2-7 郡空の闇

 解散後、桜は一人、翼の手がかりを探していた。雪月に言われたから、という訳ではなく、桜は毎日翼についてきちんと調べているのだ。実りがないだけで。雪月は夕飯の支度があるので今は一人、というわけだ。まぁ、ついてきても雪月はただ見ているだけなので、特に意味は無いのだが。

 そして暫く繁華街を歩き回り、桜がそろそろ帰ろうかと思っていた頃。河川敷の方でうずくまっている空の存在に気がつき、足を止めた。

 遠目から見ても、空の様子は普通ではない。体育座りで完全に顔を隠すように蹲る空は、小刻みに体を震わせていた。それはまるで、何かに怯えている小動物のようで、桜は胸が締め付けられる。

 桜がどう声を掛けようか迷っていると、空が小声で何かを呟いているのが聞こえた。


「大丈夫。大丈夫大丈夫大丈夫……ッ。みんな優しいし、私もちゃんと、でいられてる。私は……ちゃんとできてる」


 自分に言い聞かせるように、空はそう呟き、深くため息を吐く。桜はそんな空を見て、我慢できずに彼女の目の前へ飛び出した。


「ぐ、偶然だね空! 帰らなかったの?」


 お世辞にも上手いとは言い難い演技で、桜は空に話しかけた。

 空は、桜の姿を視認すると、目を見開き、顔を青ざめさせる。まさか、高校から離れた場所で、少し前に別れたばかりの人と会うなんて、空は想像していなかったのだろう。


「さ、桜……。どうしてここに? ……というか、今の聞いて……?」


 泣きそうな声で、空は桜にそう訴えた。その訴えに桜は、一瞬口篭るが、直ぐに空の目を見て、観念したように頭を下げる。


「ご、ごめん。空が蹲ってるのが見えたから……」


 桜の返事に、空はますます顔を青ざめさせた。桜はそんな空の隣に、寄り添うように座る。桜の行動に、空は一瞬体をすくませるが、その場から動くことはせず、顔を俯かせ、黙り込んでいた。


「……あのね。空が臆病なのは最初から分かってたんだけど、まさかそんなに悩んでるって気づいてなくて……。ごめんね、不安にさせて」

「ちっ違うの! 桜達のせいじゃないの!」


 桜の言葉に、空は大きく首を横に振る。そして少しの間、沈黙した後、空は消え入りそうなほど小さな声で、自身の過去を語り始めた。


「……私ね、前の高校で虐められてたの。その子達とは小学校から仲が良かったのに、高校になって急に虐めが始まったの。喧嘩したとか、何か原因がある訳でもないのに………。一年の終わり頃、虐めがエスカレートして、もうダメだって思った。でも、お父さんとお母さんが私の様子が変だって気がついてくれて、学校を変えようって言ってくれたんだ。…………だけど」


 桜は空の語りをただ静かに聞いた。しかし、心の中は穏やかではなく、怒りで震えていた。だが空の語りを邪魔したくない桜は感情を押し殺し、黙って空の話に耳を傾けていたのだ。

 空は語っている途中、段々と声が震え、涙を堪えるように唇を噛み締めた。そしてついに耐えきれなくなったのか、涙をぽろぽろ流し、嗚咽を漏らしたのだ。そんな空を見て、桜は空の手を、力強く握り、優しく包み込む。


「大丈夫だよ。私は何があっても絶対、空の味方でいる。何でも受け止めるから、大丈夫だよ」


 優しく、けれどとても力強い言葉を、桜は空に掛けた。その言葉に、空は俯いていた顔を上げ、桜に目線を合わせる。その瞳は不安と期待が入り混じり、ぐちゃぐちゃになった弱々しい瞳だった。しかし、桜はそれをとても愛おしいと、綺麗だと直感的に感じた。

 しかし桜の心情など露知らず、意を決したように、空は口を開いた。


「だけど、お父さんとお母さんは、通り魔に会って殺された。……犯人は捕まってない。転入の手続きは終わってたから、学校は変えられたけど、私は施設に預けられることになったんだ。…………だから、怖いの。また知らないうちに間違えてしまったらどうしようって……」


