第さ」
「お願いします! 私に修行をつけてください!」
私は住職に頭を下げた。正直、お坊さんってもっと優しくて穏やかなイメージがあったけど、この人はどちらかというと粗暴なイメージがある。けれど、それだけ厳しく修行をつけてくれそうな気がして逆にこの性格の方がいいのかもしれない。
「まあ、体験料を貰っちまった手前面倒は見るけどよ。まさか、こんな小さい小娘だとは思いもしなかった。体力的にもキツい修行だが、耐えられるか?」
「がんばります!」
「口じゃあなんとでも言えんだよな。だが、口に出すことで得られる決意もある。その言葉忘れんなよ」
「はい!」
こうして、私の修行合宿が始まったのだ。私は、住職に渡された僧衣に着替えた。もちろん女性用の更衣室があったのでそこを使わせてもらった。私に丁度いいサイズがなかったので少しブカブカだ。ちょっと動きづらい。
「よし、僧衣に着替えたな。ちょっと不格好だが、まあいい」
「不格好……」
「そりゃあ、ピンク髪のチビに僧衣は似合わねえだろうが」
正論で返されてしまった。虎徹君もここで修行していたみたいだけど……銀髪に僧衣は似合わないとか言われたんだろうか。
「これから、山登りをする。きちんとした巡回ルートを通ればそこまで険しい道ではない。あんたの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてやるから、しっかりとついてこい」
「はい!」
私は住職と共に山登りをした。ゆっくり歩いてくれると言ったけれど、私にとっては十分早い。単純に成人男性と私の歩幅では大きな差があるし、私は山に登り慣れていない。その分の遅れを取り戻そうと私は必死に力を振り絞り、体力的に精神的にも摩耗してしまう。
「どうした? もう音をあげたのか?」
「まだまだ!」
まだ修行が始まったばかりなのに挫けるわけにはいかない。私は私の目的を果たすためなら、どんな地平線だって越えてやる。コンペに優勝するため、スランプに陥った真鈴を救うため、Amber君に想いを伝えるため……ここで諦めたら、私はただの色ボケ女にしかならない!
体の疲労がピークに達し、足の裏や太腿が痛くなってきた。その時、ザーザーと水の流れ落ちる音が聞こえてきた。
「もう少しで目的地だ。気張れよ」
「はい!」
私の眼前には滝が広がっていた。そこまで絶景でもない普通の滝。職業柄、背景の参考にするために世界の絶景スポットを見慣れているせいもあるか、あんまり感動しない。
「これからあんたにはこの滝に打たれてもらう」
「ええ!? この恰好でですか?」
「そんなわけないだろ。水を吸った僧衣で山を下るなんざ俺でもできねえ。この白装束に着替えな。あそこに女性用更衣室の小屋がある。やっつけ仕事のボロ小屋だけど、外からは見えねえから安心しな」
私は僧衣から白装束に着替えた。これも、例によって私に合うサイズがなかったのでぶかぶかだ。
「よし。それじゃあ、その格好のまま滝に打たれてこい!」
私は川に恐る恐る素足をつける。山の水特有の冷たさが私の体を伝う。思わず、川から足を出してしまいそうになるけれど、堪えて滝に近づいていく。近くで見るとそれなりに迫力があった。これに打たれるところを想像するだけで痛そうだ。
「行きます!」
私は意を決して滝に打たれた。冷たいし、痛いし、前は見えないし、辛い。けれど耐えるしかないんだ。全ては、私の雑念を消し去るため。虎徹君が修行でクリエイターとして一皮剥けたんだったら、私だってまだまだ成長の余地はあるかもしれない。
「よし、その状態で俺の言う言葉を復唱しろ。いくぞ……!『東京特許許可局は実在しないんだって』」
「とーきょうちょ……とうちょ……」
「言えてねえじゃねえか! 心を無にして、集中しろ!」
滝に打たれている状態で喋るのですら困難なのに、更に普通の状態でも言うのが難しい早口言葉を言わされる。中々に厳しい修行だ。
「いいか! もう1回やるぞ! とうきょうちょっきょ……東京特許きょきゃ……」
「住職……?」
「今のは忘れろ」
「あ、はい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます