第83話 先輩と同期

 株式会社Vストリーム。そこの事務所に入った瞬間に、私は賀藤 真珠からビナー・スピアに変わる。私の本名を知っているのは、この会社の中でも重役だけである。本名やその他個人情報を明かすことは、例え同業のVtuber相手であっても許されてない。そう、基本的にはVtuber間では顔はわかってもお互いの本名や経歴はわかってない。一部の例外を除いて……


 私が待機室の扉を開けると、そこには既に2人の女性の姿があった。私はその2人を見て、一瞬固まってしまった。


「あ……おはようございます」


 例え脳が思考停止していても反射的な行動は取れるようだ。人と出会ったら挨拶をする。そんな当たり前のことだが、これができない人間も中にはいる。とりあえず、身に沁みついた習慣のお陰で礼儀知らずにはならずに済んだ。


「ああ、おはよう。ビナーちゃん」


 黄色いヘアピンで前髪を止めている茶髪の女性が私に話しかけてきた。彼女が先輩のマルクトさんだ。Vストリームの最古参勢で、チャンネル登録者数も1番多い。正にVストリームを代表するVtuberだ。もちろん、彼女の本名は知らない。


「おはようございます」


 黒髪で毛先が少しはねているショートカットの女性が続いて話しかけてきた。赤い縁のメガネをかけているのが特徴的である。彼女は私の同期だ。Vtuberとしての活動ネームは白石ケテルと言う。当然のことながら、彼女の本名も知らない。


 会社の規定により個人情報が保護されているため、Vtuberの演者の本名は知る由がないのだ。だが、不思議なことに彼女たちの本名を知らないのは、この空間において私だけである。


「ねえ、私と一緒に話さない?」


 マルクトさんが私の腕に絡みついてきた。私の腕になにか柔らかいものが当たる。同性同士ということで、そういうことは気にしてないのだろうか。


「ビナーさん。やめておいたほうがいいですよ。その女は性格が性悪ですから」


 ケテルさんが私に忠告をする。正直言って、このタイミングで余計なことを言って欲しくなかった。


「そうやって、人を下げようとするアンタも性悪だと思うけど?」


 ああ、やっぱり空気が悪くなった。どういうわけだが、この2人は仲が悪い。ケテルさんは私の同期だから、マルクトさんと出会ったのはつい最近の出来事であるはずだ。普通に考えれば、よほどのことがない限りはお互いを嫌うような仲にはならない。だが、そうではなかった。この2人、実はVtuberになる前から出会っていたようである。


 最初の顔合わせの時、お互いがお互いを見て固まっていたのを覚えている。そして、開口一番ケテルさんが「すみません。Vtuberになるの辞退します」と言い出したのだ。


 一体どういうことなのかと社長が問いただすと「そこの女が気に食わない」とマルクトさんを指さした。


 それに対してマルクトさんは何の反応も示さなかった。ただ、ケテルさんと目を合わせようとせず、平静を装っている風だった。


 社長は「ごめん。ちょっと3人で話し合いをしてくる。すぐ戻るから待ってて」と言って、マルクトさんとケテルさんを連れ出して会議室から出て行った。10分後くらいに不機嫌そうな2人と社長が戻ってきた。会議室の空気は悪かったけれど、社長の進行が上手いおかげでなんとか事なき事を得た。


 私は同期ということで、ケテルさんにさり気なくマルクトさんのことについて訊いてみた。ケテルさんは「あいつは私の高校時代の同級生だった」と語った。


 なんでも、マルクトさんとケテルさんは同じ男子を好きになってしまったようなのだ。それまではよくある青春の1ページで特に険悪になる要素はないように思えた。だが、問題はその後だった。ケテルさんが卒業式にその男子に告白しようとしていた。それを知ったマルクトさんが卒業式当日に「実はその男子と付き合ってたんだ」とケテルさんに打ち明けたのだ。


