第118話 許されざる関係

 日々新しいVtuberが生まれては消えていく。V業界はそんな業界で、生き残るのは本当にごく僅かである。私は、生き残れずに消えていった方だ。


 珍しい特技があるわけでもない。持ちネタがあるわけでもないし、トークも上手くない。お金をかけてイラストレーターに発注したガワもある。強みはそれくらいしかなくて、基本的にVtuberはガワが良くて当たり前。それで差別化できるわけがない。最初こそガワの力もあってか、半年で1000人登録者を達成すると順調な滑り出しだったが、それ以降どうしても伸び悩んでしまった。


 個人勢として細々とやっていくつもりだったけれど、後輩のサキュバスメイドが爆発的な伸びを見せたのをきっかけにその認識は崩れ去った。そこで私は才能の差というものを痛感してしまったのだ。更にサキュバスメイドほどではないにしろ、ギャル吸血鬼も伸びて後続のVにどんどん抜かされて私の心は折れていた。登録者数が万単位のあの2人がSNSで絡む度に、そこに弱小の私が入る余地がないと思い知らされてしまう。


 特に引退宣言したわけでもない。ただ、突然配信をやめた。SNSもログインすらしていない。それでも、私が消えたことに誰も気づかない。誰も触れない。私が自然消滅したところでV業界に与える影響というものは微々たるものだ。私にも数少ないファンはいたけれど、きっと彼も私が消えたことに気づかない。彼らは彼らで別の推しがいる。その推しを応援するついでに私の配信を見に来ていただけに違いない。


 私は動物が好きだった。特に猫が好きだったから、Vもそれに即したキャラ設定を作った。銀髪猫耳巫女。そこまで属性を盛ったとしても私は勝てなかったのだ。そして、敗れた私は神城ニャー子という名を捨てて、単なる日高ひだか みどりという1人の女になったのだ。


 そんな中、私に転機が訪れた。動物好きのコミュニティというものを作っている人がいたのだ。私はそのコミュニティのことを良く調べずに、何の気なしに参加した。そして秒で後悔した。ここは変態の巣窟そうくつだったのだ。


 当然のことながら、私の動物好きはただ愛でるためのもので、性的にどうこうしようという気は一切ない。だから、私はすぐに抜けるつもりでいた。しかし、そのコミュニティの創設者は女性声優を募集していたのだ。


 私は元々Vtuberをやっていたということもあってか、声の仕事には興味があった。別に彼らに染まる気はないけれど、ギャラが貰える仕事なら割り切ったビジネス関係でいいかなと思った。


 その浅はかな考えが全ての間違いだった。私はそのせいで沼にハマってしまうことになったのだ。


 サークルの代表者と顔合わせをする日。私は相手は変態なんだからロクな風貌をしていないだろうと思った。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、人当たりが良さそうな好青年だった。とても、変態には見えない。


「こんにちは。神城さんですよね?」


 彼は私のかつての活動ネームを読んだ。ハンドルネームを決める際に名字だけ取らせてもらったのだ。


「はい、そうです」


「僕はプリンセスデモンズの代表の八城です。それでは行きましょうか」


 私は彼に案内されるがまま、彼のサークルの活動拠点へと案内された。そこで私は応接室のようなところに通されたのだ。椅子に座るように促された私はそのまま大人しく従った。まるで借りてきた猫のように大人しくなってしまう私。実際、初めての場所は緊張してしまうし、相手のテリトリーだということで優位性は完全にあちらにあった。


「それでは、当サークルの理念について説明しますね。当サークルは、動物同士、または動物と人間との関係性を描く作品を生み出すことを目的としたサークルです。その関係性の中には――」


 彼がなんて説明していたか。そのことは覚えていなかった。話の内容よりも、八城さんの所作の方に注目が行っていたのだ。


 彼のキラキラとした目。夢や目標を楽しそうに語る様。それらを一言で表すとすると純粋。少年でもここまで真っすぐな目をした子は中々いない。私の趣味嗜好とは異なるけれど、八城さんの価値観。それを尊重したい。心からそう思えてしまったのだ。


