施療院の幽霊 (5)

「次は、宝石商に行くわ。指輪と、それから髪飾りも。帯留めも欲しいわ」

「散財しすぎじゃないのか、サフナール」

 馬上でジェレフは頭痛を感じた。そろそろ喫煙の時間ではなかろうか。

 そう言えば、最近いつも煙に巻かれているはずのサフナールは、朝から煙管も吸わずに平気なつらをしている。買い物をしていれば、頭痛も感じないということなのか。恐るべきことだった。

「昼だ。何か食おう」

 今度は宝石商で呆然とする自分が哀れで、ジェレフは半ば懇願する思いで、サフナールに提案した。

 飯だ。少なくとも、食っている間は、サフナールと自分に、さほどの違いはないはずだ。片方だけが喜々として、もう片方は死にかかっているというような、悲惨な絵図にはなるまい。

「わたくし、お腹が空いていないの」

「俺も空いてない。でも昼だ。何かは食ったほうがいいよ」

 健康のためにも。

 ジェレフがそう説得すると、サフナールは無言で聞いていた。

 本来、こういうことは、サフナールに説くような事ではない。彼女は食餌療法に精通した医師だし、栄養学もきっちり学んでいる。健康のためには何か食べたほうがいいなどと、乱れた生活をしているジェレフからは、偉そうに言われたくもないだろう。

「不養生なあなたに……」

「言われたくないよな。わかるけど」

 頷きながら、ジェレフはサフナの言葉を引き取った。なぜか馬まで頷いていた。

「わかったわ。何か食べましょう」

 ため息をついて、サフナールは馬首を巡らせた。心当たりの店があるらしかった。

 かぽかぽと蹄を鳴らして、サフナールの馬は従順に主人の手綱に従って歩みを進めている。

 街なかで、人通りも多いことから、馬を走らせるわけにもいかない。ゆっくりと人混みを縫って進み、やがて二騎は、市場を抜けて、さほど人通りのない界隈に出た。

 そこへ来ても、サフナールは馬をゆっくりと歩ませていた。

 ジェレフには馴染みのない地区だが、このあたりは確か、富裕層向けの料亭のあるあたりだ。商人たちが遠方からの客をもてなすための、旅籠はたごもある。贅沢な酒食と、宿を提供する店があるあたりだ。

 王宮に住まいのあるものが、街の旅籠に泊まる必要はない。全く。

 だからジェレフは、この界隈に用がないまま生きてきたのだ。

 しかし王宮の者にも、このあたりに足繁く通う用のある者はいる。市井の者と、付き合いのある場合だ。もっと具体的には、王宮では逢引できない者と、ねんごろになっている場合だ。

 ひょっとすればサフナールにも、過去に、そういう用事があったのかもしれない。そう思うのは、邪推だが。

 邪推だな。

 ジェレフは馬上でひとり、反省した。

「そんな、がっつり食うことないだろ……」

 サフナールが、料亭で宴席の飯を食う気なのかと、ジェレフは思った。そこらへんで、ちょっと食うのでは嫌なのか。普段、玉座の間ダロワージの高段で、上級女官にかしずかれて飲み食いするのが板についていて、そこらの食堂では飯も食えないということか。

 ジェレフは鼻白んで、サフナールの背に呼びかけた。

 髪を揺らして、サフナールは振り向き、ジェレフをじっと見つめた。

「違うわ。ちょっと早いけど、旅籠で湯でもあびようかと思って」

「え……どういうことだ」

「どうって、あなたとちょっと寝ようかと。久しぶりよね、エル・ジェレフ」

 真顔で言われ、ジェレフも驚く隙がなかった。

 それでも、内心深く驚いてはいた。

「せっかくだから、わたくしも、女らしく着飾ってと思ったのだけど、これでは仕立てが間に合うはずもないわ。でも、貴方が退屈して、帰ってしまいそうだから」

 そう長く、よそ見をする訳にいかなかったのか、サフナールは馬上で振り向くのは止して、またこちらに背を向けたが、ジェレフには、その背がどことなく寂しげに見えた。

「そんな事しなくても、帰ったりしないよ……」

 自分まで意気消沈してきて、ジェレフはうつむいて話した。

 二頭分の馬の蹄の音だけが、かぽかぽと、のんきに響いている。

「そう? では、先に食事をしましょうね。積もる話もあるし」

 振り向かないまま、サフナールは言った。どうも、ばつが悪そうだった。

 サフナールに、夜の玉座の間ダロワージで出会ったことはない。誘われた事もないし、誘った事もないはずだ。

 サフナールは宮廷で浮名を流す種類の英雄ではなかったが、かといって、清純なわけでもなかった。

 男ばかりの派閥の部屋サロンでは、誰が誰とできているといった口さがない噂話にも遠慮がない。サフナールが、誰とやったの、やってないのという噂は、他の女英雄たちについてと大差なく、酒の席での話題にのぼった。

 彼女がいかに分け隔てなく、誰とでも寝るか、そして後腐れがないか。愛だの恋だの抜かす子供じみた男に、いかに冷たく素気すげないかということも、よくもあの可愛げのある顔で、と恨む話とともに、ジェレフにも伝わってきた。

 エル・サフナールはあの顔で、百戦錬磨の蟒蛇うわばみで、男を捨てるときに涙の一つも見せはしない。役に立ちそうな男なら、誰とでも寝る、さすがは治癒者と、揶揄やゆする声もあったが、彼女が玉座の脇にはべるようになると、それも止んだ。面白半分の恨み言も、気軽に口に出せる範囲を越えたせいだった。

 あいつは玉座と寝てるのか。

 それは想像を絶する出来事で、あってはならぬことだった。少なくとも、英雄たちの間では、そう認識されていた。

 なぜなら、玉座の君アンフィバロウ英雄たちディノトリスは、双子の兄弟で、家族だからだ。

 現実には何の血縁もない、王族の家長と、その養い子である孤児たちでしかないのだが、幼い頃から教え諭されてきた、その感覚は、頭に石を持つ誰もに根強いものがあった。

 ただの噂だ。皆、近侍きんじの者をやっかむ。ジェレフにもそれは覚えがあった。玉座の寵愛を受ければ、玉座の間ダロワージの柱の陰で、派閥の部屋サロンで、有る事無い事囁かれるものだ。それが宮廷というものだ。

 彼女が治癒者で、侍医じいともなれば、族長の側近くに侍る。いざ、その治癒術をもって仕えるという段に至れば、患者の肌に触れないわけにはいかない。たとえそれが、玉座の君でも、誰でも、治癒術とはそういうものだ。

 彼女が女でなければ、そこまで言われはしなかっただろう。治癒者が近侍に加わるのは、当たり前のことで、ジェレフも派閥の後押しで、長く族長の近侍として仕えた。その間、一体誰が、ジェレフは族長と寝ていると噂しただろうか。

 流行病や負傷の折に、族長の寝室に宿直とのいすることもあったが、それでも、そんな中傷はされなかった。少なくとも、真面目にそんなことを思っていた奴はいまい。

 それがサフナールとなると、なぜ皆それを真に受けるのか。

「着いたわ。この店が馴染みなの。美味しいのよ」

 一軒の店の前で、サフナールは馬を止めた。老舗の有名店だった。豪商がたむろする。

 女英雄たちは連れ立って、街歩きをするのを好む。おそらく、こういうところで集まって、飯でも食っていたのだろう。そうに違いない。それだけのことだ。ジェレフはそう思った。

 サフナールはにこにこと、ジェレフに下馬を促した。

「早く行きましょう。楽しみね」

 嬉しそうに言うサフナールは、酒を飲む前の顔をしていた。

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