第56話 兄妹の外出

 Amber君が賀藤 琥珀君ではないかという疑念を持った翌日。俺は、妹と一緒に外出することにした。


「せっかくの休日なのに俺に付き合わせてすまない」


「いいんですよ。お兄さんが外に出る気力を持ってくれただけで嬉しいです」


 妹はまだ高校卒業したばかりの18歳。年頃の女子だ。同年代の女子の中には学生もいる。世間一般で言えばまだまだ遊びたい盛りなのだ。なのに、俺に付き合わせてしまって申し訳ない。この年頃の女子は友達や彼氏とかと遊ぶのが普通なのに……妹に彼氏がいるのかは知らないけど。


 家を出て数分。見知らぬ家が建っていた。ここの土地は古い家屋があったはずだ。俺が引き籠っていた間に様変わりした近所の光景。大きな変わりはないけれど、細かいところが、ところどころ違う。はす向かいの家の塀に描かれてあった子供の落書きも、真新しい塀に変わってなくなっている。


 俺が歩みを止めていた間にも世間はどんどん発展して変化していく。それは街中にも表れていた。見知った街のはずなのに、どこか異質な平行世界に迷い込んだような気分だ。


「この家……新しくなったんだな」


「そうですね。ここの家に住んでいたお婆さんのお孫さんが跡を継いだみたいです。今はお孫さんの家族と一緒にお婆さんが住んでいるみたいです」


「そうか。家族は一緒の方がいいよな」


「ですね」


 俺も両親と一緒の家に暮らしている。けれど、見事なまでに生活の圏内が合わない。両親は1階に住んでいて、俺と妹は2階で暮らしている。元々、祖父母と一緒に暮らす二世帯住宅として建てられたこの家。祖父母が逝去した後は、両親が1階のスペースを使い、俺たちが2階のスペースで暮らしていくという歪な形になった。


 両親は基本的に俺たちに対しては不干渉だ。家の固定資産税等は両親が払ってくれているし、家賃を要求されることはないが、生活費は完全に別物だ。食費や水道光熱費もバラバラに支払っている。


 妹は外出するときにたまに両親と顔を見合わせることもあるらしいが、基本的に1階に降りない俺は高校卒業を境に両親と顔を合わせることもなくなった。正直その方がありがたい。引きこもりの息子なんて親からしても会いたくないものだろう。


「さてと……お兄さん。そろそろ髪を切りましょうか。せっかく外に出たんですから、この機会にバサっと切っちゃいましょう」


 妹は俺の前髪を指で掴んでそう言った。確かに自分でもこの前髪を鬱陶しく思うことはある。けれど、左右に分ければそれほど邪魔にならないし、そこまで気にするほどのことでもないかと思う。


「あー。今不満そうな顔をした! ダメですよお兄さん。ちゃんと髪の毛を整えなきゃ。お兄さんは結構顔立ちがいいんですから、髪型もきちんと整えないと女の子にモテないですよ。それこそ本当にオタク君になってしまいますから」


 別にモテたいわけじゃない。けれど、そういうことではない。妹が俺のためを思って、身なりに言及してくれている。赤の他人はこういうことを言ってくれないだろう。そういうところをちゃんと指摘してくれる存在というものはありがたいものだ。


 それに、こんな髪がボサボサの不審者スタイルの男と一緒に歩いている妹が不憫に思える。外出の前に最低限、ヒゲは剃ってあるが、それでもこの髪は職質されかねない程の怪しい風体だ。


「わかった。髪切っている間、待たせちゃうけどごめんな」


「全然大丈夫ですよ。雑誌読んだりスマホ弄っていれば時間なんてあっという間に過ぎますから」



 妹の行きつけの少し洒落た美容室に連れてこられた俺。場違いな思いをしながらも髪を切ることにした。美容師がなにやら話しかけていたが、会話内容はあまり覚えていない。仕事は何をしているのか訊かれたけれど、適当に「動画編集関係です」と答えた。実際に妹の依頼を受けて編集して報酬は貰っているから嘘ではない。需要と供給が家庭内で完結しているけど。