「僕が作ったコミュニティの中にも女性はいるんだけど、どうしても声優として活動できそうな人が見つからなくて……だから、神城さんが名乗り上げてくれたことが僕はとても嬉しいんです」


 この人は今困っている。それを助けられるのは私。私は八城さんに頼られている。そう思うと私の承認欲求が満たされるのを感じた。この人の活動に貢献したい。そのために私ができることがあるんだったら、私は全力でそれに取り組めると心の底から思ったのだ。


 それから、私は本格的にサークルお抱えの声優として活動を始めた。一応報酬が発生することだし。きちんと契約を締結するために本名である日高 翠という名は明かした。そこに抵抗はなかった。


 声優活動は、人間の役をやることがあれば、動物の役をやることもあった。それ故に動物の鳴き声も必死で出せるように練習した。


 八城さんが考えたカードゲームのテストプレイをしたり、バランス調整を真剣に議論することもあった。


 そうした日々を過ごした現在。私の心は八城さんに奪われていることに気づいた。私は人間の女性だ。人間の男性が恋愛対象だとしてもなんらおかしくない。だけど、この場では……このサークルでは、それはマイノリティなことだったのだ。


 私は獣でもなければ、八城さんも獣でもない。どちらかが獣。あるいは両方が獣だったのならば、この恋は実ったのかもしれない。だけど、八城さんにとっては、人間同士の恋愛は禁忌だったのだ。


 彼は……八城さんは、私のことを獣好きの同士だと思い込んでいる。もし、その嘘がバレてしまったら、彼に嫌われてしまうかもしれない。今の関係が壊れてしまうかもしれない。私は彼に気持ちを伝えることすら許されないのだ。


 居場所がなくなること。それが辛いことだというのは良くわかっている。よく絡んでいたVtuberがどんどん伸びていく中で、足踏みしている私。その疎外感は計り知れないものだった。


 別に格下のVtuberだからハブられたとかそういうことはない。彼女たちは私が話しかけても受け入れてくれるとは思う。私も子供じゃないからそれはわかっている。けれど、いつでも関係性を断ち切れるネットの世界で、劣等感にまみれて活動する理由はなかった。役割を放棄すれば楽になれる。だから私は自分の仮面を脱ぎ去ったのだ。


 仕事の関係で上京してきたから私はこの近辺に知り合いがいない。私は元来内気な性格だし、積極的に人脈を広げることは中々に難しい。仕事場以外での人と関わる場所はもうここしかない。だから、私はこの場所を大切にしたい。そのためには私は、自らの恋愛対象を偽らなければならなかった。


 大丈夫。仮面を被るのは得意だ。Vtuberというガワを被って私はキャラを演じてきたじゃないか。それをリアルの世界でやるだけ。それだけでいい。


「八城氏~八城氏~」


「ん? どうしたの?」


 サークルメンバーの1人が正月にやってきた親戚の子供のように馴れ馴れしく八城さんに話しかけている。


「俺氏ついに彼女ができたんすよ~」


「へー。相手の学名は?」


「ホモサピエンスでやんす~」


「おお、おめでとう」


「は?」


 私は思わず唖然としてしまった。え? ホモサピエンスってあのホモサピエンス? それってつまり人間同士で付き合うってこと? そんなことしていいの? それって異端者じゃないの? 八城さんも何サラっと流してるの?


「え? 人間同士で付き合うのっていいんですか?」


「ん? ああ、日高さんは僕と同じで人間は対象外な方なの? うちのサークルは既婚者もいるし、人間も好きだけど、獣も好きってタイプも割といるよ」


「え? あ、そ、そうなんですか……」


 じゃあ、別に人間好き公表していいじゃん。八城さんに想い伝えてもいいじゃん。それなら、告白しても……って考えたけれど、無理だった。タブーとか許されざる関係とか以前に私には告白する度胸なんてなかった。


 私のこの恋心はまだ内に秘められたままだ。

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