施療院の幽霊 (4)
なぜ、買い物に付いていかなければならないのか。
ジェレフは靴屋で真剣に悩んでいた。
その店には、呆れるほど沢山の女物の靴があり、サフナールは、決して妥協することなく、何足もの靴を試着しては、
似合うかしらと、時折、質問が飛んでくるので、油断もできない。出された椅子に腰掛けて、ジェレフはこの苦行が終わるのを待っていたが、うっかりすると居眠りしそうだった。
男物の服を着て、女ものの靴を履いても、なんともちぐはぐだ。似合うのかどうか考えるのも、疲れてきた。
「なぜ服や靴を買うのか、聞いてもいいか。目的が分かれば、俺も意見を言いやすい」
うつむいた顔を覆って、ジェレフはサフナールに懇願した。
次々に履き替えた靴を見せて、どうかしら、どうかしらと訊かれ続けるというのも、何やら軽い拷問だった。サフナールは、俺に足を見せて、恥ずかしくないのだろうか。
宮廷の女たちは、足を隠している。女官たちは、裾の長い衣装を着ており、彼女らの足は常に、床を引きずるような
つまりは、ひとつ
正直いって、女英雄たちの足周りには、恥じらいがない。女官に比べての話だが。
なにせ男装しているわけで、男の靴は、普段から丸見えだ。それに、めくるめく思いがする奴は、そう居まい。サフナールに限らず、女英雄たちの足は、いつだって見えている。靴だって、男物の靴の、小さいやつを履いているのだ。
それは、彼女たちに恥じらいがないせいではない。そういう掟なのだから、仕方がないのだ。
だが、いざ、その足が、女物の靴を履いていると、わけが違ってくる。どうかしらと言って突き出されると、何か、目のやり場に困るのだ。めくるめく思いまでは、いかないにしろ。
ジェレフは覆った顔を上げることなく、内心にそう、ぼやいた。
「可愛いものが多すぎて、決められないわ」
感心しきりのように、サフナールが言い、彼女の足元に跪いて控えている商人は、愛想よく礼を述べていた。その男が少々、サフナールの近くに寄り過ぎではと、ジェレフは思った。男の目と鼻の先にサフナールの腰がある。帯に吊るした香玉の匂いが香るような距離だ。
それは少々、近いのではないか。あまりにも。単なる客と商人の間柄では少々。意味ありげな距離ではないのか。
「これと、これと、これと……それから、あちらのも。いただくわ。あ、それと、これも」
手当たりしだいに指差して、サフナールが注文するのを聞いて、ジェレフはあぜんと顔を上げた。
床に散らばっている靴を見たが、どれも似たようなものばかりだった。サフナールの好みに偏りがあって、桃色を好む彼女は、ちょっとばかり濃いか薄いかの違いしかない、ほぼ同じ色の靴を、いくつも買おうとしているのだった。
「それは同じ靴じゃないのか、サフナール。だいたいな、さっきの服を着たら、足なんて見えないんだぞ。どんな靴でも同じだよ」
いたたまれず、ジェレフは忠告した。
それにサフナールは、きっと眉を吊り上げた。
「同じではないわ、エル・ジェレフ。こっちの靴には蝶がついていて、こちらには真珠と貝の刺繍が。どっちも好きだし、決められないの。こっちは花の刺繍が見事だし」
それぞれに捨てがたい理由があるのは分かった。
「いつ履くんだよ」
「あなたには関係ないわ」
腕組みして、サフナールは堂々と突っぱねてきた。
じゃあなんで俺を連れてきたんだよ、サフナール。
ジェレフはそう思ったが、口には出せなかった。サフナールの目が、あまりにも強く、こちらが一発でも殴ろうものなら、百発は殴り返してきそうだったからだ。
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