第167話 地雷系女子

 今日は私のママに会う日だ。と言っても、私の実の母親ではない。私のバーチャルな肉体を作ってくれた人のことだ。Vtuber業界では性別に関わらず、ママと呼ばれている。 


 コクマー・ディンプル。それは俳優として致命的な傷を顔に負った私の代わりに表舞台に立ってくれる存在で、私のもう1つの名。そのもう1つの存在を作ってくれたのは多くの人の力があってこそだ。その中でも、私の“ママ”とも呼べる彼女の存在が大きい。


 その彼女は、軽自動車に乗って、私を迎えに来てくれた。私は彼女に一礼をして、助手席に乗り込み迎えに来てくれた礼を言う。それを受けて、彼女は黙って頷いた。


 イェソド君の体を作ったエレキオーシャンのリゼ氏。彼女より気持ち身長が高い程度でも小柄な部類に入る女性。一見少女のように見えるが、これでも成人女性である。彼女のクリエイターとしての活動ネームはサツキ。実は私たちはお互いの本名を知っている間柄ではある。なぜならば、私はサツキ君に推薦されてVtuberになったのだ。


「おにいちゃん。今日は急に呼び出してごめん。ちょっと人を乗せてドライブしたい気分になったから」


 サツキ君は儚げにそう言う。今でこそ私に対しては普通に話してくれるが、元はそこまで口数が多い子ではない。他人との関わりも消極的な子でもある。だからこそ、急にドライブの誘いが来て驚いている。


「ああ、それは別に構わない。普通の社会人と違って時間に融通は効きやすいからな。配信の日時もある程度自分で決められるし、俳優や声優をやっていた頃よりもある意味では楽だ」


 私は運転しているサツキ君の横顔を見た。相変わらず、凄いメイクというか……目元が赤みがかっていて、下まぶたもダークな感じに仕上がっている。最近の若い子の言葉で地雷メイクと呼ばれているらしい。なんでそう呼ばれているのかは知らない。おじさん情報網では限界があるから仕方ない。


「サツキ君。今度のコンペはどうだ? 優勝できそうか?」


 私の問いに、サツキ君は少し沈黙する。そして、ゆっくりと口を開いた。


「私は別に勝つつもりなんてない」


「勝つつもりはない?」


 もしかして、サツキ君はこのコンペのことをどうでもいいと思っているのか? 社長やその妹のリゼ氏も本気で挑むと言っているし、虎徹君もケテルの新衣装のアニメーションからかなり気合を入れてきていると予想できる。なんか、サツキ君だけ温度差があるな。


「ああ、誤解しないで。最高傑作の作品を仕上げるつもりではいるから……ただ、勝つつもりはないだけ」


「負けてもいいってことか?」


「そもそも、芸術に勝ち負けなんてないもの」


 赤信号に引っかかり、車が止まる。


「芸術だけではない。人だって一長一短。バラとユリ。どちらが優れているかなんて決めようがないのと同じ。自分の限界に挑戦して、必死に美しさを出している作品はどれも違った輝きを持つ。その輝きに優劣はない」


「なるほど。一理あるな。だったら、どうしてコンペに参加したんだ?」


「理由は2つある。1つは、参加者全員が作品という素晴らしい花を咲かせる種を持った逸材だから、私の作品をその末席に加えたかった。もう1つは……私が過去に芽すら出せなかった種を咲かせてみたいと思ったから」


 青信号になり、車が発進する。サツキ君はそこで言葉を止めて、エンジン音だけが社内に響き渡る。


「なるほど。サツキ君は全ての芸術を愛しているというわけか」


「それは違う。芸術なら無条件に愛しているわけじゃない。私が愛するのは、どれだけ不格好でも、どれだけ儚いものでも咲いた花だけ。花を咲かせられるだけの種を持ちながら、芽すら出てない。芽すら出そうと努力しない。そんな愚図の作品には一切の興味はない。それは芸術分野だけでなく、全ての分野でも同じこと」


