施療院の幽霊 (7)
店の者が、サフナールが前菜を平らげた頃合いを見計らって、主膳を運んできた。
それとともに、蒸留した麦の酒も運ばれてきて、サフナールはさらに、にっこりとした。
ジェレフの前菜が片付いていないので、主膳が脇に置かれ、ジェレフの席は食い物だらけになった。
主膳に盛られているのは、飴色に焼かれた糖蜜がけの鴨肉や、油で揚げた魚を熱い餡に絡めたものなど、どうもサフナールの好物ばかりのようだった。
腹が減っていないと言っていた割には、サフナールは箸を休めず、鴨肉をもぐもぐやった。
「食べないのですか?」
不思議そうに顔をあげ、サフナールはジェレフを見つめた。
だだっ広い部屋の中で、お互いの膳を挟み、数歩の距離をおいて向き合っている。それが何やら他人行儀で、話しにくかった。
「さっきの話は……?」
給仕のせいで中断した話を、ジェレフは蒸し返した。
サフナールは箸を置いて、新しい銀杯に蒸留酒を手酌で注いだ。
「わたくしが死ぬという話?」
「そうだよ」
焦れて、ジェレフは少々、声を苛立たせた。
「そんなに悪そうには見えない」
ジェレフが咎めると、サフナールは苦笑した。
「そうでしょうね。今はとても気分がいいもの」
くすくす笑って、サフナールは答えた。そして、そのまま円座から立ち上がり、自分の杯と、酒瓶を持って、ジェレフのところへやってきた。
女官がするように、膳を挟んで向かいに両膝をつき、サフナールはジェレフの銀杯に酒を注いだ。酌はしないと言っていたのに、一体どういう気の向きか。
それからサフナールは、ジェレフの手を掴み、おもむろに彼女の懐へ、その手を差し入れさせた。
何も着ていない乳房の感触がして、ジェレフは思わず叫びそうになったが、結局、声は出なかった。
手のひらに触れるサフナールの胸は、とても柔らかく滑らかだったが、ひどく冷たかったのだ。
言葉を失って、ジェレフはサフナールと見つめあった。それは、生きているものの体温ではなかった。
「実は昨日、リューズ様がひどい発作を起こされて、わたくし、全力で治療にあたったの。それで、自分の寿命を使い切ってしまったみたい」
実にあっさりと、サフナールは言った。ジェレフはどういう顔でそれを聞いたらいいか、分からなかった。
そういうことになるのではないかと、ずっと思っていた。治癒術で怪我を治すのは、その場限りの施術で済むが、病は、治しても治しても再発するのが殆どだ。だから、余程でなければ、病気の治療に治癒術は用いない。
だが例外もある。たとえ一時的にでも、症状を和らげ、生きながらえる特権を持つ者たちもいる。一部の大貴族や、王族、そして玉座に座している唯一無二の御方だ。
「そういう日が来たら、わたくし、本望だと思ったの。当代の星と崇めるリューズ様と、抱き合って死ねたら、それはとても素敵なことじゃない?」
そう言うサフナールは本気のようだった。迷いのない目をしていた。
もしも自分が彼女の立場でも、そう思ったかもしれない。部族領の統治のために、名君リューズ・スィノニムが必要だ。世継ぎの殿下たちはまだまだ年若く、継承の準備ができていない。今はまだ、あの人を失うわけにはいかないのだと。
そのために自分が死んでも、悔いはない。サフナールも、そう思っただろうか。
「ところが、わたくし、死ななかったの。リューズ様はもうご無事よ。でも、わたくしの方は、石の当たりどころが悪かったようで、昏睡状態なの」
ジェレフの手を懐から退かせて、サフナールは襟を直した。
「今宵、一晩だけ、わたくしが目覚めるかどうか待つと、
どことなく、しゅんとしたように、サフナールはジェレフの膳の前の絨毯に直に座り、自分の酒杯をとって飲んだ。
「それで、わたくし、やり残したことをしようと思って、街に遊びに出ることにしたの。そうしたら、貴方を見かけて……」
上目遣いに、サフナールはこちらを見た。気遣うように。
「エル・ジェレフ。貴方はもう、ずいぶん前に亡くなったはずだけど、まだ施療院で働いていたの? ほんとに、どうかしているわよね」
サフナールにそう言われて、ジェレフは宙に浮いたままだった自分の手を見た。
そうだ。そういえば、そうだった。
もうずっと前に死んだ自分のことを、ジェレフは思い出した。
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