「ああ。うん。いい感じじゃないですかお兄さん」


「そうかな」


 例え、お世辞でも客観的に褒められると嬉しいものだ。頭の辺が少しサッパリして爽やかな気持ちになった。心が少し晴れやかな気分にもなったし、爽やかついでに妹にあのことを話しておこうかな。


「なあ。この後、少し時間あるか?」


「ええ。今日は1日中空いているので大丈夫です」


「そっか。じゃあ公園に行こうか」


 美容室を出て近くの公園に行った俺たち。丁度ベンチが空いていたので座ることにした。平日の昼間ということもあってか、公園にはあんまり人がいない。未就学児の子供と母親が遊んでいるくらいだ。


「懐かしいですねお兄さん。お兄さんが初めて賞を取った絵画もこの公園の風景画でしたね」


「そうだったかな……よく覚えているな」


「覚えてますよ。だって、自分のことのように嬉しかったんですから」


 妹は遠くを見て、微笑んだ。どこか懐かしさを覚えているかのような顔。俺ですら忘れていることを覚えていてくれたことが少し嬉しい。


「なあ。その絵のことに関わることなんだけどさ。前にいただろ。俺より年下なのに凄い才能を持った子」


 微笑んでいた妹の顔がぴくりと動く。表情筋が段々と引き締まり真顔になっていく。


「ええ。覚えてます」


 もしかしたら、妹は彼のことを恨んでいるのかもしれない。俺が塞ぎこんでしまったキッカケを作った張本人として。俺としては、俺自身が塞ぎこんでしまったのは、自身の心の弱さが原因だと思っている。けれど、妹はどう思っているのかはわからない。ただ、彼の話をすると露骨に機嫌が悪くなるのだ。


「確証はないけれど……その子と思われる人物とネット上で知り合ったんだ」


 その言葉を聞いた時、妹の顔が複雑なものとなった。


「そ、それで、接触してみてどうだったんですか?」


 妹はこちらに身を乗り出してくる。距離が一気に近寄ってくる。俺は思わず後ずさりをしてしまった。


「お、落ち着けって。まだ、確証はないって言っただろ。その子には俺の正体も明かしてないし、その子の正体を暴くつもりもない」


「ど、どうしてですか」


「そりゃそうだろ。ネット上なんて誰も彼も仮面を被って生活している。その仮面を暴くようなことは、例えネット上のフレンドであってもやってはいけないことだと俺は思う。彼からしてみたら、俺は完全に赤の他人。無関係な人間なんだ。その人から急に自分の正体を見破られたら、恐怖を感じるだろ」


 本当は彼と話してみたい。話して真相というものを訊いてみたい。けれど、それは彼にとって迷惑なことであることもわかっている。俺がただ一方的に意識をしているだけ。彼からしてみたら、俺は何年も執着しているストーカーのように思われても仕方ない。


「お兄さんはそれでいいんですか? 彼と話をしなくて……」


「話ならしている。動画編集について色々と」


「そうじゃなくて! それはお互い仮面をつけた状態の話ですよね? お兄さんが本当にしたいのは、ネット上での仮面を付けない状態。完全な素の個人としての会話じゃないんですか?」


 妹の語気が強まる。確かに過去に決別するためには彼と話をした方がいいかもしれない。けれど、俺はどこかで賀藤 琥珀君を怖がっているのかもしれない。人間は現状維持を好み、変化を嫌う生き物だとどこかで聞いたことがある。俺は新しく、歩き道を進むのを怖がっているのか。


「お兄さんはきっと心の奥底では前に進みたがっているはずです。でなければ、私にこのことを言う必要がないじゃないですか。本当に進む気がないなら、この出来事を胸に秘めて、自分の中で閉じ込めればいい。でも、私に対して打ち明けてくれたってことは……」


 妹が俺の目を真っすぐと見た。


「私に背中を押して欲しかったんじゃないんですか?」


 やっぱり、ウチの妹には敵わないな。そう思わざるを得なかった。

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