 全てを話し終えたのか、空は深く息を吐いて力を抜く。しかし、その目にはいまだ薄らと涙が浮かんでいた。

 桜は一通り空の話を聞いた後──彼女に思い切り抱きついたのだ。空はあまりの予想外の出来事に、目を丸くし、硬直した。しかし、桜はそんな空の反応を気にせず、言葉を紡いだ。


「空! よく頑張ったね。よく耐えたね。大丈夫。もうそんなツラい目には絶対合わせない! 友達として……ううん。ヒーロー志望の名にかけてッ! 絶対空を幸せにしてみせるよ!」


 桜の言葉に、空は憑き物が落ちたかのように、せきを切ったように泣き出す。桜は空が泣き止むまで、ずっと背中をさすっていた。暫くした後、落ち着いた空は桜からゆっくりと離れる。そして少しだけ微笑み、言葉を紡いだ。


「ありがとね、桜。やっぱ先輩の前じゃ泣きづらいし、少しスッキリしたよ」


 空の言葉に、桜は小首をかしげる。

『先輩』というのは誰だろう? 今の話で、先輩という存在が出てきただろうか……。と、桜が考えていると、空が慌てたように説明を加えた。


「あ、ごめん。先輩って言うのは戸倉先輩って人の事なんだ。私が虐められて落ち込んでる時に、声をかけてくれて。そこからちょくちょく相談に乗ってくれてるの。今も私のことを気にかけてくれて、養子に来ないか、なんて言ってくれてるんだ。……ほんと、いい人すぎだよ……」


 ────桜は見逃さなかった。最後の方、空はかなり頬を赤らめていたのを!

 桜の目にも、空のその顔がどう言った顔なのか理解出来た。


「ほうほう。なるほど、なるほど。空はその人のこと好きなんだねぇ。恋する乙女の顔だもん!」


 ニヤニヤと、桜は空を揶揄からかうように言葉を紡ぐ。空は桜の言葉に耳まで真っ赤にする。その様はまるで、熟れすぎたリンゴのようだった。そして空は金魚のように口をパクパクさせてから、勢いよく桜の言葉に反論を返した。


「なっ! そ、そんなこと言ってないじゃんか! 桜のバカァ!」

「えっへっへー! いやぁ空の貴重な顔を見れて、最高だぜーい!」

「うわぁぁん! 桜の意地悪うううう!」


 先ほどまでの空気はどこへやら。二人は完全に女子高生の青春の空気だった。

 二人がそんな風にふざけ合っていると、二人の背後に一人の男性が現れた。


「空ちゃん。こんな所にいたんだね。心配したよ。ダメじゃないか。高校生……それも女の子がこんな遅くまで出歩いてちゃ」


 そう言って、空と桜の方へ、男性は近づいて来る。サラサラとした長い黒髪を一部結い上げ、眼鏡をかけた優しそうな男性だった。中でも特徴的だったのは彼の目だ。彼の目は透き通るような青色で、思わず見とれてしまうほど綺麗な瞳だったのだ。


「え……!? と、戸倉先輩……!? ご、ごめんなさい、すぐ帰ります!」


 空の言葉で、ようやく桜は我に返り、あぁ、この人が例の先輩か。と、一人納得する。

 戸倉は、桜に気がつくと、人の良さそうな笑みを浮かべて、声を掛けてきた。


「あぁ、空ちゃんのお友達かい? 君も早く帰らないと、親御さんが心配するよ。良ければ二人とも送っていこうか?」

「あ、いえ! 私は大丈夫です! ぜひ空を送ってやってください!」


 桜は戸倉の申し出を速攻で桜は断り、彼の返事も聞かずに走り出した。頑張れ空。私は応援してるよ! と、心の中で空を応援しながら。




 ────そういえば、空の泣き声、にそっくりだったなぁ。と、今更ながら桜は感じていた。

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