 既に2人が付き合っているなら仕方ない。ケテルさんは涙を飲んで2人を祝福した。当然、告白するのを諦めたケテルさん。それで終われば、ここまで話はこじれなかった。卒業してから大分経った後、同窓会の日、その男子が「結局、高校3年間で彼女できなかったな」と思い出話のように語った。つまり、マルクトさんはケテルさんに嘘をついたのだった。それを知ったケテルさんはマルクトさんと大喧嘩、以来2人は絶交状態になったというわけだ。


 これはケテルさんの言い分だからどこまでが本当のことだかわからない。マルクトさんの言い分はまだ聞いてないから、これが真実かどうかも私には判断できない。ただ、世の中には2人の女子高生から同時に好かれるというくらいモテてる人もいたもんだなと思った。その男子生徒も高校時代は彼女できなかっただけで、モテているなら大学、社会人になれば彼女はできていると思う。それに比べてウチの兄たちは……


 大亜兄は、たまに「ちょっかい出してくる女子が高校時代にいてうっとうしかった」と語っている。けど、私からしたら正直、惚気のろけにしか聞こえなかった。その結果、大亜兄は今でも彼女ができてないし、そう言った鈍感な部分があると恋人できないんだなと私は悟った。そのお陰で私は無事に恋人ができたわけだけど。


 現実では仲が悪い2人だけど、バーチャルの世界では……これまたやっぱり仲が悪いのだ。お互いがマウントを取り合い、放送コードにかからない程度に罵り合うバトルを繰り広げている。ファンの間では、あれはキャラ付けのためのプロレスで、本当は仲が良いと解釈されている。信頼関係がないとあそこまでの罵倒はできないとかなんとか。現実でも仲が悪いのを知っている私にとっては、随分と幸せな解釈なものだと思った。


 当然のことながら、2人の仲が悪い理由というのは公になっていない。やっぱりファンとしては、過去の話とは言え男子が絡む話は聞きたくない人が一定数いるのだ。私も、付き合っている恋人がいることは内密にしろと言われている。ちょっとした発言でも角の生えたお馬さんが火をつけることもある。現在進行形の話を出したら、どうなるかわかったものじゃない。


「よっす、おはよう」


「おはようございます」


 次々とVtuberの中の人たちが集まってきた。助かった。この険悪な雰囲気の2人と一緒にいる空間には耐えられなかった。私は、早め早めの行動を心がけていたけど、今日はそれが完全に仇になってしまった感じはする。


 そして、会社の人もやってきて本日の会議が始まった。今後のコラボのスケジュールも組まれていく。今月の私はマルクトさんと組む機会が多いようだ。個人的にはマルクトさんもケテルさんも嫌いではない。この2人が一緒にいるのが厄介なだけで、単体で絡む分には何の問題もない。



『今日はマルクト先輩と一緒に配信します。良かったら配信を覗きに来てくださいね』


 チキショウ! またかよ! この女は! 母親だけに飽き足らず、娘にも手を出すのか!


 そんなことを心の中で悪態をつくも、同じ事務所のVなんだからコラボするのは仕方ないと自分に言い聞かせる。


 推しのショコラちゃんの娘ということで、ビナーも配信もちょいちょいチェックしているのだが、どうも俺の天敵が付き纏ってくるようだ。


 いや、声が似ているだけであの女とマルクトは別人だと思うけど……実際、俺は耳にはあまり自信がない。Vtuberの声を聞いていると高確率で聞き覚えがあるように錯覚することが多いし。けれど、やっぱりマルクトだけは受け入れることはできなかった。それだけ、あの女の存在がトラウマになっているということなのだろうか。


 それにしても、あの女卒業式に妙な冗談を言ってたんだよな「私たち離れ離れになるけど、私的には遠距離恋愛はアリだから。付き合ったままでいようね」って。当然「なんで付き合ってもないのに彼女面してんだよ」ってツッコミ入れたけど。あれは何だったのか今でも謎すぎる。

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