 サツキ君が冷たく言い放った。どうやら、全肯定主義というわけではなさそうだ。芽すら出てない愚図か。中々に鋭い言葉だな。人の個性を花に例えた歌があったけど、全ての人間が花を咲かせられるわけじゃない。種のまま終わっていく人だっている。私だって、俳優として声優として全く芽が出なかった。サツキ君が言う所の愚図ということか。


「私がおにいちゃんをVtuberに推薦したのも……おにいちゃんには種のまま終わって欲しくなかったから。芽を出そうと一生懸命頑張っている人が報われないのは見ていて辛い」


「そうか。ありがとうサツキ君。お陰で今は充実している」


「ん……」


 サツキ君は照れ臭そうにコクリと頷いた。


 しばらく車は走り続けて、休憩がてらコンビニに寄る流れとなった。サツキ君はコンビニの駐車場に車を停めてエンジンを切ったが、ハンドルから手を離そうとせずに、ぎゅっとハンドルを握りしめた。


「ねえ、おにいちゃん。お姉ちゃんの調子はどう?」


「今は落ち着いている。けれど、またいつ症状が再発するかわからない」


「そう……」


 サツキ君はそう呟いて俯いてしまった。サツキ君の従姉にして私の伴侶。彼女は、私と同じ劇団に所属していた。だが、とある事件をきっかけに女優を休業している。復帰の目途が立たないまま、10年以上の時が流れた。私も彼女のことを献身的に支えているつもりではあるが、未だに彼女は日常生活を送るのも困難と言った感じで、まともな職にすら就けない。


「すまないな。サツキ君」


「なんでおにいちゃんが謝るの」


「私がもっとしっかりと彼女を支えてあげていれば、こんなことにはならなかった」


「おにいちゃんを責めるつもりはない」


 車内に気まずい沈黙が流れる。暗い空気なのは良くないし、とりあえず話題を変えよう。仕事の話はさっきしたから、プライベートな話? 確か、サツキ君は幼馴染の恋人がいたような気がした。


「あー話は変わるけど、サツキ君は、最近彼氏とはどうだい? ほら、例の幼馴染の」


「とっくに昔に別れた」


「ごめん」


「統計上、幼馴染が結ばれる確率は低い。仕方のないこと」


 気まずい空気をなんとかしようとしたら余計に気まずくなってしまった。普通に地雷を踏んでしまった。


「とりあえず、降りよっか」


「うん」


 せっかく、コンビニに来たんだし、何にも買わないのも店側に悪い。私たちは車を降りてコンビニに向かった。


 私は真っ先にドリンクのコーナーに行き、ペットボトルの麦茶を手に取った。別に空腹でもないし、飲み水程度でいいか。サツキ君の方は……


「うーん……」


 子供向けの食玩コーナーの前で何やら唸っている。


「サツキ君?」


 サツキ君の視線の先にあるのは、日曜の朝にやっている女児向けの変身ヒロインアニメの食玩だった。


「ねえ、おにいちゃん。この中のどれがシークレットだと思う?」


 シークレット。私も子供時代に色々と苦い思い出があるものだ。他の玩具が公開情報なのに対して、シークレットは情報がパッケージにも描かれていない。しかも、封入率が低いからシークレット目当てで散財して親に怒られたことがあったな。


「うーん、多分これじゃないか」


「じゃあそれ以外にする」


「ええ……」


「だって、おにいちゃんは、頭で考える分、動物的な勘みたいなのが働いてないと思う」


 そんな根拠のないことで否定される私の勘とは一体。


「ほら、なんだっけ? なんとかホール問題ってやつ。あれと同じでこういうのは、最初に選んだ奴じゃないのに変えた方がいい」


「モンティ・ホール問題だね。あれは他の不正解を排除するから成立する問題だから」


「これにしよ」


 そう言うとサツキ君は女児向けの食玩と紙パックの紅茶を手にレジに向かった。会計を済ませて車に戻った後、食玩の箱を開けるサツキ君。中からフィギュアを取り出すとわかりやすく落ち込んだ。普通にダブらせてしまったようだ。成人してもこういうところはあんまり変わってないな。

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