1-10 神という存在

「嘘……だろ……?」


 蚊が鳴くような声でそう呟いたのは、先程廃工場で桜を襲った、使徒ヴォイドだった。実は、使徒ヴォイドは、桜が毒嶋に追いかけられている時からずっと見ていたのだ。つまり、も、ただ黙って見ているだけだった、ということだ。

 使徒ヴォイドは、桜の心臓が止まり、毒嶋が高笑いをしているまでを見届けた。そこまで見て、使徒ヴォイドは踵を返し、その場を立ち去ろうとしたのだ。


 ────しかし、桜は生き返った。それどころか、神の力スキルを授かっている毒嶋遼真相手に、まるで赤子の手をひねるが如く、容易く勝利を収めてみせたのだ。

 記憶の操作が効かないことといい、生き返った後の現象といい、まるで桜には───。と、ここまで使徒ヴォイドが思考したところで、ようやく桜が使徒ヴォイドの存在に気づいた。桜はあげていた両腕を下げ、得意げな顔をし、使徒ヴォイドと対峙した。


「え、あれ。いつの間に居たの? まぁいいや! それよりも見た!? 私すっごく強かったでしょ!?」

「は? あ、いや……そう、だな?」


 使徒ヴォイドは、桜の突然の自慢に、理解が追いておらず、生返事を返す。しかし桜はその返事を真に受け、自分が認められたと思い、さらに笑みを深めた。


「ふっふっふ! 桜ちゃんは日々どころか、毎秒進化する天才なのだよ!」


 調子に乗った桜は、鼻高々にそう宣言し、胸を張る。

 そんな桜を見て、使徒ヴォイドは困惑しつつも、こいつの頭大丈夫かな……。と、内心引いていた。それはそうだろう。今しがた毒嶋と死闘を繰り広げ、よく分からない力を手にしたばかりなのだ。なのに、何故そんなに笑っていられるのか。少なくとも常人にはできない芸当だろう。と、使徒ヴォイドは桜の異常性にドン引きしていた。

 しかし、使徒ヴォイドに分析されているなど想像していない桜は、上機嫌のまま使徒ヴォイドを勢いよく指さし、


「これでもう君に惨敗することもないよ! さぁ、来るならこーいっ!」


 と、叫ぶ。そんな桜に対し、本格的に脳内お花畑だな。、と使徒ヴォイドは深くため息を吐く。今しがた手に入れた力で、自分に勝てると思われていることも心外だったのだが。


 ────と、そう思ったところで、使徒ヴォイドの意識は途切れた。

 否。使徒ヴォイドの意識が侵食されたのだ。


「フハッ、フハハハハッ! 愉快! 実に愉快だ、人間ッ!」


 突然、先程まで沈黙気味だった使徒ヴォイドが、両手を上げて笑い始めた。そんな使徒ヴォイドの突然の奇行に、桜は目を丸くし、警戒態勢をとる。警戒する桜を見て使徒ヴォイドは、高笑いをやめ、桜を正面に見据えた。


「あぁ、すまない。初めて味わう感動だったからつい、気が昂ってしまったよ」

「はぁ……? え、ってか口調変わった……?」


 男の人は、気が昂ると高笑いをする生き物なのだろうか……。この行動で、桜は毒嶋のことを思い出し、げんなりする。使徒ヴォイドはとても無口で大人しいイメージがあったが、今はまるで別人のように明るい。というか口調すら違う気がする。猫を被っていたにしては、やけに冷たい雰囲気を纏っているし……。一体どういう心境の変化なのだろう……? などと考え、桜が訝しげな表情で使徒ヴォイドを細めで見る。すると笑みを浮かべていた使徒ヴォイドが一変、呆れ顔に代わり、桜を見やった。


「ふーむ。もしや私がこの使徒ヴォイド風情だと思っているのか? 失敬な。今は確かにこいつの器から話しかけているが、私は『神』だ。そこの所は間違えないで欲しい」


 呆れたように使徒ヴォイド──もとい神は語る。

 桜は内心、そんなことわかるかっ! と悪態を吐く。しかし、別に喧嘩がしたい訳では無いので、そこは空気を読んで言わなかった。

 神はそんな不満げな顔の桜を見て、愉快そうな調子を戻し、再び語り始める。


「ククッ、感情を隠せん奴よな。まぁいい。お前は私を楽しませた。褒美にお前の知りたがっていたことを教えてやろう」


 神が大仰な身振りで両手を広げ宣言した言葉に、桜は目を見開く。引き気味だった姿勢を前のめりに変え、目を輝かせながら神を見た。


「本当!? 翼について教えてくれるの!?」


 正直、この言葉で、神と名乗る男の正体なんて、桜にはもはや二の次になっていた。今は翼について知れるかどうかの一点のみが、桜にとって最重要事項となっているのだから。

 そして桜の返事に、神は満足気に頷き、桜を見やる。


「さて、説明するにしても内容が内容だ。お前に理解させるためには、丁寧に教えてやる必要がある。翼について一刻も早く知りたいだろうが、あやつが巻き込まれている事態も、少しは知っておくべきだ。長くなるが、いいな?」

「勿論! こっちは訳わかんないことが多すぎて、モヤモヤしっぱなしだからね!」


 神の言葉に、桜はとても威勢のいい返事をする。実は神の言葉は遠回しに、桜の頭が悪いから丁寧に教えなければならない。と、言っているのにも気づかないで。桜的には、丁寧に教えてくれる神様ありがたいなー。くらいにしか考えていないので、知らぬが仏、というやつだろう。


「では、始めよう」


 神のその言葉の後、桜は神を食い入るように見つめ、話を聞いた。

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